石田三成の古里 伊富貴山 観音寺 青山貞一 池田こみち September 8 2016 Alternative Media E-wave Tokyo 無断転載禁 |
私達は2016年9月6日、大阪に所用があり、所用が終了後、在来線でJR大阪駅 から長浜駅まで行きました。その日は、長浜駅近く、長浜城近くの国民宿舎に宿泊しました。 その後、長浜駅でレンタカーを借り、石田三成に関連する歴史的な場所を訪問しました。 最初に訪れたのは、長浜市石田町にある生誕地、そして三成の墓所でした。 その後、隣町、すなわち米原市朝日にあります通称、観音寺、正式には伊富貴山 観音護国寺を訪問しました。 下はグーグルマップで見た観音寺の位置です。長浜市の石田町から観音寺は非常に 近い位置にあることが分かります。 出典:グーグルマップで見た観音寺の位置 観音寺は石田三成が十五の時、長浜城を居城とする豊臣秀吉と最初に出会った場所です。 私達は長浜市石田町からレンタカーでさらに東に向け走り、観音坂トンネルをくぐったところで 観音寺の山門が見えました。 下の写真は長浜側から見た観音坂トンネルです。 撮影:青山貞一、Nikon Coolpix S9900 2016-9-7 下の写真の中央に見えるのが観音寺の山門です。 、 撮影:青山貞一、Nikon Coolpix S9900 2016-9-7 下は山門の手前にあった近江西国十二番、観音寺の概要です。 撮影:青山貞一、Nikon Coolpix S9900 2016-9-7 この観音寺(かんのんじ)は、滋賀県米原市にある天台宗の寺院であり、山号は伊富貴山、 本尊は十一面千手観音です。通称、大原観音寺と呼ばれています。 その歴史は、仁寿年間(851年 - 854年)、三修によって創建されています。大変古い寺です。 もとは伊吹山四大護国寺として法相宗に属していましたが、弘和(永徳)3年(1383年)に 天台宗に改めています。 とりわけこの寺を有名にしているのは、長浜城主の羽柴秀吉が鷹狩りで立ち寄った際、寺の 小僧をしていた石田三成を「三碗の才」で見出したことでです。これは「三献の茶」として全日本 的に有名です。 文化財としては、国の重要文化財として本堂、鐘楼、惣門、木造伝教大師坐像があります。 観音寺は、石田三成が豊臣秀吉に最初に出会った場所として有名ですが、天台宗の寺院 そのものとしても、今の日本にあってなかなか巡り合えない稀有で秀逸な寺と言えます。 下が国の重要文化財となっている惣門の写真です。 撮影:青山貞一、Nikon Coolpix S9900 2016-9-7 下は、山門から観音寺の本堂などの主要伽藍までを絵地図としたものです。 見てお分かりのように、惣門から本堂まではかなりの距離があります。 撮影:青山貞一、Nikon Coolpix S9900 2016-9-7 観音寺の本堂などの伽藍は、ここから車で進み駐車場に車を置きます。 さらに階段を上ったところにあります。 惣門から本堂までは、砂利道が続き、路端には芙蓉の花が咲き誇っていました。 駐車場は本堂までの道のかなり手前にあり、私たちは陽射しが強いなか、数分歩いて 本堂に向かいました。 撮影:池田こみち、Nikon Coolpix S9900 2016-9-7 車を駐車場に置いた後、下の写真にある石階段を上ります。 この日は、好天、写真のように、強い日差しが降り注ぎ、一方、暗い日陰もできています。 撮影:青山貞一、Nikon Coolpix S9900 2016-9-7 下は池田が撮影した階段の真下から見た観音寺の本堂です。 撮影:池田こみち、Nikon Coolpix S9900 2016-9-7 この角度から撮影した観音寺本堂は、いろいろな観光パンフレットだけでなく、たとえば NHKの「真田丸」のウィークリー「ステラ」にもあります。 出典:NHKの「真田丸」のウィークリー「ステラ」 以下は、現地で「三成会議」が発行しているカラーパンフ、「石田三成に逢える近江路」 にある階段と本堂です。 出典:「三成会議」発行カラーパンフ、「石田三成に逢える近江路」 このように、いつ、誰が撮影してもこの本堂に通ずる階段は素晴らしい構図の写真 となります。まさに、「石田三成に逢える近江路」の石段と言えます。 つづく |