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福島放射線現地調査報告
2011年6月19日
〜市長との議論、被災地視察〜

青山貞一  池田こみち 鷹取敦
東京都市大学青山研究室(横浜市都筑区)
環境総合研究所(東京都品川区)
掲載月日:2011年8月4日
独立系メディア E−wave
無断転載禁

2011年6月18日〜20日 福島放射線現地調査
◆福島原発事故、520カ所に及ぶ放射線測定調査(速報)
6月18日 6月19日 6月20日
調査の目的・方法など 二本松市から飯舘村へ 二本松市の知人宅訪問
宇都宮市から那須高原へ 南相馬市到着 二本松知人宅で測定
白河市から須賀川市へ 市長との議論、被災地視察 二本松市からいわき市へ
須賀川市から郡山市へ 南相馬市の被災市民との議論 広野町・楢葉町へ
郡山市から二本松市へ 南相馬産廃施設視察 いわき市被災地再訪問
福島市(福島大学・中心市街地)  「相馬野馬追」、相馬太田神社訪問   全測定結果(固定測定)
南相馬市南の警戒区域線上 測定結果(平均値)

●南相馬市長との議論



 午前11時過ぎ、市役所1階から携帯電話で櫻井市長に電話を入れると民主党の高邑勉衆議院議員グループが来ていた。

 市長によれば高邑議員は、すでに5−6回、南相馬市にスタッフと一緒に支援できているとのことだ。高邑衆議院議員とは、6月9日、東京の有楽町にある外国特派員協会で櫻井市長が会見した際、お会いしている。

 社民党の阿部とも子衆議院議員らが市長に会いに来る時間だが、市長が「いらしてください」とのことで、市役所3階にある市長応接室に向かう。


南相馬市櫻井市長(左)、青山貞一、池田こみち(右)
撮影:鷹取 敦

 櫻井勝延市長から民主党(高邑衆議院議員)、社民党(阿部衆議院議員)とこれから会うのでよろしかったらご一緒に、ということで、青山、池田、鷹取は約1時間ほど市長や高邑衆議院議員と議論する。


櫻井勝延(南相馬市長)
撮影:鷹取 敦


櫻井市長と議論(市役所3階の市長応接室にて)


青山貞一(東京都市大学)
撮影:鷹取 敦


青山貞一(左)、 櫻井勝延南相馬市長、 高邑勉衆議院議員、池田こみち(右)
撮影:鷹取 敦



<以下は2011年6月9日、東京で行われた櫻井市長の会見とインタビュー>
◆単独インタビュー: 現代の宮沢賢治、櫻井勝延南相馬市長 政治を語る!
◆単独インタビュー:現代の宮沢賢治、櫻井南相馬市長(短縮YouTube版)
◆Press Interview of The Foreign Correspondents' Club of Japan, Mr.Katsunobu Sakurai, Minamisouma cit
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 市長応接室に貼ってあった東日本大震災の津波による被災状況図を見ると、南相馬市の海浜側はすべからく津波が押し寄せ、今でも水が引かず湿地化している地域が多い。下の地図の赤い色部分が水をかぶり、今でも湿地化している地域を示している。


南相馬市の東日本大震災の津波による被災状況図
撮影:青山貞一

 以下はグーグルマップ(衛星画像)で見た南相馬市。太平洋側を見ると、沿岸域が浸水し湖化していることがよく分かる(マウスで拡大、縮小、移動などが可能)。


大きな地図で見る
 上の津波被災地、とくに赤色の水没地域と下の南相馬市全図を重ね合わせて見ると、いかに広大な地域が津波の影響、被害を受けたかがよ分かる。市役所があるのは、原町地区の浜通り地区。


南相馬市全図
撮影:青山貞一

 下は市長応接室から見た南相馬市街地の風景である。


南相馬市市街地の風景
撮影:青山貞一

◆南相馬市浜通り海浜部の被災地視察

 その後、市役所を離れ、私たちは南相馬市浜通りの被災現場を北(相馬市・南相馬市境界)から南(浪江町・南相馬市境界)まで現地視察し、浜通りの要所で放射線を測定するとともに、被災住民らと議論やインタビューを行った。


被災地をビデオで撮影する青山貞一
撮影:鷹取敦

 被災地には前日(6月18日土)まで2000人規模の自衛隊が駐留しながら瓦礫の除去、分別、要所への移動、さらに運び出しなどに全力をあげ、当日はいわき市など南部地区に比べると信じられないほど南相馬市浜通りの被災地は綺麗に瓦礫、建設廃材などが整理されていた。まさに災害救助隊としての自衛隊の面目躍如たるものを実感した。

 実はこれも櫻井市長が自衛隊に早期段階から積極的に災害救助の要請、櫻井さんの言葉でいうところの強いメッセージを出し、自衛隊がそれに正面から対応したからである。

 私たちがこの日(6月19日)、二本松から南相馬市に向かう、すなわち南相馬市から二本松や福島経由で東北道に向かう途中、多くの災害救助の自衛隊のトラックやジープなどに出会ったが、それらの車両は瓦礫撤去を終え南相馬から駐屯地に引き上げる途中であった。


南相馬市海浜部の津波被災地、半壊した住宅
撮影:青山貞一


南相馬市海浜部の津波被災地、防波堤が破壊されている
撮影:青山貞一

 浜通りの被災地には、土台部分だけ残した膨大な数の家屋が散在していた。


南相馬市海浜部の津波被災地、土台部分だけ残した家屋
撮影:青山貞一


南相馬市海浜部の津波被災地
動画撮影:青山貞一


被災地をビデオで撮影する青山貞一
撮影:鷹取敦


動画撮影:青山貞一(東京都市大学)

 自衛隊が瓦礫と建設廃材を撤去した後の南相馬市浜通りの風景。


南相馬市海浜部の津波被災地
撮影:青山貞一


南相馬市海浜部の津波被災地
動画撮影:青山貞一

 私たちは南相馬市浜通りの海岸線を県道74号線で北上し、相馬市との市境まで進んでみた。県道74号線の両側には水田が広がり、農家が点在していたが、すべて津波で流され、荒地と化していた。

 しかし、2000人規模の自衛隊がガレキの処理を既に済ませており、きれいに片付いていた。南相馬市では41kuが津波で浸水しており、その大部分が農地であったことが見て取れる。そこは南相馬市鹿島区南海老地区である。

 市境の北端部はやや高台となっており、海岸線に出てみると、テトラポットは激しく破損され、堤防も道路もずたずたの状態だった。頻繁にパトカーが巡回し、見回りをしている様子だった。

つづく