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以下は、その他の寺院です。 本文献の原典は、<山西省 山西 / ShanXi / シャンシー>です。 <註> 同文献のうち、すでに本稿で紹介した寺院などは除外しています。 文中、固有名詞などで?とあるのは、そのまま日本語にならない文字です。 追って修正します。 その他の寺院 ◆喬家大院(きょうけだいいん) 太原市西南 64km、晋中地区「祁県」内にある「喬家大院」は、映画 「紅夢」(大紅灯龍高高挂)の撮影地として有名です。見渡す限りに並ぶ大きな赤い提灯と、建物の漆黒の色の調和が大変美し く、国内外から多くの観光客が訪れる場所です。清時代に建造され、元は山西省屈指の 商業資本家の私邸でした。現在は民族博物館となっています。 50 余りの展示室には、晋中地区特有の冠婚葬祭、商業、農耕にまつわるものや民芸 品等数多く展示されています。 楼上の扁額は、山西巡業僧から贈られたもののほか、「李?章」、「傅山」直筆の物もある。 大門向かいの塀には、それぞれ異なった字体 100 文字で、“寿”の字が彫られており、 稀に見る芸術品とされています。 ◆日昇昌票号(にっしょうしょうひょうごう) 清時代中期、物品の流通と、貨幣の出回りによって、「票号」と呼ば れる金融機関が生まれました。山西人により業務が行われていたため、「山 西票庄」」とも呼ばれ、やがて全国を独占していました。 中でも「日昇昌」は最大規模で、「?通天下」の名の下に、全国の都 市へと支店を増やしていました。 平遥西大街路南にある「日昇昌」は、1,300 平方mの敷地内に、カウンター、客室、会計 室、社員寮等様々な部屋があり、安全の為、壁は頑丈に作られ、上部の金網には警報機、 道路に面した部分は、大門でしっかりと閉ざされています。 平遥古城の「票号」は、金融業発展史上、最重要の位置を占めており、その歴史、店舗の 多さ、分布の広さ、資本力は国内外で有名です。 しかし、1916 年以降、「銀行業」が出現し、その先進性に追いつかず、また、経済上依存 の強かった、清朝政府の衰退と共に、早くも姿を消してしまいました。 ◆古県衙(こけんが) 元代から清代までの平遥の政府所在地。 現存のものは 1370 年に建てられました。 多くの建築のうち中心となるものは、規模のもっとも大きな大堂で、 知事が公務をこなしていた場所です。 「古県衙」は、平遥古城西南部にあり、2万 6000 平方mの敷地内は3路に分かれています。 中通りには、南から順に「衙門」「儀門」「牌坊」「大堂」「宅門」「二堂」「内宅」等 が立ち並んでいます。 現在?衙の大堂等は修復中であり、見ることができるのは、「二堂」、「内宅」「耳房」 等になっています。 ◆文廟大成殿(ぶんみょうだいせいでん) 平遥中心地東南端「雲路街」北側に位置する「文廟大成殿」は、国内で 現存する最も古い「大成殿」の一つです。 現在、「山西省重要文物」として保護されています。 8000 平方mの敷地内には、主に「?星門」「大成門」「大成殿」「明?堂」「尊経閣」 等の建築物があり、その中心となる「大成殿」は、金時代(1163 年)に建てられたもの です。 五つの部屋があります殿内の四方は、石の欄干で囲まれており、天井両端は、瑠璃瓦で覆われ ている。中国には「文廟」が非常に多くあったが、早期に造られたものの多くは既に姿を 消してしまいました。 そのため、河北省の五代遺物としての「文廟大成殿」や山東省曲埠「孔廟」内の宋、金時 代の「大成殿」は、大変貴重なものとして知られています。 ◆清虚観(せいきょかん) 古城内東大街路北にある「清虚観」は、原名「太平観」」と呼ばれた 道教の宮観です。 唐時代に建造され、その後修復を繰り返し、現存しているものは、元・ 明時代のものです。 観内には「山門」「龍虎殿」「三清殿」「純陽宮」「玉皇殿」等の建築物があり、入り口 の「牌楼」には、乾隆三十六年に記された「扁額」が掛けられています。 「龍虎殿」殿内には、高さ5mの威厳に満ちた「青龍」「白虎」神像、「三清殿」には、 元時代のモンゴル文字で書かれた石碑が保存されています。 清時代に建てられた「純陽宮」の宋・元・明・清時代の 30 余りの石碑は、道教の歴史 と書道芸術を知る上で貴重とされています。「玉皇閣」には、「?洞」と呼ばれる、崖を 掘り造られた、洞窟式の建築物が残されています。その他、平遥地区、唐、宋時代の鉄製の仏像や、明時代の道教の木彫神像等、数多くの文 物が保存されています。 ◆塔院寺(とういんじ) 総面積 1 万 5,600 平方mの「塔院寺」敷地 内には、「山門」「天王殿」「大雄宝殿」「大 白塔」「蔵経楼」等、多数の建築物があり、 入り口は「万仏閣」付近の南正門と、「?通 寺鐘楼」下の東門の2つがあります。 以前「塔院寺」と隣の「?通寺」は一つの寺 廟でしたが、明朝万暦七〜十年に改築が行われ、それぞれが独立した。 寺院内にそびえたつ高さ 50mの「大白塔」は、五台山の象徴とされており、頂上には 200 余の銅鈴が付けられています。 東側「小白塔」には「文殊菩薩」の金髪が残されていますという言い伝えから、「文殊髪塔」 とも呼ばれています。 北側「蔵経閣」には、漢・蒙・蔵等の文字で書かれた経書が2万冊程保存されています。 またここ「塔院寺」にはかつて「毛沢東」「周恩来」が滞在したことがあり、「方丈院」 には彼らが使用したベッド、腰掛、筆墨等の複製品が展示されています。 「塔院寺」東には、石洞上に建てられた城楼式の「青龍楼」、西には上から楊林街一帯が 見下ろせる「山海楼」があります。 ◆大白塔(だいはくとう) 「大白塔」、別名「?迦文仏真身舍利宝塔」「大慈延寿宝塔」は、明時代万暦中に建造さ れました、高さ 56,4m、正方形、石灰式の白い塔です。 唐朝以前、ここには二階建て八角式の石塔でしたが、その後再建が繰り返された後、現 在の姿になりました。 塔内上部には、高さ5mの「銅宝瓶」や 252 個の銅鈴が置かれ、下部には「?迦牟尼」 「文殊」「普賢」「観音」「地藏王菩薩像」が祀られています。 須弥座の南方には3つの浅い石洞があり、左洞内には康煕年塔建造の記事碑、右洞内の石 碑には、長さ 50cm、幅 20cmの、仏の足跡印が彫られています。塔を囲んでいる回廊に は、ブリキが使用されています。 ◆藏経楼(ぞうきょうろう) 「藏経楼」、別名「藏経閣」「大藏経閣」は「大白塔」後方にあります。 2階建て、五部屋の殿内には「?迦牟尼仏」「阿弥陀仏」「薬師仏」「迦葉仏」等、9体 の仏像が奉られており、中央上部には清朝「乾隆帝」によって書かれた木額が掛けられて いmす。 高さ約30m、六角形、33層の木造棚「?輪藏」は、上にいく程大きくなる構造になっ ており、多数の経書が置かれています。 また底部の回転盤は手で動かせるようになっています。 現在「「藏経楼」には漢・蒙・藏等の文字で書かれた2万冊余りもの経書が保存されてお り、中でも宋から清乾隆時代までの経巻が名高い。 五台山各寺廟にも、既に整理されていますもので、《続藏経》、《?伽藏経》、《?砂藏経》、 《藏?》《大正藏?》等、大量の経書や単行本が保管されており、その数は12部、33 0種類、3万9820冊にも及ぶ。 中にはチベット語や日本語で書かれた貴重なものもあります。 ◆文殊発塔(もんじゅはっとう) 高さ7m「大白塔」の東側にある「文殊髪塔」は、別名「小白塔」とも呼ばれています。 言い伝えによると、北魏初期に、仏道を広めるため、物乞いをする貧しい女へと姿を変え た文殊菩薩が、遺品として残した金色の頭髪が祀られていますといいます。 ◆顕通寺(けんつうじ) 五台山中心区、菩薩頂をふもとに位置する「顕 通寺」は、漢明帝永平年(58〜75 年)に建 造され、洛陽の「白馬寺」と共に、中国で最 も古い寺廟です。現在は「全国重点文物」 として保護されています。 「顕通寺」は、五台山寺廟の中でも規模最大 であり、4万 3700 平方mの敷地内には、主 な殿堂として「観音殿」「大文殊殿」「大雄宝殿」「無量殿」「千?文殊殿」「?殿」「藏 経楼」等が挙げられています。仏事活動を行う場所です「大雄宝殿」殿内には「釈迦牟尼」「阿 弥陀仏」「薬師仏」、軒のない珍しい造りの「無量殿」には「????仏」が祀られてい ます。「 銅殿」には「万仏」や、国内でも稀な銅製品の数々が残されています。 また、入り口手前の楼閣内には、銅時計「長??」が掛けられていて、表面には約一万字 の仏経が彫られています。 文物に興味があれば、「藏経殿」内の珍しい書画や「華厳経字塔」をのぞいてみるのも よい。 ◆観音殿(かんのんでん) 「観音殿」は別名「南殿」とも言い、「観音菩薩像」「文殊菩薩像」「普賢菩薩像」の三 体が奉られていることから「三大主殿」と称されています。 殿内の両側にぎっしりと並べられた棚には、様々な種類の経書が置かれていることから「蔵 経殿」、また以前は、水陸における全ての者を救うとされる大法会、「水陸道場」もここ に設立されていたため、「水陸殿」とも呼ばれています。 ◆八角碑亭(はっかくひてい) 「文殊殿」前にある「八角碑亭」内には、康煕四十六年に造られた、高さ約 2.5m、幅約 80cm の「漢白玉石碑」があります。 左側の石碑には、康熙帝直筆の文字が刻まれているが、右側の石碑には何もないため、「無 字碑」と呼ばれている。 言い伝えによると、この 2 つの石碑の下には、もともと 2 つの池があったと言います。 ◆大文殊殿(だいもんじゅでん) 清乾隆十一年(1746 年)に建造された、木造「大文殊殿」の殿内中央には「大智文殊」、 その後ろには「甘露文殊」、前方には「獅子文殊」、「智慧文殊」、「孺者文殊」、「無 垢文殊」、聡明文殊」の五体が祀られています。 これらの文殊像の前には「護法??像」、その両側には「十八羅漢像」があります。 ◆大雄宝殿(だいゆうほうでん) 清光諸二十五年(1899 年)に建造された木造「大雄宝殿」は、盛大な仏教行事を行う場所 です。 殿内正面には、康熙帝直筆の横額が掛けられており、殿内には明、清時代の「釈迦牟尼仏」、 「薬師仏」、「阿弥陀仏」が、両側には「十八羅漢」が祀られています。 広々とした仏前には仏灯がともり、線香がたかれ、色々な果物や鮮花が並べられています。 東側には「鼓」、「磬」、「銅鑼」、「木魚」等の仏楽器が置かれている。僧達は毎日の 修行の他に、五台山仏教協会主催の大規模な仏教行事も行います。 ◆無量殿(むりょうでん) 无量殿 仏法が無限大にあることから、この名が付いた「無量殿」は、また、大梁、立柱、殿外、 の縁先がないことから、別名「無梁殿」とも呼ばれ、手前には 7 部屋、更に奥には 5 部屋 あり、内壁には青瓦が用いられ、外軒は枡組状に花卉の彫刻が施されています。 殿内中央には「銅鋳?舍那仏」、その後ろには「弥勒仏」が奉られています。 唐時代の清凉国師(本命澄観)の 4 年にわたり綴られた「華厳疎抄」にも殿内の様子が記 されています。 梯子を登れば、全殿内を見下ろすことができる。 「無量殿」正面には、「普光明殿」、「法菩提場」、「逝多園林」等の横額をはめ込んだ 閣洞があり、「釈迦牟尼」が7つの場所で、9つの「華厳経」を説いたことから「七処九 会殿」とも呼ばれています。 五台山各寺院、また中国国内でも特殊な構造です「無量殿」は芸術価値も高く、1956 年に中国政府の特別支出金によって修復されました。 ◆千鉢文殊殿(せんはつもんじゅでん) 「千鉢文殊殿」はこの名の通り殿内に「千鉢文殊銅像」が奉ってあります。 明時代に造られたこの像の頭の上には、小さな頭が 5 つ乗っており、千本余の全ての手は 鉢を持っています。 更に、鉢の中には「釈迦牟尼仏」が座っていることから、「千臂千鉢千釈迦文殊像」とも 呼ばれており、中国国内でも数少ない銅像です。 ◆銅殿(どうでん) 明朝万暦 34 年(1606 年)に建造された「銅殿」「銅塔」は5万kgの銅が使われてお り、中国国内でも珍しい文物です。 真ん中が膨らんだ、太鼓形の四本の柱で支えられた殿内壁面には、「万仏」と呼ばれる仏 像がぎっしりと?造され、中央には1mの「銅仏」が奉られています。 また花や動物等様々な図案も施されています。 《清凉山志》の記載によると「銅殿」は五台山の高僧「妙峰」が全国 13 省で集めた布施 によって建てられたという。「銅殿」前の両側には八角形、13 階建ての「銅塔」がそび え立っている。 もともと「銅塔」は5つあったが、そのうち3つは日本軍侵略時に消失したため、現在は 2つとなっています。 また左側の塔には、親指大の小さな廟があり、中には「土地神像」が奉ってあります。 ◆藏経楼(ぞうきょうろう) 俗称「後高殿」には、陶・木・金・石等、多くの珍しい文物や書画芸術品が 残されています。 五台山は一年中、風が強いため、僧達は風を鎮めるといわれている「鎮風印」を造ったと いいます。 主な文物として、北魏太和年の「??旃檀仏、南北朝次代の石雕「観音菩?」「侍理菩?」、 北宋?宝年に印刷された「雷?塔藏経」、明時代の沈周「関雲長」、雲?「十八羅漢」等 が挙げられます。 また高さ約6m、幅 1,5m「華厳経字塔」には、清時代康煕年、「許徳心」らが 12 年 かけて書き上げたという、「華厳経」80 巻、計 60 万の字が書かれています。 もともとは、塔内の仏像の眉から、風鈴の縄、蓮画の茎にまで、小さな字が施されていました。 20 ◆菩薩頂(ぼさつちょう) 五台山のラマ教寺院の中で、最大規模を誇る のが「菩薩頂」です。 「菩薩頂」とは、満州族の言葉で「文殊菩薩 の住居」という意味です。 毎年、旧暦6月になると、黄教法会の主催地 として、ラマ教徒達の「鎮魔」が盛大に行わ れれます。 記載によると、北魏考文帝時代に建てられた当初は「大文殊院」という名でしたが、そ の後修復、改名を繰り返し、清時代にラマ教崇拝の場所として、青廟(和尚廟)から黄廟 (ラマ廟)へと変わりました。 「菩薩頂」には、文物が数多く保存されていますが、中でも珍しいのが、後院にある4つの 大きな銅鍋です。 毎年恒例の「六月大会」になると、ラマ教徒たちはこの銅鍋で食事を作り、「跳神鎮魔」 として供えます。 また旧暦 12 月「八仏成道日」には、黄米・緑豆・蓮の実・栗・サンザシ等を入れて八宝 粥を作る。 寺内には「天王殿」「?迦牟尼殿」「菩?殿」があり、この地を訪れた歴代の皇帝が書い た石碑や額が残されています。 中には「康煕帝」が、四碑面にそれぞれ漢・蒙・満・藏の4文字で書いた「漢白玉四?柱 碑」もあります。 ◆殊像寺(じゅぞうじ) 文殊像が祀られています。そのため文殊住処・殊像寺 と謂われています。唐の時代の創建です。元 代に修建されましたが火災で焼失し、 明代成 化 23 年(1487 年)に再建されました。 ◆恒山(こうざん) 海抜 2017m、?源県中心地から南へ 10km、大同市から 62kmに位置する「恒山」 は東岳「泰山」、」西岳「?山」、南岳「衡山」、中岳「嵩山」と共に「五岳」として知 られています。 主な見どころとして「果老?」「飛石窟」「大字湾」「虎風口」等が挙げられます。 東西 150kmに広がる「恒山」には、多数の道教廟が分布しています。 中でも主峰「天峰?」前方の一番大きな「北岳廟」は、明時代に建てられ、「恒山」全景 図、「北岳真君像」、祭山の様子が歴代に渡り記載された石碑等、「恒山」の歴史を知る 上で貴重な資料となっています。 「恒山」ふもとの「県空寺」、?県佛?寺「?迦木塔」、?源城内「円覚寺??塔」「永 安寺」は中国古建築の重要な位置を占めています。 また「恒山風景区」は 1982 年、国務院によって「国家重点景勝地」とされた。 「風景区」の平均温度は 6,1℃、1月は−12℃と寒いが、7月は 21℃前後と、理想的な 避暑地になっています。 |