1. 三成に過ぎたる者 〜名将 島左近〜
五奉行の筆頭となった三成ですが、その三成に「過ぎたる者」と称された石田家の重臣がいます。それがご存じ「島左近」!左近は「関ヶ原の戦い」で激戦を繰り広げ、壮絶な討死を遂げたと言われている人物です。(生存説あり)
左近の鬼のような声は敵を震え上がらせ、江戸時代に入ってもそのことを思い出すだけで元兵士たちは身の毛がよだって汗をかき夢にまで見て飛び起きた、という程だったと言います。
そんな猛将の左近を三成は自分の禄高半分を与えて召し抱えた逸話が残っております。
「水口城主になり4万石を与えられた三成は、優秀な家臣を召し抱えるために、筒井家を離れ浪人となった左近を召し出した。そこで提案した禄高は2万石、左近は三成に仕えることになった。」
実はこの逸話、少々問題がありまして、三成が1583年に水口城主となった時といわれていますが、その頃に4万石をもらっているのはあまりにも多すぎるのです。「賤ヶ岳の戦い」で武功第一といわれた福島正則が5000石しかもらっていないので、いくら一番槍を挙げて、側近として優れていた三成でも、4万石はもらいすぎです。
諸説ありますが、おそらく三成は水口城主になった時は、4万石より少なく1万石前後の禄高をもらっていたと考えられます。では、この左近との逸話はなかったのか!? 真偽の程は誰もわかりませんが、私は1万石という少ない禄高の中から半分ほどを左近に与えたのではないかと思いたくなります。
「そこまでして俺を雇ってくれるか」左近はそれを粋に感じ、「関ヶ原の戦い」で最後まで三成に忠節を尽くしたのではないでしょうか。
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