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◆青山貞一・池田こみち: 幻想の国 北アフリカ モロッコ | ||
1 モロッコ王国の基礎情報 | 18 フェス・マドラサ | 35 カスバ街道:・バラの谷 |
2 モロッコの交通 | 19 フェス・技と巧(繊維織物) | 36 ワルザザート 映画スタジオ |
3 モロッコで出会ったネコ達 | 20 フェス・要塞から見た旧市街 | 37 アイット・ベンハッドウ1 |
4 カサブランカ・ムハンメドX世宮殿 | 21 フェス・技と巧(陶器工房) | 38 アイット・ベンハッドウ2 |
5 カサブランカ・ハッサンU世モスク 1 | 22 フェスからイフレンへ ・絶景の旅1 | 39 アイット・ベンハッドウ3 |
6 カサブランカ・ハッサンU世モスク 2 | 23 イフレンからミデルトへ ・絶景の旅2 | 40 アイット・ベンハッドウ4 |
7 ラバト・首都 | 24 ミデルトからエルラシディアへ ・絶景の旅3 | 41 カスバ街道・アトラスに向かう |
8 ラバト・ムハンマドX霊廟 | 25 エルラシディア・オアシス | 42 アトラス山脈ティシュカ峠) |
9 ラバト・未完のハッサンの塔 | 26 エルフード ・化石工房 | 43 参考・アトラス山脈カスバ・テェルウェット |
10 メクネス・悠久の城壁都市 | 27 メルズーガ ・駱駝(らくだ)ツアー1 | 44 アトラス山脈絶景 |
11 メクネス・華麗な霊廟 | 28 メルズーガ ・駱駝(らくだ)ツアー2 | 45 アルガン油の伝統製法 |
12 フェス・幻想の迷宮 | 29 エルフード ・砂漠ホテル | 46 マラケシュ・概要 |
13 フェス・迷宮内の宮廷料理 | 30 カスバ街道・地下水路 | 47 マラケシュ・バイア宮殿 |
14 フェス・技と巧(彫金) | 31 カスバ街道・ティネリール | 48 マラケシュ・クトゥビーヤ・モスク |
15 フェス・一般家庭でミント茶 | 32 トドラ渓谷 希有・特異地形1 | 49 マラケシュ・壁と門 |
16 フェス・技と巧(皮なめし) | 33 トドラ渓谷 希有・特異地形2 | 50 マラケシュ・ジャマエルフナ広場 |
17 フェス・神学校 | 34 カスバ街道の絶景 |
![]() モロッコ現地視察の経路図 グーグルマップ地形図より青山貞一作成 ●テェルウェットのカスバ (Kasbah du Telouet) 実は、ティシュカ峠の近くにモロッコ国内で保存状態が良いすばらしいカスバがある。 カスバ テェルウェット Kasbah du Pacha el Glaoui, Telouet である。 カスバ テェルウェットは、時にはカスバの宮殿と呼ばれる19世紀にできたすばらしいカスバである。 ![]() カスバ テェルウェット Kasbah du Pacha el Glaoui, Telouet Source:French Wikipedia ![]() Kasbah du Pacha el Glaoui (トリップアドバイザー提供) 場所は、ベルベル人の小さな村、テェルウェット(Telouet)に位置しており、モロッコのハイアトラスの山中にある。このテェルウェットには、ワルザザートからマラケシュに向かう幹線道路から脇に入り山中を約10km行くことになる。 下の地図でN9がワルザザートからマラケシュに向かう幹線道路、その途中を右折し約10kmほど山中を行くと、行き止まりとなる。そこがテェルウェット(Telouet)の村である。地図ではAで示している。以下の地図では、下側が南でワルザザート、上側が北でマラケシュ方面となる。 ![]() 以下にグーグルマップでテェルウェット村の位置を示す。 大きな地図で見る 出典:グーグルマップ 以下は、グーグルアースで見た Kasbah du Pacha el Glaoui, Telouet である。Kasbah du Pacha el Glaoui, Telouet はかなり大きなカスバである。 ![]() グーグルアースで見た Kasbah du Pacha el Glaoui, Telouet この宮殿のようなカスバがある場所は、歴史的にハイアトラスの戦略的位置を占めており、宮殿の主(豪族グラウィ)は、キャラバン商人が峠を通過する際に通過料を取るなどの特権を持っていたとされる。また、近くにはモロッコ国内で主要な塩鉱山もある。それらの権益をもとにTelouet地区の豪族として君臨し、蓄財を投じてこの大きなカスバをつくったとされる。 以下は英国のBBCによるドキュメント報道。 ※Reviving the last Pasha of Marrakech BBC 以下はこのカスバ テェルウェットに伝わる希有なパフォーマンスの動画である。 ※Telouet Kasbah in Morocco: A Rare Performance ![]() カスバ テェルウェット Kasbah du Pacha el Glaoui, Teloue Source:French Wikipedia 現在、この宮殿は、マラケシュとワルザザートを結ぶ道路からアクセスが可能である。 現在のカスバは、遺跡となっているカスバの隣に、 Glaouiによって1860年から建設が始められた。その後、ThamiとGlaouiによって20世紀前半まで建設が続いた。 ![]() 遺跡 Kasbah du Pacha el Glaouil (トリップアドバイザー提供) ある言い伝えでは、300人の労働者が天井や壁を飾るために3年間働いていたとされている。 事実、室内には細密な石膏彫があり、杉を使った天井などカスバとしては贅沢の限りがつくされている。さらに屋根は緑色に塗られたセラミックタイルが敷き詰められている。 これらからカスバの持ち主は地域でかなりの富を残した人物と目されている。 今回は時間の関係で十分視察できなかったが,次回は是非、現地視察してみたい。ワルザザート側からよりマラケシュ側から行けば比較的近いかもしれない。 以下はトリップアドバイザー提供の写真でみる Kasbah du Pacha el Glaoui, Telouet である。 ![]() Kasbah du Pacha el Glaoui (トリップアドバイザー提供) ![]() カスバ テェルウェット Kasbah du Pacha el Glaoui (トリップアドバイザー提供) ![]() カスバ テェルウェット Kasbah du Pacha el Glaoui (トリップアドバイザー提供) ![]() カスバ テェルウェット Kasbah du Pacha el Glaoui (トリップアドバイザー提供) ![]() カスバ テェルウェット Kasbah du Pacha el Glaoui (トリップアドバイザー提供) ![]() カスバ テェルウェット Kasbah du Pacha el Glaoui (トリップアドバイザー提供) ![]() カスバ テェルウェット Kasbah du Pacha el Glaoui (トリップアドバイザー提供) ![]() カスバ テェルウェット Kasbah du Pacha el Glaoui (トリップアドバイザー提供) ![]() カスバ テェルウェット Kasbah du Pacha el Glaoui (トリップアドバイザー提供) ![]() カスバ テェルウェット Kasbah du Pacha el Glaoui (トリップアドバイザー提供) ![]() カスバ テェルウェット Kasbah du Pacha el Glaoui (トリップアドバイザー提供) ![]() カスバ テェルウェット Kasbah du Pacha el Glaoui (トリップアドバイザー提供) ●ティフルトゥトのカスバ Kasbah de Tifoultoute さらに、 Kasbah du Pacha el Glaoui, Telouetとは別に、ティフルトゥトのカスバ Kasbah de Tifoultoute がワルザザード近郊にある。ティフルトゥトのカスバ は遠見には、 Kasbah du Pacha el Glaoui, Telouetに似ているが、前者はアトラス山脈の山中にあり、後者はワルザザード近くの砂漠にある。 ![]() ティフルトゥトのカスバ ワルザザート (トリップアドバイザー提供) ![]() ティフルトゥトのカスバ ワルザザート (トリップアドバイザー提供) ![]() ティフルトゥトのカスバ ワルザザート (トリップアドバイザー提供) これも大きなカスバである。市街の西方約8キロメートル、ワルザザードとエルフードを結ぶカスバ街道沿いに位置する。 同地方を治めた豪族グラウィ家が所有していたカスバの一つ。グラウィはカスバ テェルウェットを建てたGlaouiでもあるはずである。 ティフルトゥトのカスバは映画「アラビアのロレンス」のロケ地にもなった。現在はレストランとなっており、内部を見学することは可能である。 ●ティフルトゥトのカスバ Kasbah de Taourirt その他、ワルザザート近郊には、タウリルト‐の‐カスバ 「タウリルトのカスバ」もがある。 この《 Kasbah de Taourirt 》は、モロッコ中部の都市ワルザザードの市街東部にあるカスバ(要塞化された集落)である。このカスバは17世紀に建造されている。 やはり、この地方を治めた豪族グラウィ家が所有していたカスバのひとつである。 ここでは1990年に制作された映画、「フィルタリング・スカイ」(音楽、坂本龍一)の舞台にもなっている。なお、グラウィは20世紀初頭、マラケシュの司令官でもあった。 つづく |