本論考は以下の資料、情報、写真などをもとに執筆しています。
1.日中友好記念「神怡舘」で入手した資料、
「壮大な歴史との出会い 山西省 埼玉県山西省友好記念館」、
2.日中友好記念「神怡舘」で撮影した写真、
3.中国国家観光局資料、
4.山西省綿山風景區資料、
5. 山西観光局ホームページ
6. 維基百科,自由的百科全(Wikipedia)、
7. 日本語、中国語、英語のWikipedia、
8. グーグルマップ、 グーグルアース
なお、山西省には以下の世界遺産があります
・万里の長城(ばんりのちょうじょう)
・五台山(ごだいさん)
・雲崗石窟(うんこうせっくつ)
・平遥古城(へいようこじょう)
◆山西省の位置
中国における山西省の位置 出典:Wikipedia
◆山西省行政区分図
山西省は11の市から構成されています。なお、省都は1の太原市です。
なお、本論考では、11の市のうち、太原市、大同市、晋中市、臨汾市、運城市にある名城旧跡、寺院、文化財などを紹介します。
|
|
名称 |
面積 |
人口 |
|
|
(Ku) |
2010 |
1 |
太原市 |
6909.96 |
4,201,591 |
2 |
長治市 |
13957.84 |
3,334,564 |
3 |
大同市 |
14102.01 |
3,318,057 |
4 |
晋城市 |
9420.43 |
2,279,151 |
5 |
晋中市 |
16386.34 |
3,249,425 |
6 |
臨汾市 |
20589.11 |
4,316,612 |
7 |
呂梁市 |
21143.71 |
3,727,057 |
8 |
朔州市 |
10624.35 |
1,714,857 |
9 |
忻州市 |
25150.69 |
3,067,501 |
10 |
陽泉市 |
4569.91 |
1,368,502 |
11 |
運城市 |
14106.66 |
5,134,794 |
|
出典:Wikipediaから作成
以下は山西省の省都、太原市の写真です。
省都太原市 出典:山西観光局ホームページ
The Shanxi Museum located on the west bank of Fen River in downtown Taiyuan
山西博物院 出典:Chinese Wikipedia
大同市の雲高石窟 出典:Wikipedia
Western gate of a Temple of Heshen (River God) in Hequ, Xinzhou.
山西博物院 出典:Chinese Wikipedia
Temple of Guandi in Datong.
出典:Chinese Wikipedia
◆中国山西省の概要
まずは中国山西省概要のおさらいからはじめましょう。出典はWikipediaです。
|
|
山西省(英語:Shanxi)は、中華人民共和国の行政区分の一つ。省都は太原市。略称は晋です。
地理
北は万里の長城を挟んで内モンゴル自治区と、東は太行山脈を挟んで河北省と、南は黄河を挟んで河南省と、西は北上した黄河を挟んで陝西省とそれぞれ接しています。
山西高原は黄土高原の東部に当たり、北部では海河水系の沱河や桑乾河が東へ流れ、中部から南部は黄河水系の汾河が貫いています。主要都市は太原以外には大同があります。
民族
構成民族は漢族、回族、モンゴル族、満州族など。中国語のうち晋語(晋方言)が話されています。
歴史
春秋時代には晋の領域であり、晋分裂後は大部分が趙、一部が韓及び魏に属しました。秦代以降太原郡、河東郡等の管轄とされています。
西晋の時代になると并州、司州、幽州が設置され、五胡十六国時代の前趙・後趙・北魏がいずれも大同を国都と定めました。南北朝時代になると北魏により并州・汾州・恒州・肆州・建州・晋州・泰州・東雍州の8州が、隋代には太原、上党などの13郡が設置されました。
|
隋末になると李淵が山西省で起兵し唐朝を建て山西地区は河東道と称されました。宋代には河東路とされましたが、大同周辺は燕雲十六州の一部として遼朝の支配地域となりました。
元代になると山西地区は中書省直轄とされ山西道宣慰司が設置され、これ以降明代では1369年(洪武2年)に山西行中書省(1348年に山西布政使司と改称)、清代では山西省と「山西」の名称が使用されます。
中華民国成立後も山西省が設置されましたが、1914年(民国3年)に省北部に察哈爾特別区域(後の察哈爾省)が設置され、1952年まで山西省から別行政区画とされていました。
経済
沿海部に比べると、かなり貧しい地域ですが、大同や太原には大型の炭鉱があります。中国経済史上、山西商人(晋商)は全国に勢力を延ばし、中国の金融を支配していました。近年では経済発達に伴い、山西資本が沿岸大都市部の不動産投資を積極的に行っているといわれています。
・自然資源:石炭、鉄 ー 大同、太原には炭坑がある
・工業:鉄鋼、重機、自動車、化学工業
・農業:麦、トウモロコシ、高粱(モロコシ)、柿、葡萄など
・観光:世界遺産 ー 雲崗石窟(大同)、平遥古城など
山西商人
中国の山西省出身の商人・金融業者の総称です。山西は古くから鉄の産地として知られ、五代以降商人の勢力が形成されはじめましたが、最も活躍したのは明清時代です。
明代には北辺防衛の糧餉を確保するため開中法を施行しましたが、地の利を得ていた山西商人は米穀商と塩商をかねて巨利を得ていました。さらにその資金をもとに金融業にも進出し、活動範囲を全国に拡げ、新安商人とともに経済界を支配しました。明代には塩商を典型とする政商として利益を得ていましたが、清代には票号(為替)・銭舗(両替)・炉房(貨幣銭造)・当舖(質屋)の経営など金融業を主とし、その富で官界に影響力をもち、土地に対しても積極的に投資していました。
山西商人は徒弟制度を通じて同郷性を固守し、組合組織を固め祭祀や取引を共同にして、各地に山西会館を建てて活動の根拠地としていました。19世紀後半には全国の為替業務をほとんど独占するほどでしたが、新式銀行の発達や国際経済の中国浸透とともに衰退してゆきました。
三国志に出てくる同郷の関羽を信仰し始めたのはこの山西商人であり、現在では中国全土はおろか、華僑のいる世界各地に、関帝廟が祭られるようになっています。
出典:Wikipedia
◆山西商人(さんせいしょうにん)
Shan-xi shang-ren; Shan-hsi shang-jen
中国の明・清時代に活躍した山西省出身の商人を指します。彼らの勃興は明の辺境政策,開中法の実施と密接な関係があり,モンゴル人との戦いで長城一帯に駐屯した明の常備軍に対する諸物資の供給を受持って巨利を収め,地の利を得て商業界に活躍しました。
出典:コトバンク |
つづく |