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前半 後半 全体 ■2009年3月9日 クラクフへの移動とクラクフ旧市街視察 ●クラクフ歴史地区視察 出来れば以下のクラクフの概要と歴史をお読みいただきたい。 もちろん、飛ばして後から戻って読んでいただいても構わない。
町並み保存の観点ではクラクフはワルシャワとでは、まったく異なる歴史的な事情がある。 第2次世界大戦中、クラクフはナチス・ドイツの司令部が置かれたことで旧市街の破壊が免れ、旧市街の大部分の建築物は保全され今日に至っている。何とも皮肉な話しである。 私見だが、第2次世界大戦中にナチス・ドイツがクラクフに司令部をおいたのは、クラクフが交通の要所にあことに加え、アウシュビッツ、アウシュビッツU(ビルケナウ)、さらに南東部のマイダネク・ルブリン、ベルゼック、ソビボールなどの巨大な強制収容所との連携がとりやすいという戦略的な意味合いも多分にあったと推察できる。 ポーランド南、南東、東部の巨大強制収容所とクラクフの位置 実はクラクフのすぐ南にはアウシュビッツV(モノビッツ)もある。その場所はプラショフ(Plaszow)といい、スピルバーグ監督の映画、「シンドラーのリスト」はクラクフの南にあるカジミエーシュ地区とプラショフを舞台としている。 Schindler's List(1993)の本の表紙
以下はクラクフ南にあったプラショフの強制収容所。
何しろホテルが歴史地区のど真ん中にある。旧市街の歴史地区は半日もあれば視察できる。ラッキーだ。前日のワルシャワでの超がつく強行軍の疲れもあったが、歴史地区に出る。 |
下はグーグルマップで見た中央市場広場である。この広場は総面積4万平方米、旧市街では欧州随一の広さを誇る。広場には中央に織物会館(織物取引)、旧市庁舎の高い塔、聖マリア教会がある。 Source:グーグルアース 下は旧市庁舎の一部で1820年に大部分の市庁舎の建物が取り壊されたが、そのときに残された塔の部分である。塔の上部には直径3mの時計があり、現在でも時を刻んでいる。市庁舎塔に6zlで登れるがは11月から4月の冬場は休みである。 旧市庁舎の塔 撮影:青山貞一 Nikon Cool Pix S10 2009.3.9 市庁舎塔の足下に下のような彫刻が置いてある。しかも頭が横になって。おそらく芸術作品を展示してあるのだろう。 彫刻家イゴール・ミトライ(Igor Mitoraj)氏のブロンズ像、 『エロス(ErosBendato)』。 このエロス像の置き場所を 巡っては作者のミトライ氏と、クラクフ市側で、折り合い がつかない状態が続いているとか。 下の写真2枚は中央市場広場にある織物会館だ。ルネッサンス様式の威風堂々とした建築物だ。14世紀に建造された。当時、クラクフは衣服や布地の交易の要所だったこともあり、織物取引の場としてその名がついたという。 中央市場広場にある織物会館 撮影:青山貞一 Nikon Cool Pix S10 2009.3.9 中央市場広場にある織物会館 撮影:青山貞一 Nikon Cool Pix S10 2009.3.9 中央市場広場にある織物会館。好天だとこのように美しい。 From Wikipedia, the free encyclopedia この織物広場の1階は民芸品、アクセサリー、刺繍布などを売る小さな店が両側に並ぶバザール。2階は国立美術館となっている。 クラクフの織物会館にあるお店 撮影:青山貞一 Nikon Cool Pix S10 2009.3.9 ワルシャワの大統領官邸前にもあったが。アダム・ミツキエヴィッチ像はここクラクフ歴史地区の中心にもあった。アダム・ミツキエヴィッチはポーランドの象徴的詩人(1798〜1855年)であり同時に、祖国独立のために活発な政治活動をしたことでも知られている。 撮影:青山貞一 Nikon Cool Pix S10 2009.3.9 パリに滞在中はショパンとも交遊があったとされている。代表的詩集「コントラ・ヴァレントロ」に触発され、ショパンがバラード・ト短調作品23を作曲したことでも有名である。 ワルシャワとクラクフそれぞれの中心地に像が建つアダム・ミツキエヴィッチはさぞかしポーランド人の心のふるさとなのであろう。 中央市場広場に向かって立つ3つめの建築物は、下の写真にある聖マリア教会だ。聖マリア教会は13世紀(1222)年につくられたゴシック様式のカテドラルで、その一部ヴィオット・ストウオシ聖壇はポーランド国宝となっている。 この教会の建造には何と12年の歳月が費やされたという。 聖マリア教会の塔は木造の塔では欧州で第2番目に高い。 撮影:青山貞一 Nikon Cool Pix S10 2009.3.9 ところでクラクフには2度に渡りオスマン・トルコが攻め込んできた。オスマントルコ軍の来襲がある度にこの高い塔の上からラッパが吹き鳴らされた。オスマントルコの兵士放った矢でラッパ吹きは殺されたが、現代でも定時(1時間ごと)にラッパが吹き鳴らされている。 私達も3月10日、アウシュビッツからクラクフに帰ってきたときその哀愁を帯びたそのラッパの音が聞けた。ポーランドはイタリアなどに比べると何かものわびしく寂しい感じがする。このラッパもポーランドの暗い悲惨な歴史を思い起こさせる.... 今でも定時に聖マリア教会の高い塔の上からラッパが吹かれる Bugler playing the Heynal。 From Wikipedia, the free encyclopedia 下はクラクフのメインストリートに通ずるフロリアンスカ門近くから中央市場広場の聖マリア教会の塔を撮影したもの。 クラクフのメインストリートに通ずるフロリアンスカ門近くから 中央市場広場の聖マリア教会の塔を望む 撮影:青山貞一 Nikon Cool Pix S10 2009.3.9 つづく |