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第二次三陸津波被災地 現地調査

E岩手県北部リアス海岸

青山貞一 東京都市大学大学院
池田こみち 環境総合研究所(東京都目黒区)
掲載月日:2011年12月3日
 独立系メディア E−wave Tokyo
無断転載禁

第二次岩手県・宮城県北部津波被災地現地調査(目次)
@調査の前提・概要   J岩手県大船渡市(再訪) 
A岩手県宮古市田老 K岩手県陸前高田市(再訪) 
B岩手県岩泉町 L宮城県気仙沼市(再訪) 
C岩手県田野畑村・普代村 M岩手県一関市「猊鼻渓」
D岩手県野田村・久慈市 N宮城県南三陸町
E岩手県北部リアス海岸 O宮城県石巻市大川小学校
F岩手県宮古市 P宮城県石巻市雄勝
G岩手県山田町 Q宮城県石巻市長面
H岩手県大槌町(再訪) Rまとめと提言 英文版 
I岩手県釜石市(再訪) S補遺:宮沢賢治
◆参考:第一次岩手県南部・宮城県北部津波被災地現地調査
◆参考:宮城県・福島県北部被災地調査(速報)

●岩手県北部リアス海岸



←普代村
←田野畑村

  11/19 









出典:マピオンをベースに作成

日本有数、希有の景勝地、岩手県北部のリアス式海岸

 周知のように岩手県北部沿岸域は、有名なリアス式海岸となっており、いずれも日本を代表する景勝地でもある。

 私たちは現地調査の合間に、陸中海岸国立公園の絶景や一関の猊鼻渓などの絶景、景勝地を見ることも出来、とても有意義な現地調査となった。



出典:マピオンをベースに作成


●浄土ヶ浜(宮古市)

 宮古市がある岩手県陸中海岸には名勝・旧跡が多数あるが、なかでも「浄土ヶ浜」は有名である。私たちは11月19日朝、北部被災地にに向かう前に浄土ヶ浜を訪れた。


撮影:青山貞一 Nikon CoolPix S8 2011.11.19

 宿泊先の休暇村陸中宮古から車ですぐにある陸中海岸国立公園。道路沿いからすばらしい紅葉の季節の自然景観が堪能できる。しかし、ほとんど人影がない。三陸地域を支援する意味からもより多くのひとびとが三陸を訪問することを期待したい!


陸中国立公園の自然景観
撮影:青山貞一 Nikon CoolPix S8 2011.11.19

 以下は動画で見た陸中国立公園海浜部の自然景観。津波で破壊された堤防も見える。



陸中国立公園の自然景観。津波で破壊された堤防も見える
動画撮影:青山貞一 Nikon CoolPix S8 2011.11.19

 下は陸中国立公園の中心地でもある浄土ヶ浜。


陸中海岸にある宮古市浄土ヶ浜
撮影:青山貞一 Nikon CoolPix S8 2011.11.19

 下の動画は、世界的に見ても希有な景勝地、浄土ヶ浜の全貌である。


宮古市にある景勝地、浄土ヶ浜
動画撮影:青山貞一 Nikon CoolPix S8 2011.11.19

 下の動画は、陸中国立公園の中心地、浄土ヶ浜のレストハウス。津波被害で9ヶ月たった今も閉鎖されていた。


閉鎖されている浄土ヶ浜のレストハウス
動画撮影:青山貞一 Nikon CoolPix S8 2011.11.19

 下は対話型グーグルマップで見た浄土ヶ浜である。マウスを使用することで拡大、縮小、移動などが自由に行えるとともに、衛星画像、通常の地図、3次元立体地図、地形図などを切り替えてみることができる。


グーグルマップで見た浄土ヶ浜

◆浄土ヶ浜とは

 約5200万年前の古第三紀(地質時代上、白亜紀の次に位置する)に形成された火山岩からなる白い岩塊と同色の小石によって、外海と隔てられた波穏やかで清明な入り江が形成される。

 また岩上には、岩手県の「県の木」であるナンブアカマツをはじめとする常緑樹の群生が見られ、これらによってあたかも日本庭園のような美しい景観が醸し出されている。

 また、入り江を形成する岩塊の裏側(外海側)には、太平洋の荒波の浸食を受けた、入り江側とは対照的な男性的ともいうべき景観が見られ、これらは、「剣の山(針の山とも)」「賽の河原」「血の池」等、同じ東北地方に位置する恐山の地名呼称と共通する名称で呼ばれている。



浜の奥まで津波が入った宮古市浄土ヶ浜にて
撮影:青山貞一 Nikon CoolPix S8 2011.11.19

 海岸名の由来は、天和年間(1681年 - 1684年)に、曹洞宗に属する宮古山常安寺七世の霊鏡竜湖(1727年没)が「さながら極楽浄土のごとし」と感嘆したことから名付けられたとする説が、同海岸周辺を遊覧する観光船の案内放送等によって一般に広く知られている。

 入り江を利用した海水浴場は環境省による「快水浴場百選」に選定されているほか、日本の水浴場88選、かおり風景100選、日本の渚百選、日本の白砂青松100選にも指定されている。

 浄土ヶ浜を含む臼木山は、1908年に国有林から鍬ヶ崎町有林になり、その後の合併により現在は市の所有になっている。

 宮沢賢治は1917年7月にここに訪れ、「うるはしの海のビロード昆布らは寂光のはまに敷かれひかりぬ」という歌をよんでいる。


出典:Wikipedia


田野畑村

 私たちは浄土ヶ浜を視察した後、宮古市市街、宮古市田老地区、岩泉町小本地区を経由し、田野畑村の最南端にある鵜の巣断崖に向かった。

 以下は岩泉町から岩は田村に向かう途中の沿道の紅葉である。



岩泉町から田野畑村に行く途中の紅葉
動画撮影:青山貞一 Nikon CoolPix S8 2011.11.19

 岩手県北部のリアス式海岸の中心地田野畑村では、人口約4,200人の1割にあたる約400人が漁業関係の就労者で、漁師180人のうち60歳以上が約80人という田野畑村である。

 2011年4月9日の時点での田野畑村は、住宅約200棟全壊。死者14人、行方不明者25人、避難者347人となっている。その大部分はリアス式海岸の海浜部(漁港と住宅)に集中している。

 東日本大震災では田野畑村の漁船565隻中の512隻、漁協事務所、魚市場、養殖施設などが流失し、漁業関係の被害額だけで村の財政規模の約2倍にあたる76億円と推算されることから、自力での復興は困難と考えられている。

 リアス式海岸をもつ田野畑村、普代村、野田村では東日本大震災に続く巨大津波により、漁港など沿岸部で死者、行方不明者を出していることが分かった。

 明治三陸大津波で打ち上げられたと言い伝えられる「羅賀」(らが)地区の「津波石」に、津波が再び到達した。岩が動くことはなかったが、羅賀の住宅約150棟のほぼ半数が全壊し、地区住民約450人のうち9人が行方不明となっている。

 田野畑村は、日本の岩手県北部、下閉伊郡にあり、太平洋岸に面した村である。田野畑村の主な歴史を以下に示す。 



            田野畑村の歴史と津波被害

貞観11年5月26日(ユリウス暦869年7月9日) :
    三陸沖で貞観地震が発生、これに伴う津波によって大きな被害が出た。
慶長16年10月28日(1611年12月2日) :
    三陸沖で慶長三陸地震が発生、津波により甚大な被害が出た。
1896年(明治29年)6月15日 :
    三陸沖で明治三陸地震が発生し、(明治三陸大津波)に襲われた
    三陸海岸一帯(田野畑村を含む)は甚大な被害を受けた。
1933年(昭和8年)3月3日 :
    三陸沖で昭和三陸地震が発生、これに伴い大津波による被害甚大。
1955年(昭和30年)5月2日 :
    北山崎と鵜ノ巣断崖が陸中海岸国立公園の指定地域の一つとなる。
2002年(平成14年)10月14日 :
    鉄道の日、田野畑駅が「東北の駅百選」に選定される。
2006年(平成18年)2月17日 :
    机浜漁村番屋群が、水産庁の「未来に残したい漁業漁村の
    歴史文化財産百選」に選定される。
2011年(平成23年)3月11日 :
    東日本大震災では震度4にとどまった田野畑村(観測地点:田野畑村
    役場、田野畑村田野畑)であったが、地震が引き起こした大津波に
    より被災、死者・行方不明者40人を出した。
    村域にある島越駅(三陸鉄道北リアス線)は高さ約10mの鉄筋
    コンクリート製橋梁の上に設けられた高架駅であったが、津波に呑み
    込まれて駅舎・プラットホーム・線路が全て流失。橋脚の一部の残骸を
    残すのみとなった。
  
    上記の歴史についてはWikipediaを参照・引用した。


鵜の巣断崖

 田野畑村には多くの景勝地があるが、ことリアス式海岸が断崖絶壁の上から見られるひとつに鵜の巣(うのす)断崖がある。

 鵜の巣断崖は、陸中国立公園の内部にあり、下の写真にあるように、自然景観、とくにこの時期(晩秋)は、すばらしい紅葉が楽しめる。

鵜ノ巣断崖とは

 岩手県下閉伊郡田野畑村にある海岸景勝地。太平洋に沿って標高200mにも及ぶ大規模な断崖絶壁となっており、太平洋に突き出したような地形が特色。

 名の由来は中腹にウミウ及びカワウの営巣地があることに因み、鵜ノ巣断崖と名付けられたとされる。三陸海岸北部を代表する景勝地の一つで、陸中海岸国立公園に属する。

 地形上の特徴として、鵜ノ巣断崖一帯は三陸海岸北部に見られる典型的な隆起海岸地形である。これは、一帯を構成する北上丘陵が、長い年月を経たことで、海岸段丘面の波食の作用を受け形成されたものである。

 海岸段丘は、波食が緩やかな場所では低地部が残存したりするが(九十九里浜の納屋集落など)、三陸海岸北部一帯は海流の影響などで波が荒れやすく海食、とりわけ波食が活発であり、また太平洋に面しているため、地震活動による津波の影響も受けやすい。

 そのため、海岸段丘面の下部がほぼ全面に亘って削り取られたような形となっている。それゆえ、頂上部は平坦な丘陵地帯を形成するのに対し、ほぼ垂直に切り立った崖が展開される。

 また、このような作用から、この鵜ノ巣断崖はほぼ規則的に鋸歯状になっているのも特色である。これは、比較的脆い地盤が波食の作用を受けると、削り取られて窪んだ部分に波力のエネルギーが収斂されるからである。


 出典:Wikipedia

 私たちは調査で国道45号線を中心に、必要に応じ臨海部を走る44号線に移っていたが、田野畑村の鵜の巣断崖は、以下の地図の下方にあるように国道45号線で岩泉町から田野畑村に入ってすぐを右折し、海側に2kmほど入ったところにあった。


田野畑村の最南端にある「鵜の巣」断崖
出典:マピオン

 国立公園の無料駐車場に車を置き、下の写真にあるような紅葉の林の中を数100m歩くと鵜の巣断崖の展望台がある。遊歩道は落ち葉などでふっかふかの腐葉土となっていて気持ちいい。
 

田野畑村の「鵜の巣」断崖に行く途中の紅葉の前で
撮影:青山貞一 Nikon CoolPix S8 2011.11.19

 海岸の植物という解説看板があった。海岸には陸中に限らず海岸林として赤松が多い。それに薪炭林としてコナラなどの人工林が加わるが、田野畑村の断崖面には、それ以外にエゾスカシユリ、ハマギク、ハマハイギャクシなど海岸特集の植物が多く見られるようだ。


海岸植物の説明看板。田野畑村の鵜の巣断崖にて
撮影:青山貞一 Nikon CoolPix S8 2011.11.19

 それにしても、普段の年なら、この時期、紅葉狩りをかね多くの観光客が来るのだろうが、私たち以外はひとり三脚付きのカメラを持った男性がいただけで、誰もない。


田野畑村の「鵜の巣」断崖に行く途中の紅葉のなかで
撮影:青山貞一 Nikon CoolPix S8 2011.11.19

 田野畑村の鵜の巣断崖しかり、釜石市の鵜住居(うのすまい)しかり、岩手県の海岸にある市町村には、「鵜」(う)がつく地名が多い。海鵜は断崖や岩礁の上に好んで巣をつくり、魚類だけを補食するそうだ。岩手県北部のリアス式海岸には断崖と岩礁が連なっており、昔から海鵜が多く生息することから地名に「鵜」がつけられているのだろう。


海鵜の説明看板。田野畑村の鵜の巣断崖にて
撮影:青山貞一 Nikon CoolPix S8 2011.11.19

 紅葉の林のトンネルを抜けると、鵜の巣断崖の展望台があった!


鵜の巣断崖の展望台
撮影:青山貞一 Nikon CoolPix S8 2011.11.19

 この展望台から見る鵜の巣断崖の自然景観は、私たちやよく行く、イタリアのアマルフィ海岸に比肩する断崖絶壁である。もちろん、このような地形が連なる美しいリアス式海岸がみれるのは田野畑村だけだ!


田野畑村の「鵜の巣」断崖にて
撮影:青山貞一 Nikon CoolPix S8 2011.11.19

 田野畑村の「鵜の巣」断崖からリアス式海岸を望む。天気が悪く海、紅葉のきれいな色がでないのが残念!


田野畑村の「鵜の巣」断崖からリアス式海岸を望む
撮影:青山貞一 Nikon CoolPix S8 2011.11.19

 下は動画で見た鵜の巣断崖のリアス式海岸の景観である。 


動画で見たリアス式海岸の美しい景観
動画撮影:青山貞一 Nikon CoolPix S8 2011.11.19

 鵜の巣断崖から見えるもうひとつの景勝。穏やかな澄んだ水が印象的だった!


田野畑村の「鵜の巣」断崖からもうひとつの海岸線を望む
撮影:青山貞一 Nikon CoolPix S8 2011.11.19

 この時期ならではのすばらしい紅葉が楽しめた!


田野畑村の「鵜の巣」断崖駐車場の紅葉
撮影:青山貞一 Nikon CoolPix S8 2011.11.19


◆北山崎

 田野畑村には、鵜の巣断崖外にも多くの景勝地がある。下は「北山崎」である。これも鵜の巣同様、断崖絶壁の上にある。 下の地図の一番上にあるのが、その北山崎断崖である。


田野畑村の最北端にある「北山崎」断崖
出典:マピオン

北山崎とは

 陸中海岸国立公園の北方、岩手県下閉伊郡田野畑村北山にある断崖絶壁の自然景勝地。

 北は黒崎、南は弁天崎まで続く高台の中間付近にある。「やませ」と言われる風や濃霧が海上に発生しやすく、雲のような霧が断崖麓の海面を覆う時もある。


 その「やませ」は、春から秋にかけて黒潮が北上したり親潮が南下する時期、オホーツク海気団が太平洋側に張り出すと発生しやすい。

 北東あるいは東からの湿潤で冷たい風や濃霧。海面を這うような雲や濃霧が三陸北部の断崖にかかる時もある。東北南部の宮城県や福島県の場合、梅雨明けから夏にかけて農作物に影響し、冷害をもたらす原因となる北東からの湿った冷たい風や気象状態、その時に発生する濃霧なども含まれている。


 出典:Wikipedia


アマルフィ海岸並の断崖絶壁が連なるリアス式海岸の美しい景観
田野畑村の「北山崎」断崖にて
撮影:青山貞一 Nikon CoolPix S8 2011.11.19

田野畑村:陸中海岸の絶景と海の幸、山の幸が豊かな村

 私たちは時折小雨の降る中、国道45号と県道44号沿いに沿岸部の被災状況を視察した。北山崎付近でお昼時になったので、北山崎断崖展望台入り口の食堂に入った。

 この付近は海抜200mの位置にあり、津波の影響はまったく受けていない。店の名物はコンブの出汁が効いた「磯ラーメン」である。さっそく注文すると5分ほどで熱々の磯ラーメンができあがった。店は、おばあさんと娘さん(お嫁さん?)の二人が切り盛りしており、併設する売店には、特産品が並んでいる。

 磯ラーメンはあっさりとした塩味だが、天然黒コンブの出汁がとてもよく出ており、具にはもずくや若芽などの海草に海老、ムール貝が色を添えている。絶品の味わいだった。聞くと、出汁の黒コンブはお父さんが採ってくるとのことで、天然の味わいはとても言葉では言い表せないほどのものだった。ラーメンの出汁だけでなく、柔らかいのでおでんや煮物にも最適とのことだったので、私たちはさっそく売店で天然黒コンブをお土産に買い求め、店を後にした。

 3.11以降はめっきり観光客も少なくなり、店の切り盛りも大変のようだが、少しの間、地元の名物などの話題にはながさき、楽しい一時だった。東北の応援のためにも多くの人が田野畑村をはじめとする東北各地を訪ねたり、物産を買い求めて欲しいものだ。たのはた牛乳、ヨーグルト、アイスクリームも絶品とのことでお取り寄せや贈答品としても好評のようだ。

 ここ北山崎では下の写真にあるような秀逸な自然景観が堪能できる!



北山崎断崖の景勝
出典:現地のパンフレットより


田野畑村「北山崎」の断崖にて
撮影:青山貞一 Nikon CoolPix S8 2011.11.19


田野畑村「北山崎」の断崖にて
撮影:青山貞一 Nikon CoolPix S8 2011.11.19


田野畑村「北山崎」の断崖から岩場を見る
撮影:青山貞一 Nikon CoolPix S8 2011.11.19

 下は動画で見た北山崎の秀逸な自然景観。


北山崎の自然景観
撮影:青山貞一 Nikon CoolPix S8 2011.11.19


普代村
 
 岩手県北部のリアス式海岸にある3つ目の断崖絶壁は、田野畑村の北にある普代村に存在する。以下は普代村の沿革である。

                  普代村の歴史

1889年(明治22年)4月1日 -
    町村制が施行され、普代村が単独で村制施行し、北閉伊郡普代村が成立。
1896年(明治29年)3月29日 -
    北閉伊郡、中閉伊郡、東閉伊郡が合併して下閉伊郡となったことに伴い、
   普代村は下閉伊郡所属となる。


 なお、過去三陸海岸北部を襲った以下の被害について田野畑村を参照のこと。

貞観11年5月26日(ユリウス暦869年7月9日) :
慶長16年10月28日(1611年12月2日) :
1896年(明治29年)6月15日 :

 2011年3月11日に起きた東日本大震災による津波では、沿岸部の漁業施設などが壊滅したが、集落への浸水被害を少なく、2011年4月3日現在での死者はゼロである[2]。
    
 下は普代村の景勝地、「黒崎」で撮影した一枚。小雨が降り出す寒いあいにくの天気で残念。



普代村の景勝地、「黒崎灯台」
撮影:青山貞一 Nikon CoolPix S8 2011.11.19

 普代村の景勝地、黒崎には江戸時代のお台場があり、下の写真にある大砲も展示されていた。またこの黒崎は、ちょうど北緯40度の位置にある。


黒崎には江戸時代のお台場があった
撮影:青山貞一 Nikon CoolPix S8 2011.11.19

 普代村の黒崎には伊能忠敬の測量記念碑があった。伊能忠敬といえば千葉県の佐原市を思い出す。すでに他界されたが、佐原市に住んでいた友人の豊福氏は、郷里佐原の名士、伊能忠敬に刺激を受け、70歳過ぎてから世界25カ国以上を一人で旅行している。


黒崎にあった伊能忠敬測量記念碑
撮影:青山貞一 Nikon CoolPix S8 2011.11.19


普代村の景勝地、「黒崎」
撮影:青山貞一 Nikon CoolPix S8 2011.11.19

 この時期、岩手県北部地域一帯は、すばらしい紅葉が180度パノラマ状に展開していた!  残念なのは土日にもかかわらず、北リアスの景勝地には、ほとんど誰もいないことである。東日本地域の復旧、復興を応援する意味からも多くの観光客が現地を訪れてほしいものだ!


普代村の紅葉
撮影:青山貞一 Nikon CoolPix S8 2011.11.19

 一連の津波被災地調査では、当該地域の歴史、文化、風土、生活にも接することができ、多くの新たな発見もあった。

 私たちの頭の中には、環境と安全に配慮し、歴史と文化を生かした持続可能な地域づくりの要件調査でよく行くイタリアのアマルフィ海岸、ソレント半島とこの三陸リアス式海岸との対比があるが、それについても今後まとめてみたいと思う(下図参照)。

 下の写真は、グーグルアースで見たアマルフィ、ミノーリである。先端はソレント半島やカントーネである。
 
 急峻な断崖絶壁の地形にカントーネ、ポジターノ、アマルフィなど世界的にも希有で秀逸な小さなのまちがへばりついており、世界中の観光客を魅了している。



アマルフィ、ミノーリの上空からソレント半島の先端(カントーネ)を見た立体図
ソレント半島の左側がアマルフィ海岸。半島の右側にソレントがある。
出典:グーグルアースで青山が作成


参考データ:岩手県リアス式海岸自治体

市町村名 死者数A 行方不明者数B 死者+行方不明者数A+B=C
田野畑村 14 19 33
普代村 0 1 1


つづく