真夏のスペイン スペイン・アンダルシア短訪 グラナダの歴史と街並み 鷹取敦 掲載月日:2016年9月15日
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朝7時45分頃ホテルを出てコルドバ駅に向かいました。 撮影:鷹取敦 Nikon COOLPIX S9900 撮影:鷹取敦 Nikon COOLPIX S9900 駅の近くのビクトリア公園内では、芝刈りをしています。 撮影:鷹取敦 Nikon COOLPIX S9900 昼間は灼熱ですが、コルドバの朝は日本より涼しいくらいです。8時7分の駅付近で22℃でした。地中海に面しているマラガは朝から暑かったので、コルドバが内陸にあるためでしょうか。 撮影:鷹取敦 Nikon COOLPIX S9900 8時過ぎのコルドバ駅構内です。 撮影:鷹取敦 Nikon COOLPIX S9900 下のバウチャーにあるように、コルドバからアンテケラ・サンタ・アナ(Antequera Santa Ana)まではAVE、アンテケラ・サンタ・アナからグラナダまではバスでの移動となります。 撮影:鷹取敦 Nikon COOLPIX S9900 下の赤い区間がAVE、青い区間がバスです。 出典:グーグルマップ(大文字、赤線・青線は筆者) 8時57分、列車が来ました。マラガからセビリアまで乗ったAVANTとも、セビリアからコルドバまで乗ったAVEとも違う種類の車両です。 撮影:鷹取敦 Nikon COOLPIX S9900 たまたま写真に撮った時は297km/hでした。ちなみに東海道新幹線の最高速度が285km/h、山陽新幹線は300km/hなので、AVEが日本の新幹線に相当するのが速度からも分かります。 撮影:鷹取敦 Nikon COOLPIX S9900 アンテケラ・サンタ・アナ駅で下車してバスに乗り換えます。 撮影:鷹取敦 Nikon COOLPIX S9900 撮影:鷹取敦 Nikon COOLPIX S9900 ■グラナダの歴史グラナダはアンダルシア州、グラナダ県の県都、人口約24万人の都市です。イベリア半島最後のイスラム王朝であるナスル朝グラナダ王国の首都でした。アルハンブラ宮殿で有名です。・イスラム時代以前 紀元前193年にローマ帝国の支配下に入り、ローマ帝国のが東西に分割され、西ローマ帝国が滅亡した5世紀よりフランク王国に敗れイベリア半島に移動してきた西ゴート王国の支配下に入りました。 ・イスラム時代 711年、イスラムの最初の王朝であるウマイヤ朝の指揮官ターリク・イブン・ズィヤードの軍がイベリア半島に上陸し、グラナダも占領されました。これ以降、15世紀までの約780年間、イスラム支配の時代となりアンダルシア地方は「アル=アンダルス」と呼ばれます。 8世紀には滅亡したウマイヤ朝の末裔であるアブド・アッラフマーン1世がイベリア半島に建国した「後ウマイヤ朝」の重要な都市の1つとなり、イルビラ、エルビラ等と呼ばれます。 後ウマイヤ朝が分裂した小王国(タイファ王国)の時代、11世紀末にムラービト朝、12世紀半ばにはムワッヒド朝の支配下となり発展を続けます。 ・レコンキスタの時代 1212年、ムワッヒド朝はコルドバ近郊でカスティーリャ王国のアルフォンソ8世のキリスト教連合軍に破れ、アンダルシア地方での支配力を失いました。コルドバは1236年カスティーリャ王国のフェルナンド3世によって陥落しました。 一方、グラナダは1232年、アル=アンダルスの支配者の一人であるムハンマド・イブン・ユースフ・イブン・ナスル(ムハンマド1世)が、フェルナンド3世と条約を結び、カスティーリャに臣従する代わりにグラナダ、マラガ、アルメリアの統治を許され、ナスル朝グラナダ王国を建国し独立します。 ナスル朝グラナダ王国はイベリア半島におけるイスラムの最後の王国として250年間存続し繁栄します。アルハンブラ宮殿もこの時代に建てられたものです。 ちなみに、スペインの国旗の中央に描かれているスペインの国章は(下図)は国章は、ブルボン家、カスティーリャ王国、アラゴン王国、レオン王国、ナバラ王国などの紋章から構成され、スペインの歴史的な成り立ちを象徴していますが、下部にある小さな紋章はグラナダ王国を表しています。グラナダ王国は滅びましたがスペインの国章の一部として生き続けています。 スペイン国章 グラナダ王国の紋章 15世紀末にはカスティーリャ王国とアラゴン王国がカトリック両王によって連合王国(後のスペイン)となり、ナスル朝グラナダ王国への征服が始まり1492年グラナダは陥落し、滅亡しました。 ・レコンキスタ後 ナスル朝グラナダ王国時代には、当時キリスト教世界で弾圧されていたユダヤ人も多く共存し、経済を支えていました。しかしレコンキスタ終了後は、過酷なユダヤ人への迫害、異端審問が行われたことにより、多くのユダヤ人がイベリア半島から去り、オスマン帝国などで保護されて経済発展を支えました。 ■グラナダの街並みバスはグラナダ駅前に到着し、乗客を降ろしました。工事中のため列車は運行されていませんが、代行バスが到着するためか下の写真のように駅前にはタクシーが並んでいます。グラナダには2泊3日滞在します。 撮影:鷹取敦 Nikon COOLPIX S9900 駅に入ってみたところ、たしかに下の写真のように工事中です。 撮影:鷹取敦 Nikon COOLPIX S9900 撮影:鷹取敦 Nikon COOLPIX S9900 事前にグーグルマップのマイマップ上に主要な地点の印をつけておきました。左上の長距離バス乗り場は、グラナダからマラガに戻る時に乗るバス乗り場です。 下記の地図の文字は後からマイマップ上に大きく表示したものです。左中央の駅か中央下部やや上にあるホテルまで約2キロです 出典:グーグルマップ(大文字は筆者) 撮影:鷹取敦 Nikon COOLPIX S9900 撮影:鷹取敦 Nikon COOLPIX S9900 グラナダ大学の校舎が並ぶ通りを進みます。下の写真にはサン・ヘロニモ修道院という標識が書いてあります。 撮影:鷹取敦 Nikon COOLPIX S9900 通りを抜けたつきあたりに大きな教会(Santuario de Nuestra Senora del Perpetuo Socorro)があります。 撮影:鷹取敦 Nikon COOLPIX S9900 下はサン・ヘロニモ修道院の大きな建物です。 サン・ヘロニモ修道院は、ナスル朝グラナダ王国最後の王ボアブディルが所有していた土地に、1504年、カトリック両王の出資で工事が始められ、16世紀前半にほぼ完成しました。19世紀には、ナポレオン軍による接収や、修道院廃止令のため、ほぼ廃墟となっていましたが、修復され、修道女たちが修道生活を送っています。 当初はゴシック様式で典型的な修道院教会が造られる予定でしたが、彫刻家・建築家ディエゴ・デ・シロエによってルネサンス様式でデザインしなおされるという幸運に恵まれました。 壮麗な主祭壇など見応えがあるようですが、残念ながら立ち寄りませんでした。 撮影:鷹取敦 Nikon COOLPIX S9900 下はカテドラルの近くにあるトリニダー広場です。 撮影:鷹取敦 Nikon COOLPIX S9900 街の中心部に近づき、道が狭くなってきました。道が狭いと日影が多くなるので気温が高い時には助かります。 撮影:鷹取敦 Nikon COOLPIX S9900 人通りの多いところは道路の上に日除けのシート?がかけられています。これはマドリードでもよくみかけました。 撮影:鷹取敦 Nikon COOLPIX S9900 驚いたことに車通りの多い幹線道路でもこのようにシートがかけられているところがありました。 撮影:鷹取敦 Nikon COOLPIX S9900 市庁舎のある広場(Plaza del Carmen)に出ました。この広場の横の道を入ったところにホテルがあります。下の写真が市庁舎です。写真の市庁舎に掲げられている旗は、左から、アンダルシア自治州、スペイン、グラナダの旗です。 撮影:鷹取敦 Nikon COOLPIX S9900 翌日の朝から午後までアルハンブラ宮殿の現地ツアーに参加するので、この日はそれ以外の場所を歩くことにしました。 つづく |