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文化財の宝庫・中国山西省

臨汾市 <小西天

青山貞一 Teiichi Aoyama 池田こみち Komichi Ikeda
December 25, 2016
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文化財の宝庫、中国山西省
総論 神怡舘再訪  山西省概要1  山西省概要2  万里の長城1  万里の長城2
大同市 五台山 雲崗石窟  懸空寺  応県木塔 南禅寺 佛光寺  九龍壁
太原市 双塔寺 晋祠 玄中寺 天龍山石窟
晋中市 平遥古城 平遥古城壁 双林寺 綿山
臨汾市 小西天 東岳廟 運城市 関帝廟 永楽宮
その他 仏像 工芸品 民族楽器 書・絵画 まとめ 補:他寺院



◆臨汾市(りんふんし)概要

 臨汾市は、中華人民共和国山西省南部、汾河下流域にある地級市です。汾河が貫く臨汾盆地に位置し、市の西側の陝西省との境には黄河が流れています。古称は尭都です。伝説上、堯の故郷とされています。


壷口瀑布の近くの山にある山西臨汾の看板

 臨汾は華夏文化の発祥の地とされ、『帝王世紀』によれば尭が都城を設けた平陽が現在の臨汾に当たるとされています。また禹による九州設置の際には冀州が設置されました。

 春秋時代はが国都を置き統治し、戦国時代に晋が韓、趙、魏に分裂すると、韓が平陽に都城を設け臨汾を統治していました。

 秦による中国統一が達成されると、郡県制が施行され、臨汾は河東郡が設置され漢代まで継承されました。三国時代には247年(正始8年)に魏により平陽県が設置されています。

 その後も中原地区の要衝としての地勢的価値が高く前趙を建国した劉淵は309年(河瑞元年)にこの地に遷都しています。

 北魏による支配下では晋の古称である唐の名称が州名に採用された時期もありましたが、隋代になると583年(開皇3年)に臨汾郡が設置されこの名称が現在まで継承されることとなっています。

 解放後の1948年2月、晋南区として行政改編を受け、その後臨汾専区、晋南専区、臨汾専区と行政の変遷がありました。

 1978年に臨汾行政公署が成立、1983年には臨汾市が成立し、更に2000年11月1日に地級市に昇格し現在に至っています。

出典:Wikipedia

 以下は小西天の位置です。


出典:グーグルマップ

 小西天は臨汾市の西150kmにある寺で明代の1634年に創建されています。小西天の大雄宝殿内は四方浄土を表しています。

 小西天は隰県の西の鳳凰山の頂上にあり、旧称は千仏庵でした。1634年に建てられ、360年もの長い歴史を持ち、全国重点文物保護単位にも指定されています。

 隰県は三面から山に囲まれ、小西天は名前の通り、空に漂っているように見え、神様がいる雰囲気だと言ったとか。

 伝説では、昔はある奇麗な鳳凰がここの美景に魅了され、鳳凰山に化したそうです。この寺院は上下院に分けられ、構造が格別で、配置も新味があります。

 また明代建築としての小西天とともに、寺院内にある多くの生き生きとしていた色彩の仏像が特徴となっています。

 下院は主体で、無量殿には数十座の銅の仏像や木造の楼閣があり、僧人が経文を朗誦する場所です。上院には寺の真髄が凝集させ、大雄宝殿、文殊、普賢などの大殿があり、その仏像が生き生きして、本物のようにみえ、仏教の聖地とも言える場所です。

  以下は小西天の写真集です。
  

千仏庵(隰県小西天)の大雄宝殿 
出典:中国語Wikipedia


出典:山西臨汾隰縣千佛庵 讓人流連忘返的小西天


出典:互動百科 


出典:互動百科 
 

つづく