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●2月16日(火) 終日:ヴィリニュス旧市街・歴史地区
午前10時30分に車でホテルを出発し、リトアニアの世界遺産の中核ヴィリニュス歴史地区のあるヴィリニュス旧市街に向かった。旧市街には、おびただしい数の教会が所狭しと建てられている。
その多くは、バロック様式で身の丈のものばかりであり、ラトビアのリーガやエストニアのタリンのようにドイツのゴシック様式のように堅く権威主義的な空にそびえる尖塔などはない。
◆リトアニア共和国 の世界遺産 ・ヴィリニュスの歴史地区 - (1994年、文化遺産) ・クルシュー砂州 - (2000年、文化遺産) ・ケルナヴェの考古遺跡(ケルナヴェ文化保護区) - (2004年、文化遺産) ・シュトルーヴェの測地弧 - (2005年、文化遺産) |
下の地図は、ヴィリニュス旧市街にある教会の位置である。十字マークが主な教会の位置を示している。主なものだけでも25もある。
ヴィリニュス旧市街にある教会の位置。
本Web(歴史地区@)で紹介する教会は上の地図の
「Town Hall」から「Gate of Dawn」までの間にある
出典:http://biega.com/vilnius.jpg
ヴィリニュスの教会の大きな特徴は、リーガやタリンのように高い尖塔を持ったゴシック様式の巨大な教会、大聖堂それに城壁や運河もない。ヴィリニュスには、パステルカラーのかわいらしい教会がそれこそ星の数ほどある。
それが東欧最大と呼ばれる面積がある旧市街に密集しているのである。
最初に訪問したのは、旧市庁舎から旧市街の南端に位置する夜明けの門通りにある教会である。
下は旧市庁舎と広場である。この旧市庁舎は、ヴィリニュス最大の教会建築物である大聖堂と同じ建築家が設計したもので、確かに大聖堂と似ている。
ここに市庁舎が最初に建築されたのは、14世紀前半、ゴジック様式の建築物として建立されたが、その後火災や戦禍によって18世紀になって今のクラシック様式の市庁舎となった。
現在の市庁舎ではコンサートや各種芸術展示が行われているそうだ。
旧市庁舎前では独立記念日の市民イベントが真っ最中
撮影:青山貞一 Nikon CoolPix S8 16 Feb. 2010
偶然にも2月16日はリトアニアの独立記念日、旧市庁舎前の広場は多数の市民が繰り出し、思い思いの売店やイベントを繰り広げていた。この市庁舎前広場には、何度となく通ったが、通る度に市民の数は増え、そのうち音楽もなりだした。やはり独立記念日は、厳しい歴史的経路を持つリトアニア人にとっては、大きなよりどころなのだろう。
旧市庁舎前では独立記念日イベントが行われていた
撮影:青山貞一 Nikon CoolPix S8 16 Feb. 2010
旧市庁舎前では独立記念日イベントが行われていた
撮影:青山貞一 Nikon CoolPix S8 16 Feb. 2010
旧市庁舎前では独立記念日イベントが行われていた
撮影:青山貞一 Nikon CoolPix S8 16 Feb. 2010
旧市庁舎のすぐ南側にあるのが、聖カジミエル教会だ。この教会は1604年にイエズス会によって建てられた。聖カジミエルはリトアニアの守護聖人でもある。
この聖カジミエル教会は為政者、支配者が変わるたびに、建築様式も内容も変えられてきた。最初はロマノフ王朝時代のロシアだ。その時代はいわゆるロシア正教の教会として、たまねぎ型の王冠(屋根)が付けられていた。
第一次世界大戦ではドイツがリトアニアを占領し、プロテスタント教会とされた。さらにソ連時代には無神論の博物館になったという。
撮影:青山貞一 Nikon CoolPix S8 16 Feb. 2010
聖カジミエル教会の南には、いくつものホテルが林立しているが、さらに南に行くと、下の聖三位一体教会にぶつかる。この聖三位一体教会は、ウクライナ・カトリックという宗派に属する。すなわち東方正教の儀礼を残しつつ、ローマカトリックの法王にも仕えるというめずらしい教会である。
礼拝はウクライナ語で行われる。このような複雑な宗派となったのは、16世紀のポーランド・リトアニア連合国が正教徒の多いウクライナ、ベラルーシュに出て行った結果のようだ。
聖三位一体教会
撮影:青山貞一 Nikon CoolPix S8 16 Feb. 2010
聖三位一体教会に向かい合ったところに、下の聖霊教会がある。
下の写真は聖霊教会の入り口(門)である。聖霊教会は、リトアニアにおけるロシア正教教会の中心的な教会である。しかも正教会には珍しいバロック様式である。
聖霊教会の入り口(門)
撮影:青山貞一 Nikon CoolPix S8 16 Feb. 2010
聖霊教会の祭壇前には、1347年に殉職した3人の聖人の遺体が保存されている。タリンなどでは入場料をとる教会が多いが、ヴィリニュスの教会は入場無料であり、それぞれ見ごたえがある。どの教会でも祈りを捧げる人々がおり、精神文化のレベルの高さを感じた。
聖霊教会
撮影:青山貞一 Nikon CoolPix S8 16 Feb. 2010
聖三位一体教会と聖霊教会の間にある細い道をさらに南下すると、夜明けの門の直前にある聖テレサ教会。ヴィリニュスにおける初期バロック様式建築物の傑作である。
聖テレサ教会
撮影:青山貞一 Nikon CoolPix S8 16 Feb. 2010
聖テレサ教会
撮影:青山貞一 Nikon CoolPix S8 16 Feb. 2010
聖テレサ教会の3次元立体CG
出典:グーグルアースより作成
聖テレサ教会の横の細い道を進むと夜明けの門(Ausros Vartai)に出る。この夜明けの門は、もともとヴィリニュスの旧市街に城壁があったとき、9つあった城門のひとつであり、現在残っているのはこの夜明けの門のみである。下の門をくぐって左折すると、今なお城壁の一部が残っている。
見て分かるように、なかなか立派な門だ。、
夜明けの門
撮影:青山貞一 Nikon CoolPix S8 16 Feb. 2010
夜明けの門
撮影:青山貞一 Nikon CoolPix S8 16 Feb. 2010
この夜明けの門には礼拝所がある。
また夜明けの門にある聖母マリアのイコンは大変なリトアニア人にとって大きな信仰の対象となっているという。
このイコンは、17世紀の後半に奇跡を起こすとして崇められていたものだが、今でも奇跡を起こす力があるとして国民に信じられている。イコンは1993年に修復されて現在の形になった。金色の服の装飾の中,顔の部分と手が写実的な絵画で表現されている。
下の写真がそのイコンである。上の写真でもガラス越しにイコンが見える!
夜明けの門にある奇跡を起こすと信じられているイコン
撮影:青山貞一 Nikon CoolPix S8 16 Feb. 2010
夜明けの門の上部
撮影:青山貞一 Nikon CoolPix S8 16 Feb. 2010
夜明けの門及び城壁の3次元立体CG
出典:グーグルアースより作成
下は城の外から見た夜明けの門。この門の最上部にリトアニアの紋章がついている。この紋章は今は何ら珍しいものではないが、リトアニアがソ連に統治されていた時代は、この夜明けの門でしか見られなかったという。それだけにリトアニア人にとってこの夜明けの門の存在意義は大きい。
夜明けの門
撮影:青山貞一 Nikon CoolPix S8 16 Feb. 2010
夜明けの門の場外側で撮影した池田さんの写真。
夜明けの門にて
撮影:青山貞一 Nikon CoolPix S8 16 Feb. 2010
夜明けの門の外側から場内を見たところ
撮影:青山貞一 Nikon CoolPix S8 16 Feb. 2010
つづく
【参考資料】
・地球の歩き方、「バルト3国、エストニア・ラトヴィア・リトアニア」、ダイヤモンド社
・Wikipedeia English Edition