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●2010年2月18日(木) シャウレイ
午前10時過ぎ、私たちはカウナスのホテルを出発し、一路、リトアニア北部にある第3の町シャウレイ(英語でCiauliai、リトアニア語でSiauliai)に向かう。
シャウレイの位置は★。カウナスから直線的に行く道はなく、一旦Taurage近くに行ってから行ってから北上することになる。
シャウレイの位置(★)
カウナスからL字型に約3時間北上し、やっとシャウレイ市街が見えてきた。下はシャウレイ市街の写真である。
リトアニアの北部都市、シャウレイ市街
撮影:青山貞一 Nikon CoolPix S8 18 Feb. 2010
■リトアニア・シャウレイ州 Coat of arms of Siauliai (Lithuania) リトアニアにある10の州のうちの一つ。リトアニアの北部に位置している。州都はシャウレイ。リトアニアの地方行政の歴史は、18世紀のリトアニア大公国の時代までさかのぼる。1795年10月、ロシアのエカチェリーナ2世はシャウレイを市として認め、この地域の中心都市とした。ロシア帝国の地方行政区分は第一次世界大戦が終結するまで存続された。 戦争終結後の1918年にリトアニアは独立し、その年の12月17日、リトアニアを地域ごとに20の州(apskritys)に分割すると発表された。シャウレイ州は、面積が 6042 km2 、人口が210,000人と、リトアニアでもっとも大きい州であった(1937年時点)。 1940年、ソビエト連邦はリトアニアへ侵攻、地方行政区分を再編した。この区分は1950年まで続き、その州は廃止され、ラヨン(リトアニア語:rajonas)というより小さな行政区分に分割された。 リトアニアが独立を回復してから4年後の1994年、戦前の州制度が再び施行されたが、戦前の州制度は現代には適合せず、リトアニアは新たに国全体を10に分ける州制度を導入した。 出典:Wikipedia |
信心深いリトアニア国民にとって、このシャウレイは象徴的な「聖地」である。リトアニアは「十字架の国」などと呼ばれているが、そのなかでもこのシャウレイは国民にとって格別なものがあるそうだ。
この後、カウナス→シャウレイ→リーガと最大でも400kmどの車の旅となった。当初カウナス→シャウレイ→リーガを250kmと推測していたが、迷ったりで結局300km以上走ることになった。
カウナスからかなりの距離を走りシャウレイの町に到着。さらにラトビアとの国境近くにあるシャウレイの「十字架の丘」に向け再出発する。
だが、「字架の丘」(英語でHill of Crosses)に行くのはそう簡単ではない。
まず交通手段。ヴィリニュスからバスで3時間半、ラトビアのリーガからも3時間以上かかる。しかもバスを降りてから30分弱歩くとシャウレイの入り口に到着する。さらに十字架の丘まで10分以上歩くことになる。
しかもバスはヴィリニュスからの場合でも1時間によくて一本しかなく、リーガからだと5−6時間に一本しかない。まさに一日かけないと往復できない位置にある。
私たちはレンタカーだったが、何しろ一年中で一番厳寒の季節、あまりスピードは出せない。
シャウレイに向かう道 ブリザードが道路を横切る
撮影:青山貞一 Nikon CoolPix S8 18 Feb. 2010
途中、高速道路から十字架の丘に行くために右折する看板があったのだが、それを通り過ぎてしまい、再び戻った。
その前にスピード違反で警察官に停止を求められたので止まったところ、70km/hの速度制限のところ、それ以上スピードを出していたとの指摘だった。
免許証を出したところ、「Japanese? Good Luck!!」と言って放免してくれた。
一安心。
しばらく戻ったところで、下にある先ほどの看板がシャウレーの「十字架の丘」への入り口であることが判明した。結局、30分近く戻ることになった。
この辺では人影はもちろん、車ですら会わない。こんな所に警察官がいたのにはびっくりだ。
これがシャウレイの十字架の丘に行く案内板
撮影:青山貞一 Nikon CoolPix S8 18 Feb. 2010
これもシャウレイの十字架の丘に行くサイン
撮影:青山貞一 Nikon CoolPix S8 18 Feb. 2010
幹線道路(高速道路)を右折し十字架の丘に行く道
撮影:青山貞一 Nikon CoolPix S8 18 Feb. 2010
つづく
【参考資料】
・地球の歩き方、「バルト3国、エストニア・ラトヴィア・リトアニア」、ダイヤモンド社
・Wikipedeia English Edition