エントランスへはここをクリック   中央アジア・シルクロード  【世界紀行

  シルクロードの今を征く
Now on the Silk Road

トルコの世界遺産1-2

イスタンブル歴史地域(1985年)

青山貞一 Teiichi Aoyama  池田こみち Komichi Ikeda 共編
掲載月日:2015年1月23日 更新:2019年4月~6月、 公開予定日 2020年7月31日
独立系メディア E-wave Tokyo
 無断転載禁
総合メニュー(西アジア)

トルコの世界遺産

世界遺産1    世界遺産1-2   世界遺産2    世界遺産3    世界遺産4  世界遺産5
世界遺産6   世界遺産7     世界遺産7-2  世界遺産7-3   世界遺産8  世界遺産9
世界遺産9-2
 世界遺産9-3   世界遺産10    世界遺産11    世界遺産12 世界遺産13
世界遺産14   世界遺産14-2  世界遺産14-3  世界遺産14-4  世界遺産15 
世界遺産16
  世界遺産16-2  世界遺産16-3  世界遺産17    世界遺産17-2
世界遺産17-3 世界遺産17-4  世界遺産18    世界遺産18-2 

 次はトルコの世界遺産1-2です。

◆イスタンブル歴史地域 1-2(1985年)

イスタンブル歴史地域の主な歴史的建造物

 「イスタンブル歴史地域」は登録名の areas / zones が複数形になっている通り、以下の4つの保護地区から成り立っていまっす。



遺跡公園地区

 イスタンブル市エミノニュ区スルタンアフメト地区、旧ビュザンティオン市のあったトプカプ宮殿の丘を中心に設定された地区です。もっとも多くの建造物が集中しています。

スレイマニエ・モスクと付属保護地区

 エミノニュ区ベヤズト地区の丘の上にあるスレイマニエ・モスクを中心に設定された地区です。

ゼイレク・モスク(旧パントクラトール教会)と付属保護地区

 ヴァレンス水道橋そばのゼイレク・モスクを中心に設定された地区です。ファーティフ区のウンカパヌ地区にあたり、スレイマニエ・モスクの丘からみて谷間を挟んだ西にあたります。

イスタンブル大城壁地区

 5世紀初頭にテオドシウス帝によって建設された大城壁に沿って旧市街の外周に設定された地区です。

遺跡公園地区(スルタンアフメト地区)


トプカプ宮殿


外廷の正門「挨拶の門」(バービュッセラーム)
User:Spider death - 投稿者自身による作品, CC 表示-継承 2.5, リンクによる
Source:Wikimedia Cmmons

 15世紀から19世紀までオスマン帝国の君主が居住した宮殿です。旧ビュザンティオン市のアクロポリスがあった旧市街の半島の先端の丘に位置します。かつては宮殿を取り囲む城壁の傍らにアヤソフィア・モスクがあり、この地区で帝国の政治と公的行事が執り行われていました。数百年にわたって増築を繰り返された宮殿建築が残っています。

アヤソフィア


アヤソフィア
Hiro-o - The uploader photographed it, CC 表示-継承 3.0, リンクによる
Source:Wikimedia Commons

 360年建設、537年再建のキリスト教の大聖堂です。15世紀からのオスマン帝国時代にはモスクに転用され、20世紀に無宗教の博物館に変えられました。再建時以来の直径31mの大ドームとモザイク画、モスク時代に付け加えられた4本のミナレットをはじめとするモスクとしての装飾が残っています。

アト・メイダヌ

 古代ローマ都市ビュザンティオンの競馬場の跡地です。現在の名前はトルコ語で「馬の広場」を意味し、4世紀にエジプトから持ち込まれて競馬場の中心に据えられたオベリスクが現存します。

 3世紀に建設され、東ローマ帝国時代には「パンとサーカス」を通じて皇帝とコンスタンティノポリスの市民が触れ合い、時に反乱の勃発地となる政治の場でした。オスマン帝国時代には公園化され、イスラム教の祝祭でパレードに用いられました。

スルタンアフメト・モスク


スルタンアフメト・モスク
https://www.flickr.com/people/jlascar/ Jorge Láscar - Own work, I took the picture and release it with as per license on this page, CC 表示-継承 3.0, リンクによる
Source:Wikimedia Commons


スルタンアフメト・モスク
撮影:青山貞一 アサヒペンタックスSV

 1616年にアフメト1世が建設させたモスクです。アヤソフィアの南隣、アト・メイダヌの東隣に位置し、一帯の地名、スルタンアフメトの由来となっています。6本のミナレットと直径27.5mの大ドームをもち、数万枚のイズニク製タイルによって青く輝くことから「ブルー・モスク」の通称で広く知られています。

地下宮殿



イスタンブル 地下宮殿
CC BY-SA 2.1 es, リンク
Source:Wikimedia Commons

 スルタンアフメト地区の地下に広がるローマ時代の貯水池です。コリント式の円柱で支えられた広大な地下空間で、ヴァレンス水道橋を通じて市街のはるか西の郊外の水源地から引かれた水がたくわえられていました。円柱の基部として、ビュザンティオン時代のものと思われるメデュサの巨像の頭部が使われていることでも有名です。

スレイマニエ・モスク地区

スレイマニエ・モスク



スレイマニエ・モスク
CC 表示-継承 3.0, リンク
Source:Wikimedia Commons

 オスマン帝国の最盛期を築いたスレイマン1世が建築家ミマール・スィナンに命じて造らせたモスクです。1557年竣工です。オスマン建築の最高傑作のひとつで、大ドームの頂点の高さは53mに達します。周辺には病院などの複合施設群をもち、商業施設の収入で礼拝堂と慈善施設の経営が行われる仕組みとなっていました。

ゼイレク・モスク地区

ゼイレク・モスク


 モッラー・ゼイレク・モスクともいう。12世紀に建設されたキリスト教のパントクラトール修道院の付属教会をモスクに転用したものです。3つの教会と聖堂の複合建造物で、一部は現在もそのままモスクとして利用されているが、世界遺産として現在修復中で、観光地としての整備が進められています。

大城壁地区

テオドシウスの城壁


テオドシウスの城壁
Nevit Dilmen - 自ら撮影, CC 表示-継承 3.0, リンクによる
Source:Wikimedia Commons

 5世紀初頭にテオドシウス2世の治世に建設され、イスタンブル旧市街を完全に内側に覆いつくしている大城壁です。かつては内壁と外壁の二重構造の上、外側には堀がめぐらされ、さらに一定の間隔で塔が建設されて外敵からコンスタンティノポリスを完全に防御しました。現在は荒廃が進んでいますが、大部分は城壁の原形を十分に保っています。

カーリエ博物館

 城壁のすぐそばにある歴史的建造物。5世紀にコーラ修道院として建てられ、オスマン帝国時代はカーリエ・モスクとしてモスクに転用されていましたが、20世紀に漆喰の裏から14世紀頃に描かれたモザイク画が発見され、アヤソフィアと同じように無宗教の博物館として一般公開されました。細密に描かれたモザイク画やフレスコ画はビザンティン美術の最高傑作のひとつと言われています。


世界遺産2へつづく