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私たちは釜石市街の被災地を視察した後、国道45号線を南下し、大船渡市に向かい、その途中、釜石市唐丹町の小白浜に立ち寄った。 調査対象となった三陸海岸 作成:青山貞一 小白浜は1896年の明治三陸津波で大きな影響、被害を受けた浜である。唐丹村全体で2136人の死者が出ている。このうち小白浜では500〜600人の犠牲者が出ている。 東日本大震災後の小白浜 出典:Google Map 下はグーグルアースで3次元展開した小白浜地区の震災後のCGである。見て分かるように、高台に移転した家屋は被害を免れているが、浜近くは壊滅していることが分かる。 上のグーグルマップや下のCGでは分かりにくいが、実はこの地域は明治三陸津波で甚大は人的被害を出しており、その後、10−12m高のコンクリートブロックを使った防波堤を400mにもわたり構築したが、それら防波堤の一部が津波により倒され、津波が低地部に侵入し、低地部の家屋はほぼ全滅していることが現地調査で分かった。 東日本大震災後の釜石市唐丹町小白浜 出典:Google Earth 先の<過去の津波被害>では、以下のように記述されている。 出典:明治大学 建築史・建築論研究室著 「三陸海岸の集落 災害と再生:1896, 1933, 1960」 ◆小白浜(釜石市唐丹町) 明治三陸津波(1896) 波高:14.6m* *16.60m(C1934) 死者:2136人(唐丹村) 流失倒壊戸数:224戸(同上) 再生形態:集団移動 明治29年三陸津浪に依る小白濱部落に於ける人命の被害500〜600人、家屋の被害戸數120〜130戸にして、家屋の流失、倒壞面積24800坪に及び全滅に歸せり。之が復興に當り部落民は災害義捐金を以て畑地を買收し、自力[村としては干渉せず]を以て海岸より約200m後退せる高地に移轉せしも、海岸との連絡道路其他の施設を完備するに至らざりし爲め、一且高地に移轉したる部落民中漁業を生業とする人々は日常の業務に多大の不便を感じ、漸次舊位置に下る傾向を生じたり、過々大正12年9月1日山火事に逢ひ、高地にある住宅は灰燼に歸し、高地住宅の大半は舊低地に再び移り住みたる。 上の記述を見ると、三陸津波で小白浜地区は大きな被害を受け一旦、海岸より約200m背後の高地に移住したものの、不便さ、生業との関係で次第に住宅などを写し、最終的に高地重体の大半は海側の低地に移り住んだとある。 さらに昭和三陸津波(1933)でも小白浜地区では以下の被害を受けている。 昭和三陸津波(1933) 波高:9.6m* *9.30m(C1934) 死者:4人 流失倒壊戸数:108戸 家屋流失倒壊区域(坪):12430坪* *4.12ha(C1934) 浸水家屋:105戸 再生形態:集団移動 移動戸数:85戸 達成面積(坪):4168坪 昭和8年3月3日波高11.6mの津浪に依り罹災前戸數158戸中、流失倒壞104戸、半壞3戸、浸水1戸、計108戸を算し、低地部の聚落は完全に壞滅に歸し、死傷11名を出せり。今假りに一且移轉せし高地に定住したりとすれば、昭和8年津浪に於ては家屋の被害は皆無なるべかりしことは地勢上より見て明らかである。 昭和三陸津波では、明治三陸津波の経験から1/200以下に被害が減少していた。 ◆釜石市小白浜の防波堤 今回、私たちはその小白浜漁港にある鉄筋コンクリートの防波堤(防潮堤)の効果について見る機会を得た。 下の写真は小白浜漁港(海岸)の南端から漁港を見たところである。写真の手前にあるのが鉄筋コンクリートの防波堤である。この防波堤の上は道路となっていて自動車でもこの上を通過できるようになっている。 釜石市唐丹町小白浜漁港 撮影:青山貞一 2011.8.24 撮影:青山貞一 堤防は中心部が倒れており、背後地に津波が入り低地は壊滅状態になっていた。他方、高所にある住宅はまったく被害を受けていなかった(上記写真参照)。 この堤防では、下の写真のように防波堤の内部が通路となっていた。そこで私たちは防波堤の上ではなく、防波堤の中を車で通ってみた。 釜石市唐丹町小白浜漁港の防波堤内道路入口 撮影:青山貞一 2011.8.24 かなり行ったところで、防波堤が津波で破壊されており、防波堤から浜側に出ざるをえなくなった。 釜石市唐丹町小白浜漁港の防波堤 撮影:青山貞一 2011.8.24 防波堤内を走行する(釜石市小白浜にて) 動画撮影:青山貞一 下は破壊された堤防部分である。なぜかこの鉄筋コンクリートの堤防は、全体が一体構造となっておらず、三角形のコンクリートブロックをつなげて構成されていたようだ。 そのコンクリートブロックが曲線部の真ん中で4〜5防波ブロックが津波により陸側に押し倒されていた。下の写真はそれを横上から撮影したものである。グーグルアースの航空写真でGIS機能を使い概括的に計ると雲があり正確ではないが、合計で400m近くあるようだ。 釜石市唐丹町小白浜漁港の防波堤 撮影:青山貞一 2011.8.24 釜石市唐丹町小白浜漁港 撮影:青山貞一 2011.8.24 さらに、下の写真はGoogle Mapの最新映像で上空から見たものである。はっきりと防波堤のコンクリートブロックが背転していることが分かる。推定でブロックの高さは10mはあり、基部の幅も10mはあると思える。また堤防の延長はかなりある。 釜石市唐丹町小白浜漁港 出典:グーグルマップ 以下は倒れた堤防の背面から撮影した写真である。堤防がブロック化されており、ブロック化された堤防の4−5個が倒れていた。高さは推定で10m程度あり、再掲した下の写真から分かるように、横断面から見るとほぼ高さと同じだけの奥行きがあることが分かる。さらに、一つのブロックの幅(海に面する長さ)も、10m程度、すなわち1ブロックは10m×10m×10mあるようだ。 釜石市唐丹町小白浜漁港の倒れたコンクリ防波堤ブロック 撮影:青山貞一 2011.8.24 ただし、中にすべてコンクリートが入っているのではなく、下の再掲載写真にあるように、全体積の3/4は中空となっているようだ。 釜石市唐丹町小白浜漁港 撮影:青山貞一 2011.8.24 コンクリート堤防ブロックの想定イメージ 高さは推定10m〜12m 青山貞一作成 ●津波と防波堤に関する簡易シミュレーション1 上記の堤防ブロックに関する仮定をもとに、以下、計算により小白浜で倒れたコンクリートブロックの自重で波高15m、10mの自重を計算し相互に比較してみた。 ・防波堤の自重計算 鉄筋コンクリートの比重は、通常2400kg/立米である。コンクリートブロックを10m×10m×10mの■型とした場合、一つ当たりのブロックは1m幅当たり、10m(高さ)×10m(奥行き)×0.25(3/4が空の場合の係数)×2.4(コンクリートの比重)=60トンの自重をもっていることになる。ひとつ当たりのコンクリートブロックの幅を10mとすると、60トン×10m(幅)=600トンとなる。 ・津波の自重 一方、津波だが、津波の速度は、S= で決まる。 ここに、 dは水深(単位はm)、Sは速度で秒速 (m/sec) 、gは重力加速度、Hは水面上の波高である(単位はm)。 ここでは、水深dを0m、波高は@15m、A10mの2つのケースを想定する。15mの場合の速度は、速度は約12m/s、10mの場合は速度は10m/sとなる。ちなみに上記の速度を時速にすると43km/h、36km/hである。 津波の自重は、波高の高さ×10m(幅)×(1秒当たり移動距離)×1.0(比重)で計算される。 波高が15mの場合は、1800トン、波高が10mの場合は、1000トンとなる。 ・両者の比較 上記の計算結果から、波高が10mの場合は、ブロック(600トン)、津波(1000トン)だが、波高が15mとなるとブロック(600トン)、津波(1800トン)となり、いずれも防波ブロックが背転する可能性が高くなる。 写真手前のコンクリートブロックが背転してなかったのは、津波がブロックに衝突した確度と速度が異なり転倒を免れたるからであると思える。 ちなみに福島県いわき市内の臨海部では、海側にあったテトラポットが陸側にたくさん移動していたが、テトラポットがいくらコンクリートでつくられていても、単品では簡単に津波によって移動されるのはこのためであろう。 ●津波と防波堤に関する簡易シミュレーション2 参考のため津波によって防波堤が受ける力、F(流体力)を試算してみる。 まず、Fは F=1/2 ρCV^2・A で計算される。 ただし、 ρ:海水の比重で 重力加速度を考慮= 1.025/9.81=0.1046 ton・sec^2/(m^4) C:抗力係数,ここでは 1.0 V:津波の速さ、これは で計算される。 dは水深(単位はm)、 Vは速度で秒速 (m/sec) 、gは重力加速度、Hは水面上の波高である。 (単位はm)。 A:防波堤の面積 (10m高×10m幅) 堤防直前での津波の速度を43km/h(秒速12m)とすると、Fは F=0.5×0.105×1×12m/s×12m/s×10m×10m=756トン 堤防直前での津波の速度を36km/h(秒速10m)の場合は、Fは F=0.5×0.105×1×10m/s×10m/s×10m×10m=525トン となり、津波の速度が秒速10m/s(波高10m)でF=525トンとなり、コンクリートブロック防波堤の自重600トンに近くなる。さらに秒速12m(波高15m)となると、F=756トンとなり、コンクリートブロック防波堤の自重600トンを越え、ブロックが倒れることが予想される。 つづく |