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文化財の宝庫・中国山西省


その他の寺院

青山貞一 Teiichi Aoyama 池田こみち Komichi Ikeda
December 25, 2016
Independent Media E-wave Tokyo
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文化財の宝庫、中国山西省
総論 神怡舘再訪  山西省概要1  山西省概要2  万里の長城1  万里の長城2
大同市 五台山 雲崗石窟  懸空寺  応県木塔 南禅寺 佛光寺  九龍壁
太原市 双塔寺 晋祠 玄中寺 天龍山石窟
晋中市 平遥古城 平遥古城壁 双林寺 綿山
臨汾市 小西天 東岳廟 運城市 関帝廟 永楽宮
その他 仏像 工芸品 民族楽器 書・絵画 まとめ 補:他寺院

 以下は、その他の寺院です。

 本文献の原典は、<山西省 山西 / ShanXi / シャンシー>です。

<註> 同文献のうち、すでに本稿で紹介した寺院などは除外しています。
      文中、固有名詞などで?とあるのは、そのまま日本語にならない文字です。
      追って修正します。

その他の寺院

◆喬家大院(きょうけだいいん)

 太原市西南 64km、晋中地区「祁県」内にある「喬家大院」は、映画 「紅夢」(大紅灯龍高高挂)の撮影地として有名です。見渡す限りに並ぶ大きな赤い提灯と、建物の漆黒の色の調和が大変美し く、国内外から多くの観光客が訪れる場所です。清時代に建造され、元は山西省屈指の 商業資本家の私邸でした。現在は民族博物館となっています。 50 余りの展示室には、晋中地区特有の冠婚葬祭、商業、農耕にまつわるものや民芸 品等数多く展示されています。 楼上の扁額は、山西巡業僧から贈られたもののほか、「李?章」、「傅山」直筆の物もある。 大門向かいの塀には、それぞれ異なった字体 100 文字で、“寿”の字が彫られており、 稀に見る芸術品とされています。


◆日昇昌票号(にっしょうしょうひょうごう)

 清時代中期、物品の流通と、貨幣の出回りによって、「票号」と呼ば れる金融機関が生まれました。山西人により業務が行われていたため、「山 西票庄」」とも呼ばれ、やがて全国を独占していました。 中でも「日昇昌」は最大規模で、「?通天下」の名の下に、全国の都 市へと支店を増やしていました。 平遥西大街路南にある「日昇昌」は、1,300 平方mの敷地内に、カウンター、客室、会計 室、社員寮等様々な部屋があり、安全の為、壁は頑丈に作られ、上部の金網には警報機、 道路に面した部分は、大門でしっかりと閉ざされています。 平遥古城の「票号」は、金融業発展史上、最重要の位置を占めており、その歴史、店舗の 多さ、分布の広さ、資本力は国内外で有名です。 しかし、1916 年以降、「銀行業」が出現し、その先進性に追いつかず、また、経済上依存 の強かった、清朝政府の衰退と共に、早くも姿を消してしまいました。


◆古県衙(こけんが)

 元代から清代までの平遥の政府所在地。 現存のものは 1370 年に建てられました。 多くの建築のうち中心となるものは、規模のもっとも大きな大堂で、 知事が公務をこなしていた場所です。 「古県衙」は、平遥古城西南部にあり、2万 6000 平方mの敷地内は3路に分かれています。 中通りには、南から順に「衙門」「儀門」「牌坊」「大堂」「宅門」「二堂」「内宅」等 が立ち並んでいます。 現在?衙の大堂等は修復中であり、見ることができるのは、「二堂」、「内宅」「耳房」 等になっています。


◆文廟大成殿(ぶんみょうだいせいでん)

 平遥中心地東南端「雲路街」北側に位置する「文廟大成殿」は、国内で 現存する最も古い「大成殿」の一つです。 現在、「山西省重要文物」として保護されています。 8000 平方mの敷地内には、主に「?星門」「大成門」「大成殿」「明?堂」「尊経閣」 等の建築物があり、その中心となる「大成殿」は、金時代(1163 年)に建てられたもの です。 五つの部屋があります殿内の四方は、石の欄干で囲まれており、天井両端は、瑠璃瓦で覆われ ている。中国には「文廟」が非常に多くあったが、早期に造られたものの多くは既に姿を 消してしまいました。 そのため、河北省の五代遺物としての「文廟大成殿」や山東省曲埠「孔廟」内の宋、金時 代の「大成殿」は、大変貴重なものとして知られています。


◆清虚観(せいきょかん)

 古城内東大街路北にある「清虚観」は、原名「太平観」」と呼ばれた 道教の宮観です。 唐時代に建造され、その後修復を繰り返し、現存しているものは、元・ 明時代のものです。 観内には「山門」「龍虎殿」「三清殿」「純陽宮」「玉皇殿」等の建築物があり、入り口 の「牌楼」には、乾隆三十六年に記された「扁額」が掛けられています。 「龍虎殿」殿内には、高さ5mの威厳に満ちた「青龍」「白虎」神像、「三清殿」には、 元時代のモンゴル文字で書かれた石碑が保存されています。 清時代に建てられた「純陽宮」の宋・元・明・清時代の 30 余りの石碑は、道教の歴史 と書道芸術を知る上で貴重とされています。「玉皇閣」には、「?洞」と呼ばれる、崖を 掘り造られた、洞窟式の建築物が残されています。その他、平遥地区、唐、宋時代の鉄製の仏像や、明時代の道教の木彫神像等、数多くの文 物が保存されています。


◆塔院寺(とういんじ)
 
 総面積 1 万 5,600 平方mの「塔院寺」敷地 内には、「山門」「天王殿」「大雄宝殿」「大 白塔」「蔵経楼」等、多数の建築物があり、 入り口は「万仏閣」付近の南正門と、「?通 寺鐘楼」下の東門の2つがあります。 以前「塔院寺」と隣の「?通寺」は一つの寺 廟でしたが、明朝万暦七〜十年に改築が行われ、それぞれが独立した。 寺院内にそびえたつ高さ 50mの「大白塔」は、五台山の象徴とされており、頂上には 200 余の銅鈴が付けられています。 東側「小白塔」には「文殊菩薩」の金髪が残されていますという言い伝えから、「文殊髪塔」 とも呼ばれています。 北側「蔵経閣」には、漢・蒙・蔵等の文字で書かれた経書が2万冊程保存されています。 またここ「塔院寺」にはかつて「毛沢東」「周恩来」が滞在したことがあり、「方丈院」 には彼らが使用したベッド、腰掛、筆墨等の複製品が展示されています。 「塔院寺」東には、石洞上に建てられた城楼式の「青龍楼」、西には上から楊林街一帯が 見下ろせる「山海楼」があります。


◆大白塔(だいはくとう)

  「大白塔」、別名「?迦文仏真身舍利宝塔」「大慈延寿宝塔」は、明時代万暦中に建造さ れました、高さ 56,4m、正方形、石灰式の白い塔です。 唐朝以前、ここには二階建て八角式の石塔でしたが、その後再建が繰り返された後、現 在の姿になりました。 塔内上部には、高さ5mの「銅宝瓶」や 252 個の銅鈴が置かれ、下部には「?迦牟尼」 「文殊」「普賢」「観音」「地藏王菩薩像」が祀られています。 須弥座の南方には3つの浅い石洞があり、左洞内には康煕年塔建造の記事碑、右洞内の石 碑には、長さ 50cm、幅 20cmの、仏の足跡印が彫られています。塔を囲んでいる回廊に は、ブリキが使用されています。


◆藏経楼(ぞうきょうろう)

  「藏経楼」、別名「藏経閣」「大藏経閣」は「大白塔」後方にあります。 2階建て、五部屋の殿内には「?迦牟尼仏」「阿弥陀仏」「薬師仏」「迦葉仏」等、9体 の仏像が奉られており、中央上部には清朝「乾隆帝」によって書かれた木額が掛けられて いmす。 高さ約30m、六角形、33層の木造棚「?輪藏」は、上にいく程大きくなる構造になっ ており、多数の経書が置かれています。 また底部の回転盤は手で動かせるようになっています。 現在「「藏経楼」には漢・蒙・藏等の文字で書かれた2万冊余りもの経書が保存されてお り、中でも宋から清乾隆時代までの経巻が名高い。 五台山各寺廟にも、既に整理されていますもので、《続藏経》、《?伽藏経》、《?砂藏経》、 《藏?》《大正藏?》等、大量の経書や単行本が保管されており、その数は12部、33 0種類、3万9820冊にも及ぶ。 中にはチベット語や日本語で書かれた貴重なものもあります。


◆文殊発塔(もんじゅはっとう)

  高さ7m「大白塔」の東側にある「文殊髪塔」は、別名「小白塔」とも呼ばれています。 言い伝えによると、北魏初期に、仏道を広めるため、物乞いをする貧しい女へと姿を変え た文殊菩薩が、遺品として残した金色の頭髪が祀られていますといいます。


◆顕通寺(けんつうじ)

 五台山中心区、菩薩頂をふもとに位置する「顕 通寺」は、漢明帝永平年(58〜75 年)に建 造され、洛陽の「白馬寺」と共に、中国で最 も古い寺廟です。現在は「全国重点文物」 として保護されています。 「顕通寺」は、五台山寺廟の中でも規模最大 であり、4万 3700 平方mの敷地内には、主 な殿堂として「観音殿」「大文殊殿」「大雄宝殿」「無量殿」「千?文殊殿」「?殿」「藏 経楼」等が挙げられています。仏事活動を行う場所です「大雄宝殿」殿内には「釈迦牟尼」「阿 弥陀仏」「薬師仏」、軒のない珍しい造りの「無量殿」には「????仏」が祀られてい ます。「 銅殿」には「万仏」や、国内でも稀な銅製品の数々が残されています。 また、入り口手前の楼閣内には、銅時計「長??」が掛けられていて、表面には約一万字 の仏経が彫られています。 文物に興味があれば、「藏経殿」内の珍しい書画や「華厳経字塔」をのぞいてみるのも よい。


◆観音殿(かんのんでん)

  「観音殿」は別名「南殿」とも言い、「観音菩薩像」「文殊菩薩像」「普賢菩薩像」の三 体が奉られていることから「三大主殿」と称されています。 殿内の両側にぎっしりと並べられた棚には、様々な種類の経書が置かれていることから「蔵 経殿」、また以前は、水陸における全ての者を救うとされる大法会、「水陸道場」もここ に設立されていたため、「水陸殿」とも呼ばれています。


◆八角碑亭(はっかくひてい)

  「文殊殿」前にある「八角碑亭」内には、康煕四十六年に造られた、高さ約 2.5m、幅約 80cm の「漢白玉石碑」があります。 左側の石碑には、康熙帝直筆の文字が刻まれているが、右側の石碑には何もないため、「無 字碑」と呼ばれている。 言い伝えによると、この 2 つの石碑の下には、もともと 2 つの池があったと言います。


◆大文殊殿(だいもんじゅでん)

  清乾隆十一年(1746 年)に建造された、木造「大文殊殿」の殿内中央には「大智文殊」、 その後ろには「甘露文殊」、前方には「獅子文殊」、「智慧文殊」、「孺者文殊」、「無 垢文殊」、聡明文殊」の五体が祀られています。 これらの文殊像の前には「護法??像」、その両側には「十八羅漢像」があります。


◆大雄宝殿(だいゆうほうでん)

  清光諸二十五年(1899 年)に建造された木造「大雄宝殿」は、盛大な仏教行事を行う場所 です。 殿内正面には、康熙帝直筆の横額が掛けられており、殿内には明、清時代の「釈迦牟尼仏」、 「薬師仏」、「阿弥陀仏」が、両側には「十八羅漢」が祀られています。 広々とした仏前には仏灯がともり、線香がたかれ、色々な果物や鮮花が並べられています。 東側には「鼓」、「磬」、「銅鑼」、「木魚」等の仏楽器が置かれている。僧達は毎日の 修行の他に、五台山仏教協会主催の大規模な仏教行事も行います。


◆無量殿(むりょうでん) 无量殿

 仏法が無限大にあることから、この名が付いた「無量殿」は、また、大梁、立柱、殿外、 の縁先がないことから、別名「無梁殿」とも呼ばれ、手前には 7 部屋、更に奥には 5 部屋 あり、内壁には青瓦が用いられ、外軒は枡組状に花卉の彫刻が施されています。 殿内中央には「銅鋳?舍那仏」、その後ろには「弥勒仏」が奉られています。 唐時代の清凉国師(本命澄観)の 4 年にわたり綴られた「華厳疎抄」にも殿内の様子が記 されています。 梯子を登れば、全殿内を見下ろすことができる。 「無量殿」正面には、「普光明殿」、「法菩提場」、「逝多園林」等の横額をはめ込んだ 閣洞があり、「釈迦牟尼」が7つの場所で、9つの「華厳経」を説いたことから「七処九 会殿」とも呼ばれています。 五台山各寺院、また中国国内でも特殊な構造です「無量殿」は芸術価値も高く、1956 年に中国政府の特別支出金によって修復されました。


◆千鉢文殊殿(せんはつもんじゅでん)

  「千鉢文殊殿」はこの名の通り殿内に「千鉢文殊銅像」が奉ってあります。 明時代に造られたこの像の頭の上には、小さな頭が 5 つ乗っており、千本余の全ての手は 鉢を持っています。 更に、鉢の中には「釈迦牟尼仏」が座っていることから、「千臂千鉢千釈迦文殊像」とも 呼ばれており、中国国内でも数少ない銅像です。


◆銅殿(どうでん)

  明朝万暦 34 年(1606 年)に建造された「銅殿」「銅塔」は5万kgの銅が使われてお り、中国国内でも珍しい文物です。 真ん中が膨らんだ、太鼓形の四本の柱で支えられた殿内壁面には、「万仏」と呼ばれる仏 像がぎっしりと?造され、中央には1mの「銅仏」が奉られています。 また花や動物等様々な図案も施されています。 《清凉山志》の記載によると「銅殿」は五台山の高僧「妙峰」が全国 13 省で集めた布施 によって建てられたという。「銅殿」前の両側には八角形、13 階建ての「銅塔」がそび え立っている。 もともと「銅塔」は5つあったが、そのうち3つは日本軍侵略時に消失したため、現在は 2つとなっています。 また左側の塔には、親指大の小さな廟があり、中には「土地神像」が奉ってあります。


◆藏経楼(ぞうきょうろう)

 俗称「後高殿」には、陶・木・金・石等、多くの珍しい文物や書画芸術品が 残されています。 五台山は一年中、風が強いため、僧達は風を鎮めるといわれている「鎮風印」を造ったと いいます。 主な文物として、北魏太和年の「??旃檀仏、南北朝次代の石雕「観音菩?」「侍理菩?」、 北宋?宝年に印刷された「雷?塔藏経」、明時代の沈周「関雲長」、雲?「十八羅漢」等 が挙げられます。 また高さ約6m、幅 1,5m「華厳経字塔」には、清時代康煕年、「許徳心」らが 12 年 かけて書き上げたという、「華厳経」80 巻、計 60 万の字が書かれています。 もともとは、塔内の仏像の眉から、風鈴の縄、蓮画の茎にまで、小さな字が施されていました。
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◆菩薩頂(ぼさつちょう)

 五台山のラマ教寺院の中で、最大規模を誇る のが「菩薩頂」です。 「菩薩頂」とは、満州族の言葉で「文殊菩薩 の住居」という意味です。 毎年、旧暦6月になると、黄教法会の主催地 として、ラマ教徒達の「鎮魔」が盛大に行わ れれます。 記載によると、北魏考文帝時代に建てられた当初は「大文殊院」という名でしたが、そ の後修復、改名を繰り返し、清時代にラマ教崇拝の場所として、青廟(和尚廟)から黄廟 (ラマ廟)へと変わりました。 「菩薩頂」には、文物が数多く保存されていますが、中でも珍しいのが、後院にある4つの 大きな銅鍋です。 毎年恒例の「六月大会」になると、ラマ教徒たちはこの銅鍋で食事を作り、「跳神鎮魔」 として供えます。 また旧暦 12 月「八仏成道日」には、黄米・緑豆・蓮の実・栗・サンザシ等を入れて八宝 粥を作る。 寺内には「天王殿」「?迦牟尼殿」「菩?殿」があり、この地を訪れた歴代の皇帝が書い た石碑や額が残されています。 中には「康煕帝」が、四碑面にそれぞれ漢・蒙・満・藏の4文字で書いた「漢白玉四?柱 碑」もあります。


殊像寺(じゅぞうじ)
 
 文殊像が祀られています。そのため文殊住処・殊像寺 と謂われています。唐の時代の創建です。元 代に修建されましたが火災で焼失し、 明代成 化 23 年(1487 年)に再建されました。  


◆恒山(こうざん)

 海抜 2017m、?源県中心地から南へ 10km、大同市から 62kmに位置する「恒山」 は東岳「泰山」、」西岳「?山」、南岳「衡山」、中岳「嵩山」と共に「五岳」として知 られています。 主な見どころとして「果老?」「飛石窟」「大字湾」「虎風口」等が挙げられます。 東西 150kmに広がる「恒山」には、多数の道教廟が分布しています。 中でも主峰「天峰?」前方の一番大きな「北岳廟」は、明時代に建てられ、「恒山」全景 図、「北岳真君像」、祭山の様子が歴代に渡り記載された石碑等、「恒山」の歴史を知る 上で貴重な資料となっています。 「恒山」ふもとの「県空寺」、?県佛?寺「?迦木塔」、?源城内「円覚寺??塔」「永 安寺」は中国古建築の重要な位置を占めています。 また「恒山風景区」は 1982 年、国務院によって「国家重点景勝地」とされた。 「風景区」の平均温度は 6,1℃、1月は−12℃と寒いが、7月は 21℃前後と、理想的な 避暑地になっています。