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トルコの世界遺産17-2

ギョレメ国立公園及び

カッパドキアの岩石遺跡
(1985年)


青山貞一 Teiichi Aoyama  池田こみち Komichi Ikeda 共編
掲載月日:2015年1月23日 更新:2019年4月~6月
独立系メディア E-wave Tokyo
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 次はトルコの世界遺産17-2です。

◆カッパドキア

 カッパドキア(ラテン語: Cappadocia)はトルコの中央アナトリアの歴史的地域、あるいはアンカラの南東にあるアナトリア高原の火山によってできた大地をいいます。

 古代の地理においてCappadocia (「美しい馬の地」を意味するペルシア語:Katpatukに由来)は、小アジア(現代のトルコ)の広大な内陸地域を指しました。ヘロドトスの時代には、「カッパドキア人」がタウロス山脈から黒海)までの全域をなしていました。

 この意味でのカッパドキアは、南ではタウロス山脈と、東ではユーフラテス川と、北はポントス地方(黒海沿岸部)と、西はおよそトゥズ湖と境界を接していました。しかし、その境界を正確に定義することは不可能です。

 その国の多少とも詳細な記録を記したただ一人の古代の著述家ストラボンは、その大きさを非常に誇張しましたが、現在は長さ約250マイル、幅150マイル以下の範囲だったと考えられています。

 カッパドキアという呼称の最初の記録は、紀元前6世紀後半に遡ります。そこでは、2人のアケメネス朝初期の王ダレイオス1世とクセルクセス1世について3言語で書かれた碑文に、ペルシア帝国を構成する一地方(古代ペルシア語でdahyu-「州」)として現れています。

 地方についてのこれらの一覧の中で、古代ペルシア語での名称はKatpatukaですが、ペルシア固有の言葉でないことは明らかです。エラム語とアッカド語版の碑文も、類似の名称を含んでいます。

 ヘロドトスは、カッパドキア人という名称はペルシア人(しかるに、彼らはギリシア人によって「シリア人」「白いシリア人」(Leucosyri)と呼ばれた)によって用いられたと伝えています。 彼が言及したカッパドキアの部族の一つはw:en:Moschoiであり、彼らはフラウィウス・ヨセフスによると、旧約聖書の人物ヤペテの息子メシェク(Meshech)に結び付けられ、ここにある「マザカ」という都市はメシェクが訛ったものとされました。

 ペルシア帝国後期の皇帝の支配のもとで、彼らは2つのサトラペイア、すなわち行政区に分割されました。中央と内陸の部分を含む一方に対して、ギリシアの地理学者によってカッパドキアの名前が使われ続け、そして他方はポントスと呼ばれました。この分割はクセノフォンの時代以前に既になされていました。

 ペルシア帝国滅亡後も2つの州は分離され続けたものので、両者の区別は恒久化された。カッパドキアは内陸の州(時に大カッパドキアと呼ばれる)に限定され、これのみが本稿の焦点となります。

 カッパドキア王国はストラボンの時代すなわち紀元前1世紀にはまだ名目上は独立国として存在していました。 キリキアはその国全体の首都であるカエサレア・マザカ(現在のカイセリ)が位置する地域に与えられた名前です。ストラボンは、カッパドキアの中で2つの都市のみが名を挙げるにあたいすると考えました。

 それは カエサレア(元はマザカとして知られた)とテュアナw:en:Tyanaで、タウルス山脈の麓から遠くない位置にあったと言えます。


 以下の写真は1996年、トルコのイスタンブールで開催された第二回国連人間居住会議(ハビタットⅡ)に出席したときに、カッパドキアを訪れた際に撮影したものです。ガイドはアンカラ大学日本語学科の学生です。


1996年、トルコのイスタンブールで開催された第二回国連人間居住会議(ハビタットⅡ)
に出席したときに、カッパドキアを訪れた際に青山貞一がエクラクロームで撮影

 以下の写真はトルコのカッパドキア(世界遺産)で撮影したものです。


Source: Wikimedia Commons


Source: Wikimedia Commons


Source: Wikimedia Commons


世界遺産17-3つづく