増上寺石灯籠等、移築実態調査
(東京西部・埼玉西部)
練馬区 長命寺(1)
青山貞一 Teiichi Aoyama
池田こみち Komichi Ikeda
December 31, 2014
Independent Media E-wave Tokyo
無断転載禁
註)寺の名前の後ろにあります本数は論考の頁数です。つづくをクリックすることで進みます。 |
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2014年12月22日、増上寺の石灯籠、全国移築実態調査で最初に訪れたのは、東京都練馬区にある長命寺(ちょうめいじ)です。当日は私達以外には、参拝者らは居ませんでした。
山門を入って、まず・最初の印象として、東京23区の練馬区にこのような広大な敷地を持った真言宗の寺院があることに驚きました。長命寺は1648年に徳川三代将軍・徳川家光により朱印地を賜り、朱印寺として著名になったそうです。境内には、1652年の徳川家光の一周忌を追悼して各地の家臣から送られた様々なな石仏・石塔をみることができます。
その意味では、東京都港区芝公園の増上寺のように徳川家の菩提寺ではないものの、徳川家光を通じ徳川家と密接に関係した寺院であることが推察されます。
撮影:青山貞一 Nikon Coolpix S8 2014-12-22
所在地 〒177-0033 東京都練馬区高野台3丁目10番3号
出典:グーグルマップ
概要
長命寺は、東京都練馬区高野台にある真言宗豊山派の寺院で、山号は東高野山といいます。江戸時代から「東の高野山」として関東地方でも有数の霊場として広く人々から信仰を得ていたそうです。
なお、長命寺は、御府内八十八ヶ所霊場17番、豊島八十八ヶ所霊場17番、武蔵野三十三観音霊場発願札所、谷原氷川神社の旧別当でもあります。
〒177-0033東京都練馬区高野台3丁目10番3号
西武池袋線・練馬高野台駅より徒歩3分。
拝観は日中の時間帯のみ無料。
歴史
長命寺は、慶長18年(1613年) に後北条氏の一族である増島重明(北条早雲のひ孫にあたり、のちに出家して慶算阿闍梨になる)によって弘法大師像を祀る庵を作ったのが始まりといわれています。
その後重明の弟・増島重俊によって観音堂・金堂などが整えられました。さらにその後寛永17年(1640年)
奈良・長谷寺の小池坊秀算により十一面観音像が作られ、「長命寺」の称号を得ています。
1648年に徳川三代将軍・徳川家光により朱印地を賜り、朱印寺として著名になりました。
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当初は山号は秀算により谷原山と称しましたが、当院には高野山奥の院を模して多くの石仏・石塔が作られており、東高野山とも称されるようになり、「東の高野山」として人々から信仰を得るようになっています。
金堂は幾度もの火災により焼失し、現在の金堂は明治37年(1904年) に再建されたものを昭和46年(1971年)
に修復したものです。また観音堂も幾度か焼失の目に遭い、現在のは1979年に再建されたものとなっています。さらに当院は寺院のある高野台の地名や最寄り駅である練馬高野台駅の名の由来にもなっているそうです。
撮影:青山貞一 Nikon Coolpix S8 2014-12-22
撮影:青山貞一 Nikon Coolpix S8 2014-12-22
◆練馬区教育委員会による長命寺の解説
東高野山(旧谷原山)妙楽院長命寺は、真言宗豊山派の寺です。慶長18年(1613)、後北条氏の一族である増島重俊が諸堂を建立、寛永17年(1640)に大和長谷寺の秀算により「長谷密寺」と号しました。寺域は紀州高野山に倣ったもので、東高野、新高野と呼ばれました。江戸幕府より9石5斗の御朱印を受け、御府内八十八ヶ所霊場17番霊場になるなど関東における有数の庶民信仰の霊場となりました。
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◆練馬の寺院による長命寺の解説
「新編武蔵風土記稿」に、「境内大師堂ノ縁起ニ拠ニ。増島勘解由重明ナルモノ当村ニ住シ。仏心深く兄重国カ第四子重俊ニ家ヲ譲リ。剃髪染衣シテ慶算ト号シ。紀伊国高野山ニ登リ木食勤行スルコト年アリ。或日大師ノ夢想ニ因テ讃岐国多度郡弥谷寺ニ至リ。師自作ノ木像ヲ感得シ。速ニ当村ニ帰リ。高野山ニ擬シテ一院ヲ営ミカノ像ヲ安置ス。今ノ大師堂是ナリ。」これが当寺の草創で、寺記によれば慶長18年(1613)とある。
さらに寺記によると、増島重俊は重明の志を継ぎ金堂(観音堂)を建て、寛永17年(1640)に大和初瀬の長谷寺小池坊の僧正秀算が「谷原山妙楽院長命密寺」と号し、一寺とした。本尊は長谷寺本尊の十一面観世音菩薩を模した像を造って金堂に安置した、とある。これが長命寺の本尊である。幕府よりは「慶安元年境内観音堂領9石5斗の御朱印を賜ハレリ」と前記「風土記稿」に記されている。
大師堂と中心とした奥の院の規模は重俊が重明の志を継いで造られたもので、「江戸名所図会」には「此奥の院はすべて紀州高野山大師入定の地勢を模擬する故に、堂前に万灯堂あり、又御廟橋、蛇柳ハ同じ前庭にありて、左右に七観音六地蔵等の石像、其余石灯籠、五輪の石塔婆、並増島氏累世の墳墓並び建り、又御堂の四隅にハ五重の宝塔立、十三仏十王の石像の類ひ累々として野山の規制にならふ」と。いずれも現存し霊場としての結構をつくしている。
このように紀州高野山を模して造られたので、世に東高野または新高野といわれてきた。しかし万冶元年(1658)火災にかかり堂宇ことごとく焼失した。当寺増島重辰(重俊の子)が寛文年間(1661-73)より元禄年間(1688-1704)にかけて再建した。さらに明治30年(1897)に再度火災にあい、本堂、庫裡、長屋門が焼けたが同37年本堂を再建し、さらに昭和45年、54年に大改修を加え、56年には本堂正面に南大門が建設された。
増島氏の氏寺として創建された当寺は、御府内八十八ヶ所霊場第17番霊場として厚く庶民の信仰を得、享保頃より参詣寺として寺門隆盛を極めた。「東高野みり」「長命寺みち」の道しるべがその面影を今に残している。特に芝居関係者の信仰を集め、芝居絵馬、歌右エ門の石像などはその名残といえる。 |
史跡・施設
・金堂…不動明王像などが安置されている。
撮影:青山貞一 Nikon Coolpix S8 2014-12-22
撮影:池田こみち Nikon Coolpix S6400 2014-12-22
・観音堂…本尊である十一面観音像が安置されている。現在の本尊の十一面観音像は
当初ものではなく、後年の新たにつくられたもの。
撮影:青山貞一 Nikon Coolpix S8 2014-12-22
・御影堂…奥の院にある。開基である増島重明によって祀られた弘法大師像が安置され
ている。普段は秘仏であるが、毎年4月21日に開帳される。開帳と同時期に境内では
植木市と稚児行列が行われる。
撮影:青山貞一 Nikon Coolpix S8 2014-12-22
撮影:青山貞一 Nikon Coolpix S8 2014-12-22
・石仏・石塔…寺院の西部一帯に広がる高野山を模した奥の院にある石仏や石塔。
1652年に徳川家光の一周忌を追悼してさまざまな石仏・石塔を安置したもの。現在
でも多くの石仏・石塔が見られ、その数は練馬区最多にのぼる。1956年に東京都の
指定文化財(史跡)となる。
撮影:青山貞一 Nikon Coolpix S8 2014-12-22
撮影:青山貞一 Nikon Coolpix S8 2014-12-22
撮影:青山貞一 Nikon Coolpix S8 2014-12-22
・地蔵堂
撮影:青山貞一 Nikon Coolpix S8 2014-12-22
・鐘楼…江戸初期のもの。
撮影:青山貞一 Nikon Coolpix S8 2014-12-22
・南大門…当寺院の山門で四天王像が安置されている。
撮影:青山貞一 Nikon Coolpix S8 2014-12-22
撮影:青山貞一 Nikon Coolpix S8 2014-12-22
撮影:青山貞一 Nikon Coolpix S8 2014-12-22
撮影:青山貞一 Nikon Coolpix S8 2014-12-22
なお、練馬区の長命寺は、武蔵野三十三観音霊場札所の第1番目となっています。以下の一覧の最後にあります、
出典:http://www5f.biglobe.ne.jp/~fkm-ito/htmlhuda/hfrm14.htm
以上、出典は、長命寺公式Web、Wikipedia、「猫のあしあと」などです。
実態調査へつづく |