シルクロードの今を征く Now on the Silk Road ハットゥシャ (1986年) 青山貞一 Teiichi Aoyama 池田こみち Komichi Ikeda 共編 掲載月日:2015年1月23日 更新:2019年4月~6月、 公開予定日 2020年7月31日 独立系メディア E-wave Tokyo 無断転載禁 |
| 総合メニュー(西アジア) トルコの世界遺産 世界遺産1 世界遺産1-2 世界遺産2 世界遺産3 世界遺産4 世界遺産5 世界遺産6 世界遺産7 世界遺産7-2 世界遺産7-3 世界遺産8 世界遺産9 世界遺産9-2 世界遺産9-3 世界遺産10 世界遺産11 世界遺産12 世界遺産13 世界遺産14 世界遺産14-2 世界遺産14-3 世界遺産14-4 世界遺産15 世界遺産16 世界遺産16-2 世界遺産16-3 世界遺産17 世界遺産17-2 世界遺産17-3 世界遺産17-4 世界遺産18 世界遺産18-2 次はトルコの世界遺産3です。 ◆ハットゥシャ - (1986年) ![]() 出典:Wikipedia ハットゥシャ(ヒッタイト語: URUHattuşa)またはハットゥシャシュ (トルコ語: Hattuşaş)は、トルコの首都アンカラより東に145kmのボアズカレ(旧・ボアズキョイ)近郊、海抜1000mほどの丘陵地帯にある遺跡です。 紀元前17世紀 - 紀元前13世紀に繁栄したヒッタイト帝国の都です。 概要 1906年、ドイツの考古学者フーゴー・ウィンクラーによって発見されました。その後、発掘調査がおこなわれ、大神殿跡、突撃門や上の街神殿群跡、獅子門などが確認されています。1986年、ユネスコの世界遺産に登録されました。 世界遺産登録基準 この世界遺産は世界遺産登録基準のうち、以下の条件を満たし、登録された(以下の基準は世界遺産センター公表の登録基準からの翻訳、引用です)。 (1) 人類の創造的才能を表現する傑作。 (2) ある期間を通じてまたはある文化圏において、建築、技術、記念碑的芸術、都市計画、景観デザインの発展に関し、人類の価値の重要な交流を示すもの。 (3) 現存するまたは消滅した文化的伝統または文明の、唯一のまたは少なくとも稀な証拠。 (4) 人類の歴史上重要な時代を例証する建築様式、建築物群、技術の集積または景観の優れた例。 写真ギャラりー ![]() ハットゥシャの聖地ヤズルカヤの地下遺跡にみえる12神 Klaus-Peter Simon - 投稿者自身による作品, CC 表示 3.0, リンクによる Source:Wikimedia Commons ![]() シャルマ神とトゥドハリヤ王を描いた石彫(紀元前約1250年-1220年) Klaus-Peter Simon - 投稿者自身による作品, CC 表示 3.0, リンクによる Source:Wikimedia Commons ![]() シュッピルリウマ2世のレリーフ China Crisis, CC 表示-継承 2.0, リンクによる Source:Wikimedia Commons ![]() イェニジェカレ(yenicekale)に残るヒッタイトの廃墟 China Crisis, CC 表示-継承 2.0, リンクによる Source:Wikimedia Commons ![]() ハットゥシャの城壁 China Crisis, CC 表示-継承 2.0, リンクによる Source:Wikimedia Commons ![]() ハットゥシャの大神殿 China Crisis - 投稿者自身による作品 : Photo taken during our holidays in Turkey., CC 表示-継承 2.0, リンクによる Source:Wikimedia Commons ![]() ヤズルカヤにあるトゥドハリヤ4世像。左上隅はルウィ語のヒエログリフで彼の名を記したカルトゥーシュ User:China_Crisis - 投稿者自身による作品, CC 表示-継承 2.5, リンクによる Source:Wikimedia Commons ![]() ハットゥシャで発見された、ヒッタイト・エジプト和平条約を記した粘土板文書(イスタンブル考古学博物館) Picture taken by deror avi on July 2005. - 投稿者自身による作品, Attribution, リンクによる Source:Wikimedia Commons 世界遺産4へつづく |