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◆雲崗石窟 世界遺産 「神怡舘」内部展示より 撮影:青山貞一 Nikon Coolpix S9900 2016-12-22 以下は雲崗石窟の位置です。 出典:グーグルマップ 行き方は、大同駅からバスで西に約18km、時間で36分ほどです。 出典:グーグルマップ 概要 雲崗石窟(うんこうせっくつ)は、中華人民共和国山西省大同市の西方20kmに所在する、東西1kmにわたる約40窟の石窟寺院。「雲崗石窟」としてユネスコの世界遺産(文化遺産) に登録されています。 詳細 雲崗石窟はもとは霊巌寺といい、現在では石仏寺などとも呼ばれています。北魏の沙門統である曇曜が文成帝に上奏して460年(和平元年)頃に、桑乾河の支流の武周川の断崖に開いた所謂「曇曜五窟」 (第16窟、第17窟、第18窟、第19窟、第20窟) に始まります。三武一宗の廃仏の第一回、太武帝の廃仏の後を受けた仏教復興事業のシンボル的存在が、この5窟の巨大な石仏でした。 その後も、第1・2窟、第3窟、第5・6窟、第7・8窟、第9・10窟、第11・12・13窟と大規模な石窟の造営が続けられ、雲岡期(460年-494年)と呼ばれる中国仏教彫刻史上の一時期を形成しました。 様式は、最初期の「曇曜五窟」には、ガンダーラやグプタ朝の様式の影響が色濃い。その後の石窟ではギリシア様式の唐草文様に代表される西方起源の意匠も凝らされており、当時の建築様式を模した装飾も豊富に見られます。 しかし、洛陽へ遷都する494年以降の末期になると、初期の雄大な質感は姿を消し華奢で力強さの感じられない造形が増加する傾向が顕著となっています。そして、この傾向の延長線上に、続く龍門期が待ち受けています。 また、その影響関係で言えば、雲岡の様式は涼州 (甘粛省) の石窟にその淵源を持つとも考えられますが、雲岡の影響は龍門・天龍山・南北の響堂山などの広範囲な石窟寺院に及んでいます。 (中国山西省大同市の郊外にある雲岡石窟は、それが遺跡名です。中国では「雲岡」と表記されているものが、何故か日本では山冠の載った「崗」の漢字で登録されています。本家の中国ではきちんと「岡」でオフィシャル登録されており、「崗」で検索すると検索に出て来ません。文字の定義からすると、両者の意味は異なっていますし、やはり現地で使われている正しい文字での登録が必要だと感じます) 以下をクリックすると雲崗石窟の大仏を修復中の写真が見れます。 ※ 雲崗石窟の研究 京都大学人文科学研究所 ※ 雲崗石窟石窟学術研究の著作について 以下は雲崗石窟の写真集です。 出典:山西省 雲崗石窟 撮影:青山貞一 Nikon Coolpix S9900 2016-12-22 雲崗石窟 出典:wikipedia 雲崗石窟 出典:wikipedia 雲崗石窟 出典:山西博物院 出典:山西博物院 出典:山西博物院 雲崗石窟 出典:wikipedia 雲崗石窟 出典:wikipedia 雲崗石窟 出典:中国国家観光局公式Web 雲崗石窟 出典:中国国家観光局公式Web 出典:山西観光局 出典:山西観光局 出典:山西観光局 雲崗石窟 建物を飾る龍 出典:wikipedia つづく |