シルクロードの今を征く Now on the Silk Road アニの考古遺跡 (2016年) 青山貞一 Teiichi Aoyama 池田こみち Komichi Ikeda 共編 掲載月日:2015年1月23日 更新:2019年4月~6月、 公開予定日 2020年7月31日 独立系メディア E-wave Tokyo 無断転載禁 |
| 総合メニュー(西アジア) トルコの世界遺産 世界遺産1 世界遺産1-2 世界遺産2 世界遺産3 世界遺産4 世界遺産5 世界遺産6 世界遺産7 世界遺産7-2 世界遺産7-3 世界遺産8 世界遺産9 世界遺産9-2 世界遺産9-3 世界遺産10 世界遺産11 世界遺産12 世界遺産13 世界遺産14 世界遺産14-2 世界遺産14-3 世界遺産14-4 世界遺産15 世界遺産16 世界遺産16-2 世界遺産16-3 世界遺産17 世界遺産17-2 世界遺産17-3 世界遺産17-4 世界遺産18 世界遺産18-2 ◆アニの考古遺跡 (2016年) 現代 1989年から2005年にはBeyhan Karamağaralıの監督の下で、アンカラの国立ハジェッテペ大学 によって発掘作業が行われました。現代にはアルメニアが国境を挟んだすぐ対岸で石材採掘を行っており、ダイナマイトの爆発や重機の振動などが遺跡の劣化の原因となりました。 トルコの文化観光省はユネスコの諮問機関であるイコモスに対して陳情を行い、アルメニアはようやくダイナマイトの使用を中止しました。ワールド・モニュメント財団(WMF)は、1996年、1998年、2000年にアニを「最も危機に瀕しているサイト100」に選んでいます。 2011年5月、ワールド・モニュメント財団はトルコ共和国文化省と協力して聖堂や教会の保護作業を開始したと発表しました。2010年10月、グローバル・ヘリテッジ・ファンドは「消えゆく遺産の保護」と題した報告書の中で、取り返しのつかない損失や破壊「寸前」である12の場所のひとつにアニを挙げ、不十分な管理体制や主因として略奪の横行に言及しました。 2015年3月、トルコ共和国が翌年にアニをユネスコの世界遺産に推薦すると報じられました。2016年7月にトルコ共和国のイスタンブルで開催された第40回世界遺産委員会では、「アニの考古遺跡」(Archaeological Site of Ani, フランス語: Site archéologique d’Ani)として世界遺産(文化遺産)に登録されました。アルメニア人による宗教建築物としては、1996年に「ハフパット修道院」が世界文化遺産に登録されており、2000年にサナイン修道院が追加登録されて「ハフパット修道院とサナイン修道院」となっています。 文化 アニ (名)はアルメニア語の女性名であり、2012年にアルメニア共和国で生まれた女児に与えられた名前としては10位以内に入る人気がありました。 アニやその過去の栄光は、アルメニア語の歌や詩にも登場する「Tesnem Anin u nor mernem」 (Տեսնեմ Անին ու նոր մեռնեմ, Let me see Ani and die)はアルメニア人詩人のホヴハンネス・シラス による著名な詩です。トルコ系アルメニア人作曲家のCenk Taşkanはこの詩に歌を付けました。1999年にはアルメニア人民族音楽家のAra Gevorgyan が、『Ani』というタイトルのアルバムを製作しました。 建築物 アニ大聖堂 : アニ大聖堂は神の聖母教会としても知られています。スムバト2世の治世である989年に建設が開始され、スムバト2世の死後には建設が中断されたが、ガギク1世の治世である1001年に完成しました。設計を手掛けたのはアニのトゥルダトという中世アルメニアでもっとも偉大な建築家です。 三方後陣型のドーム・バシリカ様式でしたたが、ドームは1319年の地震で崩壊しました。内装には尖ったアーチやクラスタ化された柱など、当時としては進歩的な構造物が見られます。外観はゴシック建築です。 ティグラン・ホネンツ聖グリゴル教会 : 1215年に完成したティグラン・ホネンツ聖グリゴル教会は、アニでもっとも保存状態の良い建築物です。裕福なアルメニア人商人ティグラン・ホネンツが発注し、ザカリアン家がアニを支配していた時代に建設されました。ドーム型ホールと呼ばれる種類の教会であり、ファサードの前にはやや後の時代に建設された拝廊と小規模な礼拝堂の廃墟があります。 教会の外観は見事な装飾が施されており、内装にはふたつの重要な主題を描いた360度のフレスコ画があります。大規模な360度のフレスコ画はアルメニア建築 には珍しい特徴であり、これらはグルジアの芸術家によって描かれたとされています。拝廊と礼拝堂にはよりビザンティン美術色の濃いフレスコ画が断片的に残っています。 ![]() 聖プリキッチ(ハラスカル)教会 User:Ggia - 投稿者自身による作品, CC 表示-継承 3.0, リンクによる Source:Wikimedia Commons ![]() Church gate in Ani Martin Lopatka - https://www.flickr.com/photos/apothecary/5886573065/, CC 表示-継承 2.0, リンクによる Source:Wikimedia Commons 聖プリキッチ(ハラスカル)教会 : 聖プリキッチ(ハラスカル)教会は1035年以後に完成しました。外部から見ると円形に近い19角形、内部から見ると八角形の特徴的なデザインであり、中央は大規模なドームとなっています。聖十字架の断片物を保管するためにAblgharib Pahlavid王子によって建設されましました。現代まではほとんど損なわれずに残っていましたが、1955年の嵐で東側半分がまるまる崩壊しました。 Abughamrentsの聖グリゴル教会 : 小規模な建物であるAbughamrentsの聖グリゴル教会は10世紀末にさかのぼる可能性があり、アルメニア人貴族のPahlavuni家の個人的な礼拝堂として建設されました。中央集中型の図面であり、ドラムの上にドームを持っています。 聖グリゴルのガギク王教会 : 7世紀にヴァガルシャパトに建設されましたが930年の地震で崩壊したズヴァルトノツ大聖堂 を再現すべく、1001年から1005年の間に聖グリゴルのガギク王教会が建設されました。1905年から1906年に発掘調査を行ったロシア人民族学者のニコライ・マルは、この偉大な教会の基礎部分を明らかにしました。この教会を設計したのもアニのトゥルダトです。 この教会は建設後に比較的短期間で崩壊したことが知られており、後にはその遺構の上に住宅が建設されました。トゥルダトのデザインは大きさや図面の点でズヴァルトノツ大聖堂のそれに似通っています。 聖使徒教会 : 聖使徒教会の建設年は定かでありませんが、その壁面にはもっとも早い日付として1031年と刻まれています。Pahlavuni家によって建設され、アニ大司教によって使用されました。聖使徒教会の遺構はわずかに残っているのみですが、壮大な石造物が付随する拝廊は部分的にそのまま残っています。いくつものホール、礼拝堂、聖堂が聖使徒教会を取り囲んでいました。1909年にはマルが聖使徒教会の基礎部分を発掘しましたが、今日ではそのほとんどが破壊されています。 ![]() マヌーチヒルのモスクの西面 オリジナルのアップロード者は英語版ウィキペディアのAcarvinさん - en.wikipedia からコモンズに移動されました。, CC 表示-継承 2.5, リンクによる Source:Wikimedia Commons マヌーチヒルのモスク : マヌーチヒルのモスクの名称は、1072年以後にアニを支配したシャッダード朝のマヌーチヒルに由来します。ミナレットはほぼ無傷の状態で残っています。その北面にはアラビア語のクーフィー体で「Bismillah」(神の名において)と刻まれています。後の12世紀または13世紀に建設された礼拝ホールの半分も残っています。 ![]() マヌーチヒルのモスクの西面 オリジナルのアップロード者は英語版ウィキペディアのAcarvinさん - en.wikipedia からコモンズに移動されました。, CC 表示-継承 2.5, リンクによる Source:Wikimedia Commons 1906年にはマルの発掘作業で見つかった品々を保管する公共博物館として使用するために、モスクの部分的な修復が行われました。 要塞 : アニの街の南端部には頂点が平らな丘があり、「Midjnaberd」として知られた。この丘が防御機能を果たしたのは、カムサラカン家がアニを支配していた7世紀にさかのぼります。1908年と1909年にはマルがこの要塞丘の発掘調査を行い、丘の頂上部を占めていたバグラトゥニ朝の歴代支配者の宮殿の廃墟を発見しました。 要塞の内部からは3つの教会と正体不明の建築物が発見されています。このうちのひとつは「宮殿の教会」と呼ばれ、アニに現存する最古(6世紀か7世紀にさかのぼる)の教会です。マルはこの教会の緊急修復を手掛けましたが、今日ではその大部分が崩壊しており、1966年の地震時に崩壊した可能性があります。 城壁 : アニの街全体を城壁が囲んでいました。街の北側以外は河川や渓谷などの自然障壁があったため、街の北側は特に堅固な城壁が築かれました。アニの街は二重の城壁で防御されていました。より高いのは内側の壁であり、半円形の塔がちりばめられていた。これらの城壁を築いたのはスムバト2世(治世977年-989年)であるとされ、その後の統治者は城壁を高くしたり新たな塔を追加することで、スムバト2世の城壁をより強固なものとしました。城壁の北側には3つの門があり、それぞれ獅子門、カルス門、ドヴィン門と呼ばれました。 世界遺産 2016年、「アニの考古遺跡」としてユネスコの世界遺産(文化遺産)に登録された。今日のアニ遺跡にある21の建築物が世界遺産に登録されており、その登録面積は250.7ヘクタールです。 登録基準 この世界遺産は世界遺産登録基準のうち、以下の条件を満たし、登録された(以下の基準は世界遺産センター公表の登録基準からの翻訳、引用です)。 (2) ある期間を通じてまたはある文化圏において、建築、技術、記念碑的芸術、都市計画、景観デザインの発展に関し、人類の価値の重要な交流を示すもの。 (3) 現存するまたは消滅した文化的伝統または文明の、唯一のまたは少なくとも稀な証拠。 (4) 人類の歴史上重要な時代を例証する建築様式、建築物群、技術の集積または景観の優れた例。 世界遺産14-4へつづく |