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2014年12月24日、午前中は旧荒川村、現在の秩父市の旧荒川村にある寺院を4つほど回りました。この日3つ目の訪問先、法雲寺には増上寺の2基の石灯籠があり、いずれも惇信院(徳川家重)のものとされています。 法雲寺の場所は、通称、彩甲斐街道、国道140号線で秩父市中心部から山梨県側に向かい、途中、奥秩父の「平和橋」で左折します。その後、笠間稲荷神社の少し先を左折し、山道をひたすら登ってゆきます。下の地図では左側が山梨県側、右側が秩父市の中心部となります。私達は秩父市の中心部から国道140号線で来ました。 法雲寺の位置 出典:グーグルマップ 途中からくねりくねった山道を道に沿ってどこまでも約1km登ってゆきます。終点に札所三十番の法雲寺の駐車場があります。 法雲寺の位置 出典:グーグルマップ ◆法雲寺の概要 法雲寺の正式名称は、札所30番 瑞竜山 法雲寺、地番は、秩父市荒川白久432番地となります。 ・札所30番 瑞竜山 法雲寺(ずいりゅうざん ほううんじ) ・宗派/曹洞宗 本尊/千手観世音菩薩 ・所在地:秩父市荒川白久432番地 ・所有者:法雲寺 撮影:青山貞一 Nikon Coolpix S8 2014-12-24 ◆法雲陀寺の由来、縁起 法雲寺は、臨済宗建長寺派に属し、唐の玄宗皇帝の作になるという如意輪観音を本尊としています。臨済宗建長寺は神奈川県鎌倉市にある由緒ある臨済宗の大本山です。 法雲寺の開山は、鎌倉の本山建長寺十九世道陰物恵禅師(中国の僧といわれ正中2年(1325)寂)と伝えられています。堂宇は、元和元年(1615)には、観音堂(深谷堂)のほか、別当である本堂・礼堂・仁王門等も備えていましたが、嘉永年間(1849年頃)の火災で、観音堂のみを残し焼失しました。堂は六間四面で、回廊を巡らしています。 駐車場から秩父札所30番寺の参道につけられた10数段の石段を上ると、右側に納経所を付設した庫裏があります。 撮影:青山貞一 Nikon Coolpix S8 2014-12-24 駐車場から法雲寺の境内へ 下は庫裡の前にある池です。 庫裡の前の池 撮影:池田こみち Nikon Coolpix S6400 2014-12-24 法安寺の庫裡 撮影:青山貞一 Nikon Coolpix S8 2014-12-24 本尊・如意輪観世音 本尊の如意輪観世音は、元応元年(1319年)建長寺の道隠禅師が唐より奉持したと伝えられています。唐の玄宗皇帝が、楊貴妃の菩提を弔うため自ら彫刻し、不空三蔵が開眼したといわれています。古い納札法雲寺には、秩父札所ならびに日本百番観音霊場の成立にかかわる資料としての古い納札が寺宝としてあります。 享禄四年(1531年)、天文五年(1536年)、天文八年(1539年)、天文十三年(1544年)、天文二十四年(1555年)の六点の納札があり、なかでも天文五年の納札には「百ヶ所巡礼」と彫りこまれているところから、その頃に秩父札所に一ヶ寺が加えられて三十四ヶ所になり、日本百番観音が成立したとされています。 前面には谷水を引き入れた池があり、その周りは手入れの行き届いたサツキで埋め尽くされています。 境内はすばらしく庭が整備されていました。 撮影:青山貞一 Nikon Coolpix S8 2014-12-24 ここで階段を登ってゆくと観音堂の本堂があります。宝形屋根、三間四面の朱塗りの堂であります。 楊貴妃観音とも呼ばれる本尊の如意輪観音についての寺伝は、1319年(元応元年)鎌倉建長寺の道隠禅師が、唐朝の玄宗皇帝が寵愛した楊貴妃の冥福の為、自ら彫刻し、不空三蔵が開眼したものをこの地に招来安置したものだと説きます。高さ39cmの如意輪観音は、片ひざを立てた金色燦欄たるもので、ふくよかな手や頬の流れ、華やかな冠や瓔珞など、まさに中国渡来だという寺伝も納得できます。 撮影:青山貞一 Nikon Coolpix S8 2014-12-24 この寺に保存されている納札は、全国的にも珍しい木の板に陰刻されたものであります。6枚現存されていますが、秩父札所の貴重な一級資料ではなかろうかと思われます。 ◆法雲寺の伽藍 下の写真に見えるのが観音堂の本堂です。 撮影:青山貞一 Nikon Coolpix S8 2014-12-24 観音堂に行くためには、下の写真にある階段を登ります。 観音堂に登る階段の前にて 撮影:青山貞一 Nikon Coolpix S8 2014-12-24 下の写真が法雲寺の観音堂の本堂です。 観音堂 撮影:青山貞一 Nikon Coolpix S8 2014-12-24 観音堂 撮影:青山貞一 Nikon Coolpix S8 2014-12-24 下の写真は観音堂の正面です。私達は参拝後、正面の戸を開けて内部に入りました。中には、如意輪観音がありました。高さ39cmの如意輪観音は、片ひざを立てた金色燦欄たるものです。 観音堂 撮影:青山貞一 Nikon Coolpix S8 2014-12-24 楊貴妃観音像については、京都市東山区泉涌寺の重要文化財となっている観音像が有名です。安置されている楊貴妃観音は建長7年(1255年)俊?の弟子湛海が仏舎利と共に中国・南宋から請来したものとされます。 長らく100年に一度だけ公開する秘仏であったのですが、請来から700年目の1955年(昭和30年)から一般公開されています。作風、材質など、明らかに日本の仏像とは異質で、寺伝どおり中国・南宋時代の作と考えられています。 観音堂 撮影:池田こみち Nikon Coolpix S6400 2014-12-24 本堂の右手前には、下のくくり猿がありました。 くくり猿 撮影:青山貞一 Nikon Coolpix S8 2014-12-24 帰ってから調べて見たところ、以下のような解説がありました。 くくり猿はまさに、お猿さんが手足をくくられて動けない姿をあらわしています。 お猿さんは人間に近い動物といわれていますが、所詮は動物、欲のままに行動します。 動物園に行けば、お猿さんは欲のまま走り回っていますね。この姿を人間の中にある、欲望に喩えてあり、人間の中にある「欲望」が動かないように、庚申さんによってくくりつけられているのです。 くくり猿に願い事を託して、それを叶える秘訣は、欲を一つ我慢することです。 法雲寺の庭には、多くの石像や石仏がありました。 撮影:青山貞一 Nikon Coolpix S8 2014-12-24 撮影:青山貞一 Nikon Coolpix S8 2014-12-24 ◆法雲寺にある増上寺・寛永寺からの移築された 石灯籠についての実態調査 伊藤氏の増上寺の石灯籠の移築調査によると、以下に示すように、法雲寺には惇信院 の灯籠が2基あることになっています。ちなみに惇信院 は、徳川家重の院号です。 出典:※伊藤 友己氏 増上寺の石灯籠 <参考> 徳川家康 安国院(あんこくいん) 徳川秀忠 台徳院(だいとくいん) 徳川家光 大猷院(たいゆういいん) 徳川家綱 厳有院(げんゆういん) 徳川綱吉 常憲院(じょうけんいん) 徳川家宣 文昭院(ぶんしょういん) 徳川家継 有章院(ゆうしょういん) 徳川吉宗 有徳院 (ゆうとくいん) 徳川家重 惇信院 (じゅんしんいん)......増上寺 徳川家治 浚明院(しゅんめいいん) 徳川家斉 文恭院(ぶんきょういん) 徳川家慶 慎徳院(しんとくいん) 徳川家定 温恭院(おんきょういん) 徳川家茂 昭徳院(しょうとくいん) ◆青山貞一・池田こみち:歴代徳川将軍家家系 ◆池田こみち:徳川歴代将軍の生誕・没年月日と将軍在位期間(和暦対応表) 観音堂、本堂に登る階段の手前の両側に石灯籠がありました。 撮影:青山貞一 Nikon Coolpix S8 2014-12-24 撮影:池田こみち Nikon Coolpix S6400 2014-12-24 観音堂に登る階段の前にて 撮影:青山貞一 Nikon Coolpix S8 2014-12-24 下は左側の灯籠です。 撮影:青山貞一 Nikon Coolpix S8 2014-12-24 下は右側の灯籠です。 撮影:青山貞一 Nikon Coolpix S8 2014-12-24 以下は灯籠の刻印です。左右ともに惇信院 と刻印されていました。 撮影:青山貞一 Nikon Coolpix S8 2014-12-24 ということで、リストにあった2つの惇信院 の石灯籠を現地で確認することが出来ました。 |