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トルコの世界遺産16-2

ギョベクリ・テペ (2018年)

青山貞一 Teiichi Aoyama  池田こみち Komichi Ikeda 共編
掲載月日:2015年1月23日 更新:2019年4月~6月、 公開予定日 2020年7月31日
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 次はトルコの世界遺産16-2です。

ギョベクリ・テペ -2 (2018年)

台地


ギョベクリ・テペの周囲
Zhengan - 投稿者自身による作品, CC 表示-継承 4.0, リンクによる
Source:Wikimedia Commons


コンプレックスE
Klaus-Peter Simon - 投稿者自身による作品, CC 表示-継承 3.0, リンクによる
Source:Wikimedia Commons

 台地は侵食と採石によりその形を変えてきました。採石は新石器時代に限ったことではなく、ギリシャ・ローマ時代にも行われていました。台地の南部には長さ10メートル、幅20センチの4本の溝が見つかっています。これらは長方形のブロックを切り出した跡だと考えられています。

 これらはすぐ近くに土台のみ残っている長方形の建物に関わりがあるものと見られます。おそらくはリメス・アラビクス(ローマの国境防衛線)上の見張り塔であることが良くわかっていません。

 台地の地形はほとんどが新石器時代に行われた巨大な一枚岩の彫刻のための採石によるもののように思われました。それらのブロックをはぎとったような輪郭が岩肌にのこっています。そして円形の石材が生産されていたらしい石切り場も見つかっています。

 この「石切り場」説は南東の斜面で3メートル四方の石材が見つかったことで信憑性を得た。まだ切り出されていない丁字型の石柱が3本みつかっており、これらは新石器時代の石切りによるものとみて間違いありません。最も大きなものは北に残されています。

 長さは7メートル、頭の部分の幅は3メートルに及びます。この石柱の重さは50トン前後と予想されます。完成していない他の2本は南の台地に放置されていました。

 西の縁ではライオンのような像が見つかっています。この地域には燧石や石灰岩の欠片が多数散らばっており、彫刻の工房があったのではないかと考えられます。

 一方で、南の台地の表面3ヶ所に描かれたファルス(陰茎)には謎が残ります。それらがギリシャ・ローマ時代の石切り場に近いことも年代の特定を難しくしていまする。

 遺丘から離れたところに切り出された基礎があります。石柱を支えるためにあけられたのであろうソケットが2つ、それとそれらを囲むようにベンチが備えています。この基礎の構造は遺丘の第三層の基礎と一致します。この基礎はコンプレックスEとよばれています。ネヴァリ・コリの神殿と似ているので、同様に「石の寺院」とも呼ばれています。

 床は滑らかで、基盤岩から丁寧に切り出されています。これはギョベクリ・テペの若い遺構の床にみられるテラゾーを思わせます。すぐ北西には2つの貯水槽のように見える穴がありおそらくはコンプレックスEの一部と考えられています。穴の一方には腰くらい高さの標と5段の階段が備わっています。

 西の急斜面には洞穴が見つかっており、小さな牛のレリーフが見つかっています。この洞穴から見つかったレリーフはこれだけです。

第三層


エンクロージャAのロー・レリーフの施されたピラー2(第三層)、レリーフはウシ、キツネ、ツルと考えられています。
Teomancimit - 投稿者自身による作品, CC 表示-継承 3.0, リンクによる
Source:Wikimedia Commons

この遺跡の歴史の早い段階に円形の構(temenos)が初めて現れます。直径は10から30メートル。特筆すべき特徴は石灰岩でできた丁字型の石柱です。

 石柱は同じ高さにそろえて立てられ、加工されていない石で作られた分厚い内壁はめ込まれています。いまのところ発掘により4つの円形の構が掘り出されています。さらに16の構が埋まっており、それらが1つにつき8以上の柱を備えていて、柱の数は合計200近くになることが物理探査によりわかっています。これら石材は丘の頂上から100メートルはなれたところにある岩盤の穴から切出されました。労働者が燧石(フリント)の刃物によって石灰岩の岩盤から切り出していたと考えられています。

 各円形の構の中心にはやや高めの2本の柱が向かい合わせで立てられています。これらの構が屋根を備えていたものかはわかっていません。内装として人が座れるようにデザインされたベンチが見つかっています。

 多くの石柱は抽象的で謎めいたピクトグラムや、動物の彫刻で装飾されています。新石器時代の洞窟壁画等によく見られるように、これらのピクトグラムもコミュニティで共有する聖なるシンボルだった可能性があります。レリーフはライオン、ウシ、イノシシ、キツネ、ガゼル、ロバといった哺乳類、ヘビやその他の爬虫類、昆虫や蜘蛛といった節足動物そして鳥、とくにハゲワシがモチーフになっています。

 この神殿が造られた当時は周囲の土地には森が広がり、これらのさまざまな生き物をはぐくむ生態系が存在していたようです。定住と農耕がダストボウルに近いコンディションをもたらしてしまう1000年前の時代です。チャタル・ヒュユク、エリコでもハゲワシはよく描かれます。

 アナトリア、中東の初期の新石器時代の文化では死者は敢えて野ざらしにし、ハゲワシや他の死肉をあさる鳥に死体を処理させていたと信じられています(祖先崇拝の思想によるものか頭部に関しては時に保存されることもあったようです) 。この文化はチベットの仏教徒やイランやインドのゾロアスター教徒が現在も行っている鳥葬の初期の形を示しているのかもしれません。


捕食動物の彫刻の施されたエンクロージャCのピラー27(第三層)。
Cannon A75, but image later modified, パブリック・ドメイン, リンクによる
Source:Wikimedia Commons


キツネの彫刻の施されたピラー
Zhengan - 投稿者自身による作品, CC 表示-継承 4.0, リンクによる
Source:Wikimedia Commons

 いくつかの人の形をした像がギョベクリ・ペテの地表で見つかっています。いくつかの丁字型の石柱には下半分に人の腕の彫刻が彫られています。このことからこれら石柱の下半分はデフォルメされた人(あるいは神)の体を表しているとも考えられます。少数ですがふんどしの施された石柱も見つかっています。

 この考え方でいくと石柱の上部は人の頭を象徴しているということになります。したがって石柱から擬人観を伺うことができます。これらの石柱が崇拝者の代理として造られたのか、あるいは崇拝すべき祖先なのか、超常的な存在なのかははっきりしません。

 第三層、エンクロージャ2のピラー27で、ほとんど石柱の周囲全体に彫り込まれたヒョウとみられる捕食動物の彫刻が見つかると話題を集めます。狩猟採集社会の中に垣間見える芸術的訓練と職工の存在が驚きを与えました。

 この一番古い層のいくつかの床はテラゾー(焼かれた石灰)で造られています。それ以外は岩盤で造られ、巨大な一対の中央の石柱を支える台座を備えています。中央の石柱にはハイ・レリーフ(彫刻のように浮き出ているレリーフ)が施されています。これら初期の遺構は
放射性炭素年代測定により紀元前9600年から紀元前8800年と見積もられました。放射性炭素は(理由は定かではないが)遺構が石器時代の期間に埋められたことを示しています。


世界遺産16-3へつづく