●岩手県大槌町(再調査)
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←大槌町
11/20
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出典:マピオンをベースに作成
調査対象となった三陸海岸 作成:青山貞一
●大槌町吉里吉里地区
2011年11月20日日曜日、私たちは前回の岩手県現地調査では瓦礫処理の作業中で現地への立ち入りが禁止されていた地域に入ることができた。
前回は、町長や職員が多数亡くなった大槌町の市街地を中心に現地調査したが、今回は北にある山田町から大槌町の吉里吉里地区に来るまで入ることができた。
岩手県山田町から大槌町吉里吉里地区に向かう途中の被災状況
動画撮影:青山貞一 Nikon CoolPix S8 2011.11.20
以下は山田町から大槌町吉里吉里に向かう途中の被災状況である。海沿いは壊滅的な被害を受けている。
岩手県山田町から大槌町吉里吉里地区に向かう途中の被災状況
動画撮影:青山貞一 Nikon CoolPix S8 2011.11.20
以下は吉里吉里海岸の被災状況である。
岩手県大槌町吉里吉里地区海岸の被災状況
動画撮影:青山貞一 Nikon CoolPix S8 2011.11.20
下の動画は大槌町の吉里吉里海岸から東大海洋研究所に向かう途中を写している。
岩手県大槌町吉里吉里地区にある東大海洋研究所に向かう途中
動画撮影:青山貞一 Nikon CoolPix S8 2011.11.20
そのひとつは東大大気海洋研究所国際沿岸海洋研究センターがある大槌町吉里吉里地区である。今回は吉里吉里地区に入ることができた。
以下は前回調査時に書いた大槌町に関するブログである。
◆青山貞一・池田こみち:三陸海岸 津波被災地現地調査 G浸水域と神社
岩手県大槌町吉里吉里地区にある東大大気海洋研究所
国際沿岸海洋研究センターの入口にて
撮影:青山貞一 Nikon CoolPix S8 2011.11.20
津波で壊滅した東京大学海洋研究所国際沿岸海洋研究センター
(赤浜地区)。3月15日撮影。出典:Wikipedia
大槌湾に直面している同センターのビルは上層階まで津波の被害を受けており、未だに完全に研究機能が全面停止していた。同じく前回の岩手県調査で瓦礫処理中で立ち入り禁止となっていた大船渡市西側臨港部への立ち入りが可能となっており、全面的に調査を行うことができた。
岩手県大槌町吉里吉里地区にある東大大気海洋研究所
動画撮影:青山貞一 Nikon CoolPix S8 2011.11.20
大槌町の吉里吉里地区は下図にあるように大槌湾と船越湾の間の半島地先に位置している。
大槌町臨海主要部地図 出典:マピオン
以下は、グーグルマップで見た大槌湾の出口に近い吉里吉里地区にある東京大学の海洋研究所である。拡大してみると、被災状況がよく分かる。一方、縮小することで海洋研究所の位置が分かる。
以下は東大海洋センターによるお知らせ文である。
国際沿岸海洋研究センターは、生物生産性と生物多様性が高い三陸沿岸海域の中央部に位置する岩手県大槌町にあり、全国の研究者に対して施設や設備を提供し、船艇を用いた調査のサポートを行ってきました。
2011年3月11日の東日本大震災では、東北地方・関東地方に未曾有の災害が発生しました。国際沿岸海洋研究センターのある大槌町でも、津波のために多くの町民の皆様が被災されました。心よりお見舞い申し上げますとともに、多くの方々が亡くなられたことに心から哀悼の意を表します。
センターの建物・設備は、津波による水が3階まで達し、船艇をはじめとする全ての施設と設備が壊滅的な被害を受けました。しかし、センターの教職員・学生および震災発生時に来訪中の外来研究員の方々は全員無事でした。
現在、千葉県柏市にある大気海洋研究所に教員と学生が移動し、研究活動を継続しています。大槌町の城山中央公民館の一室に復興準備室が設置され、復興に向けて歩み始めています。
国際沿岸海洋研究センター |
津波で被災した東大国際沿岸海洋研究センター
撮影:青山貞一 Nikon CoolPix S8 2011.11.20
以下は大槌町の中心市街地。8月に来たときとほとんど状況は変わっていないことが分かった。動画中、左側が大槌港、右側が山側である。
岩手県大槌町中心市街地
動画撮影:青山貞一 Nikon CoolPix S8 2011.11.20
大槌臨港部中心市街地
出典:グーグルマップ
東北地方太平洋沖地震に伴って発生した津波で壊滅した大槌町
赤浜地区の岩手造船所付近。2011年3月15日撮影。出典:Wikipedia
●参考データ(岩手県大槌町)
■大槌町における死者数と行方不明者数
市町村名 |
死者数A |
行方不明者数B |
死者+行方不明者数A+B=C |
大槌町 |
797 |
653 |
1,450 |
以下は岩手県大槌町における過去の津波被害である。
●大槌町
資料にあるデータを見ると、たとえば明治三陸津波は大槌町に波高3.8mをもたらし、900名の住民が亡くなっている。昭和三陸津波では波高が2.3mで27名が死亡していることが分かった。これら過去のデータを見ると、東日本大震災・津波の波高に比べると1/5〜1/10であっても、多くの犠牲者を出していたことが分かった。
大槌町では明治、昭和の大津波の経験から高台に住居を移すなどさまざまな対策をとってきたことが分かる。しかし、東日本大震災・津波では、過去を遙かに上回る1,500名以上の死亡者・行方不明者を出してしまったことになる。
大槌町臨海主要部地図 出典:マピオン
★大槌町 |
明治三陸津波(1896) |
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昭和三陸津波(1933) |
波高:3.8m* *3.8m(C1934)
死者:900人(大槌町)
流失倒壊戸数:500戸(同上)
再生形態:分散移動 |
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波高:2.3m* *2.3m(C1934)
死者:* *27人(大槌・小槌)(C1934)
流失倒壊戸数:* *222戸(C1934)
家屋流失倒壊区域(坪):* *8.66ha(C1934)
浸水家屋:* *135戸(大槌+小槌)(C1934) |
★赤浜(現在、大槌町) |
明治三陸津波(1896) |
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昭和三陸津波(1933) |
波高:4.2m* *4.20m(C1934)
死者:900人(大槌町)
流失倒壊戸数:500戸(同上) |
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波高:3.9m* *3.90m(C1934)
流失倒壊戸数:* *4戸(C1934)
家屋流失倒壊区域(坪):* *0.29ha(C1934)
浸水家屋:* *26戸(C1934) |
★浪板(現在、大槌町) |
明治三陸津波(1896) |
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昭和三陸津波(1933) |
波高:8.85m* *8.85m(C1934)
死者:900人(大槌町)
流失倒壊戸数:500戸(同上)
再生形態:分散移動 |
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波高:4.75m* *4.75m(C1934)
流失倒壊戸数:* *6戸(C1934)
家屋流失倒壊区域(坪):* *0.09ha(C1934) |
★吉里吉里(現在、大槌町) |
明治三陸津波(1896) |
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昭和三陸津波(1933) |
波高:8.5m* *8.5m(C1934)
死者:900人(大槌町)
流失倒壊戸数:500戸(同上)
再生形態:分散移動 |
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高:4.2m* *4.2m(C1934)
死者:10人* *6人(C1934)
流失倒壊戸数:107戸 * *97戸(C1934)
家屋流失倒壊区域(坪):21466坪*
*7.09ha(C1934)
浸水家屋:170戸* *10戸(C1934)
再生形態:集団移動
移動戸数:100戸
達成面積(坪):4932坪 |
★安渡(現在、大槌町) |
明治三陸津波(1896) |
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昭和三陸津波(1933) |
波高:3.0m* *3.0m(C1934)
死者:900人(大槌町)
流失倒壊戸数:500戸(同上) |
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波高:2m* *2.00m(C1934)
死者:22人* *14人(C1934)
流失倒壊戸数:171戸(安渡・惣川・小枕) * *151戸(C1934)
家屋流失倒壊区域(坪):*
*3.69ha(C1934)
浸水家屋:218戸* *20戸(C1934)
再生形態:集団移動
移動戸数:20戸
達成面積(坪):930坪 |
★小槌(現在、大槌町) |
明治三陸津波(1896) |
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昭和三陸津波(1933) |
死者:900人(大槌町)
流失倒壊戸数:500戸(同上) |
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死者:29人* *27人(小鎚・大鎚)(C1934)
流失倒壊戸数:* *222戸(小鎚・大鎚)(C1934)
家屋流失倒壊区域(坪)* *12.40ha(C1934)
浸水家屋:561戸* *135戸(小鎚・大鎚)(C1934)
再生形態:集団移動 |
★小枕(現在、大槌町) |
明治三陸津波(1896) |
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昭和三陸津波(1933) |
死者:900人(大槌町)
流失倒壊戸数:500戸(同上) |
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流失倒壊戸数:171戸(安渡・惣川・小枕)
家屋流失倒壊区域(坪):
再生形態:集団移動
移動戸数:40戸
達成面積(坪):1782坪 |
★惣川(現在、大槌町) |
明治三陸津波(1896) |
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昭和三陸津波(1933) |
死者:900人(大槌町)
流失倒壊戸数:500戸(同上) |
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流失倒壊戸数:171戸(安渡・惣川・小枕)
家屋流失倒壊区域(坪):
移動戸数:20戸
達成面積(坪):790坪 |
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参照・引用文献の出典:
・明治大学 建築史・建築論研究室著の「三陸海岸の集落 災害と再生」
・青山・池田:三陸海岸 津波被災地現地調査 過去の津波被害(詳細)
■大槌町吉里吉里地区の過去における津波被害
吉里吉里地区では、明治三陸津波(1896)で波高8.5mの津波が押し寄せ死者900人(大槌町)、流失倒壊戸数500戸(同上)の大惨事が起きている。また
昭和三陸津波(1933) では波高4.2mの津波が押し寄せ死者10人、流失倒壊戸数107戸97戸の被害が出ている。
■大槌町における過去の津波被害
大槌町では、明治三陸津波(1896) で波高3.8mの津波により900人(大槌町) が犠牲となり流失倒壊戸数は500戸(同上)に及んだ。また昭和三陸津波(1933)では、波高の2.3mの津波が押し寄せ27人(大槌・小槌)の死者がでており流失倒壊戸数は222戸に及んでいる。
参考:内務大臣官房都市計画課『三陸津浪に因る被害町村の復興計画報告』
◆青山・池田:三陸海岸 津波被災地現地調査 E過去の津波被害(詳細)
■津波の高さ(推定値)
今回現地調査した大槌町の沿岸域は、堤防、道路、水門、住宅などの破壊状況、沿岸域の樹木、土壌、地層などへの影響から最低でもTPから12mの津波高、最高で30mを超す遡上高が生じていたと推定される。
出典:東京大学地震研究所 都司嘉宣氏らによる「三陸南部の調査結果」
参考・東北地方太平洋沖地震津波情報
東北地方太平洋沖地震津波合同調査グループ
グラフィックスで見る日本沿岸の津波高
津波現地調査結果/岩手県
過去の津波情報
つづく |