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文化財の宝庫・中国山西省


万里の長城2  雁門関

青山貞一 Teiichi Aoyama 池田こみち Komichi Ikeda
December 25, 2016
Independent Media E-wave Tokyo
無断転載禁
文化財の宝庫、中国山西省
総論 神怡舘再訪  山西省概要1  山西省概要2  万里の長城1  万里の長城2
大同市 五台山 雲崗石窟  懸空寺  応県木塔 南禅寺 佛光寺  九龍壁
太原市 双塔寺 晋祠 玄中寺 天龍山石窟
晋中市 平遥古城 平遥古城壁 双林寺 綿山
臨汾市 小西天 東岳廟 運城市 関帝廟 永楽宮
その他 仏像 工芸品 民族楽器 書・絵画 まとめ 補:他寺院


世界遺産


「神怡舘」内部展示より
撮影:青山貞一 Nikon Coolpix S9900 2016-12-22


◆万里の長城と山西省との位置関係

 本稿部分では鷹取敦氏(環境総合研究所代表)による協力があります。また写真についてはトリップアドバイザーの協力があります。いずれも、この場を借りて感謝申し上げます。


山西省の位置    出典:Wikipedia


大同市の位置  出典:Wikipedia

 下は万里の長城の位置を示しています。その下に掲載したグーグルアースの写真と見比べると、山西省の大同市の北部に万里の長城がかかっていることが分かります。


万里の長城の位置  出典:中国語Wikipedia 


◆万里の長城と山西省との位置関係について

 ここでは、万里の長城と山西省との位置関係について可能な範囲で詳しく調べてみました。


万里の長城の位置   出典:Wikipedia


山西省の位置   出典:グーグルアース

 上記の二つの地図を重ねると以下のようになります。


山西省の位置   出典:グーグルアース、Wikipedia

 上記の地図から明らかなように、万里の長城は山西省北部、大同市、朔州市の近くを通過しています。

 万里の長城について、山西省との関係をより正確に、かつ広域までを示すと以下のようになります。以下は万里の長城の始点から終点までを示しています。


万里の長城について、山西省との関係をより正確に、かつ広域までを表示  出典:コトバンク

以下の写真は万里の長城の山西省部分です。


万里の長城の山西省部分 「神怡舘」内部展示より
撮影:青山貞一 Nikon Coolpix S9900 2016-12-22


山西省 (トリップアドバイザー提供)

 そして、万里の長城について、さらに調査を進めると、以下の「明時代の長城の地図」が出てきました。出典はアラチャイナです。

 以下をよく見ると、山西省北部の大同市あたりで、万里の長城の西に向かう部分と南に向かう部分を東西に結ぶ部分があることが分かります。しかも、東西の途中のYanmenguanに「関、ゲート」などの要塞があることも分かります。

 Yanmenguanは中国語で「雁門関」です。


Source:ARACHINA  出典:アラチャイナ 

 下の写真はそのYanmenguanの写真です。場所は山西省の大同市と太原市の中間に位置しています。

 Yanmenguanは中国語で雁門関と書きます。下はグーグルマップで山西省内の「雁門関」(がんもんかん、Yanmenguan)の位置を示したものです。


「雁門関」、Yanmenguanの位置  出典:グーグルマップ

 以下はWikipedia による「雁門関」(がんもんかん、Yanmenguan)の解説です。

◆雁門関(がんもんかん)

 雁門関(がんもんかん、Yanmenguan)は、中国山西省の北部、代県の西北、雁門山(別名勾注山)中にある、古来からの関所です。北方の異民族の侵入に対する、中国側の防衛拠点であり、数多くの戦いが繰り広げられてきました。2001年に全国重点文物保護単位に指定されています。

 雁門関のある雁門山は、東西の峰が対峙している様が門のようであり、そこを渡りの途上の雁が飛び抜けていくことから、雁門の名があります。中国の歴史を通じて、雁門関は、北方の異民族の南下に対する中国側の防衛拠点としての役割を担ってきました。


雁門関  出典:Wikipedia

 戦国時代末期に、趙の武将李牧がこの地に拠って匈奴の侵入を防いだのを初めとして、漢代には匈奴や鮮卑、南北朝時代から隋唐にかけては突厥や回鶻(ウイグル)、沙陀、五代から宋代にかけては契丹などの民族の中原への侵入路となり、激しい攻防戦が繰り広げられてきました。

 統計によれば、雁門関周辺で起きた戦いは大小1,700回を数えるとされています。ものすごい数です。

 雁門関は北魏の時代には東関と西関が両置されていましたが、唐代より西関が雁門関と呼ばれるようになりました。元代に至って雁門関は廃止されますが、明の洪武7年(1374年)に、吉安侯陸享の手で修復され、やや東の位置に移されました。

 以降、明代には瓦刺(オイラト)や韃靼(タタール)の侵入に対する上での、長城上の要衝として重視されるようになり、寧武関、偏頭関と共に外三関と呼ばれるようになりました。

出典:Wikipedia

 以下はトリップアドバイザーとYouTubeから「雁門関」を示したものです。現在でもこの「雁門関」はしっかり形をとどめていることが分かります。


出典:山西観光局ホームページ


出典:山西観光局ホームページ


Yanmenguan「雁門関」
出典:Tripadvisor “Remote Chinese style Castle”


Yanmenguan「雁門関」
出典:Tripadvisor “Remote Chinese style Castle”


Yanmenguan「雁門関」
出典:Yanmenguan pass great wall in Shanxi China YouTUbe


Yanmenguan「雁門関」
出典:Yanmenguan pass great wall in Shanxi China YouTUbe


Yanmenguan「雁門関」
出典:グーグルマップ

 下は雁門関の岩山の下を通るトンネルです。延長は5650mもあります。


雁門トンネル  出典:グーグルマップ


つづく