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トルコの世界遺産7-3

トロイの考古遺跡(1998年)

青山貞一 Teiichi Aoyama  池田こみち Komichi Ikeda 共編
掲載月日:2015年1月23日 更新:2019年4月~6月、 公開予定日 2020年7月31日
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 次はトルコの世界遺産7-3です。

トロイの考古遺跡 1998年


断面図
User: Bgabel at q373 shared, CC 表示-継承 3.0, リンクによる
Source:Wikimedia Commons

 紀元前13世紀中ごろのヒッタイト王トゥドハリヤ4世時代のヒッタイト語史料に、アナトリア半島西岸アスワ地方の町としてタルウィサが登場します。これはギリシア語史料のトロイアに相当する可能性が示唆されています。また、同史料にウィルサ王アラクサンドゥスが登場します。これもそれぞれギリシア語史料のイリオスとアレクサンドロスに相当する可能性が示唆されています。

 トゥトゥハリヤ4世の治世はヒッサリク遺跡の第VII層Aの時代と一致しており、パリスの別名がアレクサンドロスであったことが知られています。このため、この史料の記録はギリシア史料によるトロイア戦争となんらかの関係があるのではないかと推測されています。

20世紀の発掘調査

 1932年〜38年 シンシナティ大学の考古学班が発掘を再開。
 1938年 第二次世界大戦の為に中断。
 1950年 シンシナティ大学の調査結果発表、46層位が確認されました。
 1990年 シンシナティ大学、ドイツ・トルコの考古学者と共に発掘・整備。

世界遺産・登録基準

 イリオスの遺跡は、1998年、「トロイの考古遺跡」としてユネスコの世界遺産(文化遺産)に登録されました。

 この世界遺産は世界遺産登録基準のうち、以下の条件を満たし、登録されました(以下の基準は世界遺産センター公表の登録基準からの翻訳、引用)。

(2) ある期間を通じてまたはある文化圏において、建築、技術、記念碑的芸術、都市計画、景観デザインの発展に関し、人類の価値の重要な交流を示すもの。

(3) 現存するまたは消滅した文化的伝統または文明の、唯一のまたは少なくとも稀な証拠。

(6) 顕著で普遍的な意義を有する出来事、現存する伝統、思想、信仰または芸術的、文学的作品と直接にまたは明白に関連するもの(この基準は他の基準と組み合わせて用いるのが望ましいと世界遺産委員会は考えている)。


 イリオス(古代ギリシア語イオニア方言形:Ἴλιος, Īlios イーリオス)は、ギリシア神話に登場する都市です。

 現在のトルコ北西部、ダーダネルス海峡以南(同海峡の東側、アジア側、トルコ語ではトゥルヴァ)にあったとされます。遺跡の入り口には、有名な「トロイの木馬」の複製が建てられています。

 一般に、ハインリヒ・シュリーマンによって発掘されました遺跡がイリオスに比定されています。神話ではかなりの規模を持った都市国家ですが、現在発掘によって確認される遺跡は城塞以上のものではありません。ギリシア神話においては、アガメムノーンを頭とするアカイア軍に滅ぼされましたとされ、そのあらましはホメロスの『イーリアス』をはじめとする叙事詩環に描かれています。


トロイでプリアモスの宝
パブリック・ドメイン, リンク
Source:Wikimedia Commons


テトラドラクマとアテーナー(紀元前165-150)
Classical Numismatic Group, Inc. http://www.cngcoins.com, CC 表示-継承 3.0, リンクによる
Source:Wikimedia Common

イリオスの建設

 かつてイリオスのある地域は、スカマンドロス河とニュンペーのイダイアの子であるテウクロス(テラモーンの子テウクロスとは別)が王として治めており、テウクロイと呼ばれていました。そこへアトラースの娘エーレクトラーにゼウスが生ませた子であるダルダノスがサモトラケ島からやってきました。

 ダルダノスはテウクロスの客となり、彼の娘バティエイアと領地の一部をもらいました。彼はそこにダルダノスという都市を築き、テウクロス王の死後、テウクロイの一帯はダルダニアと呼ばれるようになりました。

 ダルダノスの後はエリクトニオスが相続しました。エリクトニオスの後はトロースが継ぎました。トロースは、自分の名にちなんでダルダニアの地をトロイアと呼ぶことにしました。

 トロースはスカマンドロス河の娘カリロエーと結婚し、クレオパトラー(プトレマイオス朝の女王クレオパトラ7世とは別人)、イーロス、アッサラコス、ガニュメーデースをもうけました。

 ガニュメーデースが気に入ったゼウスは、鷲に変身してガニュメーデースをさらい、オリュンポスの給仕係としました。そして、その代償に馬を与えました。なお、アッサラコスの子がカピュスで、カピュスの子がアンキーセース。アンキセスの子がローマの元となった都市を築いた英雄アイネイアースです。

 トロースの子イーロスはプリュギアで、その地の王が主催した競技会の相撲の部に優勝。賞品として50人の少年と50人の少女を得ました。また王は彼に斑の牛をあたえ、「その牛が横になったところに都市を築けという神託が下ったlptpから、その通りにしなさい」といいました。

 イーロスが牛の後についていくと、牛はアテという丘で横になりました。そこでイーロスはそこに都市を築き、イリオスと名づけました。イーロスはアドラーストス(テーバイ攻めの七将の一人のアドラーストスとは別人)の娘エウリュディケと結婚し、ラーオメドーンをもうけました。イーロスの後はラーオメドーンが継ぎましだ。ラーオメドーンの子供には、娘のヘーシオネー、息子ティートーノス、ポダルケースなどが生まれたといいます。

アポロンとポセイドンによる城壁の建築

 あるときアポローンとポセイドーンはゼウスに対する反乱をくわだてました。このためゼウスの怒りを買い、人間の姿に身をやつし、イリオス王ラーオメドーンのためにイリオスの城壁を築くという罰を受けました(一説によると、城壁を築いたのはポセイドンだけで、アポローンは羊飼いの役目をしていたといいます)。

 城壁完成の後にアポローンとポセイドーンが報酬を貰おうとすると、ラーオメドーンはそれを拒絶しました。アポローンとポセイドーンは怒り、アポローンは疫病で、ポセイドーンは海の怪物でイリオスを悩ませました。

 その後、怪物にラーオメドーンの娘ヘーシオネーをささげれば、災いから逃れることができるという神託が下りました。そこで、海から来る怪物に見えるように、海岸近くの岩にヘーシオネーを縛り付けました。それを見たヘーラクレースは、ガニュメーデースの代償にゼウスが与えた馬をくれるなら、怪物を倒してヘーシオネーを救おうと申し出ました。

 ラーオメドーンが請合ったので、ヘーラクレースは怪物を倒してヘーシオネーを救いました。ヘーラクレースが報酬の馬を貰おうとすると、ラーオメドーンは拒絶しました。ヘーラクレースは、いずれイリオスを攻め落としに来るぞ、と捨て台詞を残して去って行きました。

ヘーラクレースによるイリオス攻め

 ヘーラクレースは参加者を募ってイリオス攻めを行いました。18艘の船による軍勢の中にはペーレウス(アキレウスの父)やテラモーン(大アイアース、テウクロスの父)もいました。軍勢は船をおりてイリオスを目指しました。イリオス王ラーオメドーンはヘーラクレースらの留守に船を襲いましたが、逆にヘーラクレースたちに包囲され、捕虜となりました。

 ヘーラクレースたちはイリオスを包囲し、テラモーンがイリオスへの一番乗りを果たしました。ヘーラクレースは自分よりも優れた者の存在が許せなかったので、テラモーンを殺そうとしました。テラモーンは機転をきかせて石を集めるふりをしました。不思議に思ったヘーラクレースがテラモーンに尋ねると、テラモーンは勝利者ヘーラクレースにささげる祭壇を築いているのだ、といいました。ヘーラクレースは喜び、ラーオメドーンの娘ヘーシオネーを彼に与えました。

 戦いの後、ヘーラクレースはヘーシオネーに捕虜のうちから一人だけ連れて行くことを許しました。ヘーシオネーはラーオメドーンの息子ポダルケースを選びましだ。ヘーラクレースがポダルケースの購いを求めると、ヘーシオネーは代償としてベールを差し出しました。

 このことから、ポダルケースはプリアモス(ギリシャ語の「買う」はプリアマイ)と呼ばれることとなりました。この時ポダルケース以外のラーオメドーンの息子はすべて殺されました。


世界遺産8へつづく