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増上寺・寛永寺石灯籠等、移築実態調査

(東京都・千葉県・長野県

上田市 信濃国分寺

青山貞一 Teiichi Aoyama
池田こみち Komichi Ikeda

鷹取 敦 Atsushi Takatori
July 31, 2015
Independent Media E-wave Tokyo
無断転載禁

調査の目的 D清瀬市 円福寺 2本 I上田市 信濃国分寺
@練馬区 長命寺 E清瀬市 長命寺-2 J君津市 神野寺 2本
A西東京市 東禅寺 F清瀬市 長源寺 K東京都港区 妙定院
B清瀬市 長命寺 3本 G練馬区 道場寺
C練馬区 正覚院 H練馬区 三宝寺
註)寺の名前の後ろにあります本数は論考の頁数です。つづくをクリックすることで進みます。

 2015年7月日、寛永寺の石灯籠、全国移築実態調査で最初に訪れたのは、長野県上田市にある信濃国分寺です。

 長野県上田市にあります信濃国分寺については、2014年9月16日、上田市の北西部にあります通称、「信濃の鎌倉」を視察に行く際に訪問しました。

 下は視察後に執筆した論考です。

◆青山貞一・池田こみち:初秋の「信濃の鎌倉」を行く (2)信濃国分寺

 信濃国分寺は、下の地図にあるように上田駅の南東、国道18号線に面しており、近くには千曲川が流れています。国道18号線を挟んで信濃国分寺の反対には大きな国分寺史跡公園もあります。


信濃国分寺の位置図  出典:グーグルマップ


国道18号線に面して建つ山門
撮影:青山貞一 Nikon Coolpix S8  2014年9月16日


信濃国分寺の本堂
撮影:青山貞一 Nikon Coolpix S8  2014年9月16日


信濃国分寺の本堂の屋根
撮影:青山貞一 Nikon Coolpix S8  2014年9月16日


信濃国分寺の本堂の解説
撮影:青山貞一 Nikon Coolpix S8  2014年9月16日


信濃国分寺の歴史

 上田盆地の中、千曲川の北岸に位置する。上田市には信濃国の国府が設けられたと見られており、古代信濃国の中心地であった。創建時の国分僧寺跡・尼寺跡は並んで建てられており、現在はその中をしなの鉄道が通っている。そして僧寺跡の北方300メートルの場所に現在の国分寺が立っている。

 僧寺・尼寺が創建された時期は明らかとはなっていない。存続については、発掘調査によって両寺とも平安時代初期まで認められている。しかしながら、現国分寺位置への移転の年代は定かでない。

 寺伝では承平8年(938年)に平将門と平貞盛の合戦で焼亡したという。ただし『将門記』にも国分寺辺での合戦の記録があるが詳細は明らかではなく、発掘で明らかとなった焼けた痕跡も一部に留まっていることから、他国の国分寺同様に平安時代末期の律令制衰退により荒廃したと見られている。

 現寺院の境内にある石造多宝塔は鎌倉時代の作と見られることや、寺伝では三重塔の建立を建久8年(1197年)ということから、移転時期を平安時代と見る考えがある。

 なお、諸国国分寺の本尊の多くが釈迦如来であるのに対して当寺は薬師如来であることについて、平安時代中期に寺勢が傾いた際の復興において、当時の仏教思想の潮流に従ったものと推測されている。

出典:Wikipedia


 実はこのときの訪問では、東京都港区芝の寛永寺の灯籠については、まったく意識することがなかったのです。

 しかし、2015年7月に青山、池田が鷹取に信濃の鎌倉を案内しようと、上田市を訪問し、再度、信濃国分寺を訪れた際、信濃国分寺の入口近くに寛永寺の灯籠が2基あることを池田が発見しました。

 下の写真は2015年7月、青山、池田、鷹取の3人で信濃国分寺に行った際に撮影した本堂であり、右側に写っているのは池田です。


3人で信濃国分寺に行った際に撮影した本堂
撮影:青山貞一、Nikon Coolpix S8  2015年7月19日


◆信濃国分寺の蓮池

 このときは、前回見られなかった本堂の裏にあります蓮の池を見ることが出来ました。下はその蓮の池です。


本堂の裏にあります蓮の池
撮影:青山貞一、Nikon Coolpix S8  2015年7月19日


前回見られなかった本堂の裏にあります蓮の池
撮影:青山貞一、Nikon Coolpix S8  2015年7月19日


すばらしい蓮の花を沢山見ることが出来ました。
撮影:池田こみち、Nikon Coolpix S6400  2015年7月19日

 このときは、すばらしい蓮の花を沢山見ることが出来ました。下の写真は信濃国分寺の蓮の花です。


すばらしい蓮の花を沢山見ることが出来ました。
撮影:青山貞一、Nikon Coolpix S8  2015年7月19日


すばらしい蓮の花を沢山見ることが出来ました。
撮影:池田こみち、Nikon Coolpix S6400  2015年7月19日


すばらしい蓮の花を沢山見ることが出来ました。
撮影:池田こみち、Nikon Coolpix S6400  2015年7月19日


すばらしい蓮の花を沢山見ることが出来ました。
撮影:青山貞一、Nikon Coolpix S8  2015年7月19日


◆信濃国分寺にあった寛永寺の灯籠

 ところで、肝心な寛永寺の灯籠ですが、下に写真を示します。いずれも信濃国分寺の正門を入ってすぐの左右にありました。個数は2基です。

 下は門からはいって左側の灯籠です。


信濃国分寺に会った寛永寺の灯籠
撮影:青山貞一、Nikon Coolpix S8  2015年7月19日


信濃国分寺に会った寛永寺の灯籠
撮影:青山貞一、Nikon Coolpix S8  2015年7月19日

 下からは文恭院、天保十二年が読み取れます。文恭院は徳川家斉です。徳川11代、一橋徳川家です。

 将軍在職期間が50年続いたのは長いです。菩提寺は上野の寛永寺です。


信濃国分寺に会った寛永寺の灯籠
撮影:鷹取敦、Nikon COOLPIX  2015年7月19日

 下は門からはいって右側の灯籠です。


信濃国分寺に会った寛永寺の灯籠
撮影:青山貞一、Nikon Coolpix S8  2015年7月19日


信濃国分寺に会った寛永寺の灯籠
撮影:青山貞一、Nikon Coolpix S8  2015年7月19日

 これも左側から何とか文恭院が読み取れます。


信濃国分寺に会った寛永寺の灯籠
撮影:鷹取敦、Nikon COOLPIX  2015年7月19日

 三ツ葉葵の紋章もしっかり確認できます。


信濃国分寺に会った寛永寺の灯籠
撮影:鷹取敦、Nikon COOLPIX  2015年7月19日

 信濃国分寺にあった寛永寺の灯籠は、文恭院、徳川家斉のものであり、文恭院、徳川家斉は徳川11代、一橋徳川家です。菩提寺は上野の寛永寺であることから、信濃国分寺にその灯籠があることは非常に不思議です。

 増上寺系の灯籠が長野県内にあることは、堤氏なり西武が長野県と関係が深いことがあるという点で理解が及びますが、寛永寺系の灯籠が長野県内、それも真田家が支配する上田にあることは理解を超えます。

 さらに、信濃国分寺ともあろう由緒ある寺院に上野寛永寺の灯籠が入口近くに鎮座していること自体不可思議と言えます。