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文化財の宝庫・中国山西省


運城市 <永楽宮 壁画

青山貞一 Teiichi Aoyama 池田こみち Komichi Ikeda
December 25, 2016
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文化財の宝庫、中国山西省
総論 神怡舘再訪  山西省概要1  山西省概要2  万里の長城1  万里の長城2
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◆永楽宮 壁画


出典:「神怡舘」 永楽級と壁画
撮影:池田こみち Nikon Coolpix S9900 2016-12-22

 以下は運上運城市の中心から永楽宮までのルートです。約62km、車で1時間25分あります。


出典:グーグルマップ

 以下は永楽宮壁画の位置です。


出典:グーグルマップ
住所:中華人民共和国 Shanxi Sheng, Yuncheng Shi, Ruicheng Xian, 永?北街78号

 永楽宮は、竜泉村の東に位置し、元々西周の古魏国都城遺址の上に建てられました。

 これは国内外になくてはならない影響のある古い建築であり、壁画芸術で天下に名声が聞かれます。

 ここの壁画は、中国に現存する壁画芸術の貴重な宝物ですが敦煌の壁画と肩を並べます。 永楽宮は元々道教の寺院であり、中国の古代の道教の「八洞の仙人」の中の一人呂洞賓を祭るために建てられたので、元々の名前を「大純陽万寿宮」としました。

 また元々(草冠の下に内)城県永楽鎮に建てられたので、初めは永楽宮と称されていました。永楽宮は、元代2年(西暦紀元1247年)定宗貴由が建設に着工して、内部に彩色上絵の壁画を含め、元代18年(西暦紀元1358年に移る)まで竣工し、工期は110年余りに及びました。 4つの大殿内は、永楽宮の壁画でいっぱいです。

 これらは精巧で製作された美しい壁画の総面積は960平方メートルに達し、題材が豊かであり、絵画の技術はずば抜けていて高く、それは唐、宋からの優秀な絵画の技法を受け継いでいます。また元代の絵画の特徴を融合し、永楽宮の壁画の貴い風格を形成しており、元代の寺の壁画の中で最も人を引く一つになっています。

出典:名所-山西観光局ホームページ

 以下は永楽宮 壁画の写真集です。


出典:山西省観光局ホームページ


出典:山西省観光局ホームページ


出典:山西省観光局ホームページ

 以下は永楽宮の壁画についての解説です。


出典:「神怡舘」 永楽級と壁画
撮影:池田こみち Nikon Coolpix S9900 2016-12-22

 永楽宮は、元の時代に111年(1247−1358)の歳月をかけ248km2(小鹿野町の約1.5倍)の敷地に建てられた中国最大の道教建築群です。 

 この地で生まれた専任、呂洞實を祀るためにたてらました。 

 呂洞實は唐代に生きた実在の人物であり、八仙(8にんのびにんの代表的な選任、日本の七福神的な存在)の一人としえt信仰を集めています。  

 敷地内には面積1km2に及ぶ壁画が残されており、道教の神々や、呂洞實が仙人になるまでの物語などが描かれています。 

 展示してあるのは三清殿の中にある、道教の神々を描いた朝源図の一部を模したものです。


出典:「神怡舘」 永楽級と壁画
撮影:池田こみち Nikon Coolpix S9900 2016-12-22


出典:「神怡舘」 永楽級と壁画
撮影:青山貞一 Nikon Coolpix S9900 2016-12-22


つづく