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●2011年6月19日(日) 6月19日(日)、宿泊先の福島県二本松市駅前のホテルを午前8時過ぎに出発し、福島県川俣町、福島県飯舘村を経由して南相馬市に向かう。 以下は、二本松市から南相馬市に向かうルートである。 県道12号線が陸の孤島となっている南相馬市に物資を輸送する生命線となっている。私たちもその県道12号線を使って川俣町、飯舘村を経由し南相馬市に向かった。 このルートは30km圏の計画的避難区域を含む。 福島県二本松市から川俣町、飯舘村を経由し南相馬市に向かうルート 出典:Mapion 下の地図は、6月18日から20日、実際に車で走行したリートと地点をGPSデータを元に表示したものである。 図 福島放射線現地調査ルート図 出典:環境総合研究所 二本松市から川俣町に向かう途中、地上1m、5cmで放射線測定を行う。 表 福島県二本松市・福島市放射線固定測定結果(2011.6.19午前) 単位:μSv/h
●川俣町 川俣町とは(公式ホームページ) 川俣町の位置図 川俣町は福島県伊達郡の最南東、阿武隈高地北部の丘陵地域に位置する。平安時代から始まった養蚕業・絹織物業により「絹の里」として知られ、養蚕を伝え広めたとされる小手姫伝説が残る。近年は、絹織物業に替わって、自動車部品・電子部品製造などの工場が立地し、産業構造の変化が進んでいる。また、新たな特産物として川俣シャモが評判を呼んでいる。 町の人口は1955年(昭和30年)に約2万6千人だったが2010年(平成22年)9月で1万5,558人となり、県内でも高い減少率である。 今回、6月19日に二本松から川俣町に入った草地での放射線量は以下のように、思ったほど高くなかった。 表 福島県川俣町放射線固定測定結果(2011.6.19午前) 単位:μSv/h
●飯舘村 飯舘村とは(公式ホームページ) 飯舘村の位置図 飯舘村の存在は、皮肉にも福島原発事故による放射線、放射能の影響が高い地域として国民に知られることになったが、この地では牧畜が盛んで飯舘牛が飼育されている。 飯舘村の現在の人口は、約6200人。この40年、人口は単調減少している。 飯舘村は、よく引用される文部科学省と米国エネルギー省が共同実施した下の放射線量測定マップで「黄色」を通過するいわば放射線・放射能汚染の中核的部分になっている。 出典:文部科学省及び米国エネルギー省 撮影:青山貞一 川俣町から飯舘村に入ったところで測定する 撮影:青山貞一 地上1mでの放射線測定(飯舘村にて) 撮影:青山貞一 地上5cmでの放射線測定(飯舘村にて) 撮影:青山貞一 飯舘村から南相馬に向かう途中で測定する 場所は県道12号線と県道31号線の交差点近く 撮影:青山貞一 飯舘村の県道12号線と県道31号線の交差点近く 出典:Google Maps しかし予想通りというか、飯舘村の放射線量が高かった。以下は6月19日(日)の二本松市から飯舘村までに正規に測定した放射線の測定結果である。 表 福島県放射線固定測定結果(2011.6.19午前) 単位:μSv/h
その理由は、気象、地形、土地利用(森林が多い)などいろいろ考えられるが、実際に測定見ると地上1m、地表5cmともにいずれも非常に高かった。 福島第一原発事故から3ヶ月以上経過し、依然として飯舘村の放射線量が高い理由は、私たちの調査によれば、今なお福島第一原発から移流、拡散してくる放射性物質の影響もさることながら、3月12日から15日の間に起きたメルトダウンを含む深刻な原発事故の結果放出されたヨウ素やセシウムなどの放射性物質が地形、気象の影響を受けながら飯舘村方面に流れ、その直後の降雨で森林地域に蓄積、蓄積した放射性物質からの影響が加わっているためと想定される。 実際、他地域に比べ飯舘村における放射線量が高いだけでなく、地上1mと地表5cmとを比べると、草地表面5cmの放射線量が非常に高いことから上記の仮説が裏付けられると思われる。 飯舘村を走り南相馬市に向かう 撮影:青山貞一 走行しているうちに、県道12号線上を走行する私たちの車は南相馬市内に入った。 出典:文部科学省及び米国エネルギー省 つづく |