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●岩手県岩泉町(新規調査)
●水門の存在が津波の流れを変えた岩泉町小本地区 〜下閉伊郡岩泉町 小本川河口 水門近くにて〜 下は国道45号線で宮古市田老地区から岩泉町に入ってすぐの途中の橋の上から撮影した写真である。河口の小さな入り江にあった堅牢なはずの鉄筋コンクリートの防波堤が粉々に破壊され、その修復工事をしていた。 北が岩泉町の小本地区、南が宮古市の田老地区である 出典:マピオン 防波堤が粉々に破壊され、その修復工事をしていた。 撮影:青山貞一 Nikon CoolPix S8 2011.11.19 岩泉町側には小さな神社とたくさんの碑があった。おそらくそれらの碑は、過去の津波犠牲者に関するものと思われる。ここでも神社は高台にあり、津波被害を免れている。 岩泉町側には小さな神社とたくさんの碑があった。 撮影:青山貞一 Nikon CoolPix S8 2011.11.19 岩泉町は、宮古市田老町の北に隣接する町で、本州一の面積を誇っている(992.92ku(東西51km、南北41km))。市役所は内陸(海岸から20km以上西、小本川上流)に位置しているため津波の被害は全く受けていないが、小本川河口付近の小本地区の被害は著しい。流出・全壊の180戸ほどは、ほとんどが小本地区に集中している。 撮影:青山貞一 Nikon CoolPix S8 2011.11.19 私たちは岩泉町の小本地区から海岸線側に向かう。 岩泉町の小本交差点 撮影:青山貞一 Nikon CoolPix S8 2011.11.19 下は岩泉町の小本町の中心部から巨大な水門がある河口部に来たところの写真である。 小本町の中心部から巨大な水門がある河口部に来たところ 撮影:青山貞一 Nikon CoolPix S8 2011.11.19 今回の調査でも、各地で池田さんが被災者・地域住民インタビューを行った。宮古市で宿泊した休暇村でのインタビューでは、あまりにも惨く、公開できないような内容も多々あった。それらは今まで新聞、テレビが伝えていない内容である。 北部三陸での調査では、私たちに被災住民(仮設住民も含む)が近づいて来て、被災日の実態、その後の生活や家族や親類のこと、行政対応などについて率先して話してくれるケースが多かった。 今回も、私たちが被災現場の撮影などを行っていると、地元の方が足を止め、私たちに話しかけてくる場面が多かった。被災当日の様子や、避難生活の様子などを知って欲しい、聞いて欲しいという気持ちが表れている。 下の写真は、宮古市の北にある岩泉町の小本にて地域住民インタビュー中の池田こみち。相手は岩泉町出身のオリンピック選手の父親で被災者である。 岩手県岩泉町小本にて地域住民インタビュー中の池田こみち 相手は岩泉町出身のオリンピック選手の父親で被災者の三浦さん 撮影:青山貞一 Nikon CoolPix S8 2011.11.19
以下は岩泉町被災に関連する新聞記事。
2011年11月19日は、11月下旬にもかかわらず気温が17℃近くまで上がるほど暖かい小春日和だった。 老人は、自転車の前のカゴにロープらしきものを積み込んで、上り坂をゆっくりと自転車を押しながら登ってきた。 私たちが水門や周辺の堤防の撮影を終えて降りてくると、にこにこしながら私たちを迎え、「どこからかね」と声をかけてくれた。 岩手県岩泉町小本にて地域住民インタビュー中の池田こみち 相手は岩泉町出身の被災者三浦さん 撮影:青山貞一 Nikon CoolPix S8 2011.11.19 「東京から被災地の調査に来て居ます。大変でしたね。地元の方ですか。」と尋ねると、びっくりした様子で、「そうかね。うちは岩泉町小本。すぐそこだ。」と津波に流された小本川河口右岸の住宅地を指さした。 「津波はこの水門があったせいで、うちの方に流れ込んできた。うちは床上浸水だったけど、そこにはもう住めないので今は仮設で暮らしている。津波は真っ黒で、小本小学校まで到達した。ほとんどの人が出て行って今残っている人はごく一部だ。立派な水門ができているので、まさか津波がうちの辺りまで来るとは思っていなかった。」と被災の状況を話してくれた。 自転車に積まれたロープは、これから漁業を再開するときに必要となる浮きがついた太めのロープで、瓦礫と一緒に処分されないうちに、拾ってきたとのことだった。 海岸線一帯には、宮古市など他地域から運ばれた瓦礫が高く積み上げられ重機が分別作業を行っていた。 水門下流の右側に連なる小本港から直接、堤内地の家屋に津波が侵入したことがうかがえる。 漁業は鮭が中心で、今は国道45号の橋の下に拠点を設けて、鮭の採卵などを行っているという。今後、どこまで漁業の復興ができるかが小本地区の再生の鍵を握っているようだ。 以下は、グールマップで見た岩泉町小本川河口付近である。マウスを使用することで拡大、縮小、移動などが自由に行えるとともに、衛星画像、通常の地図、3次元立体地図、地形図などを切り替えてみることができる。 岩泉町の小本地区は、上の地図にあるように太平洋に流れ込む河川(小本川)の河口にあるが、インタビューによると河口にある水門の存在が津波の流れを大きく変え、下の写真にあるように甚大な被害を受けたという。実は水門の存在が結果的に被害を大きくした事例は随所に見受けられた。 小本川河口にある水門。これが津波の流れを変えた 撮影:青山貞一 Nikon CoolPix S8 2011.11.19 岩手県岩泉町小本地区 動画撮影:青山貞一 Nikon CoolPix S8 2011.11.19 水門から小本川上流方面を見る 撮影:青山貞一 Nikon CoolPix S8 2011.11.19 海沿いの堤防も下の写真にあるようにズタズタに破壊され、水門の存在によって津波の流れが変わったことにより背後の住宅地は大きな被害を受けていた。 ズタズタに破壊された岩手県岩泉町の堤防 撮影:青山貞一 Nikon CoolPix S8 2011.11.19 岩手県岩泉町の巨大水門付近の池田こみち 撮影:青山貞一 Nikon CoolPix S8 2011.11.19 ◆岩手県岩泉町小本の巨大水門に関連する情報 12mの水門を超える津波の様子(産経新聞:岩泉町職員撮影) http://sankei.jp.msn.com/affairs/photos/110319/dst11031920160076-p1.htm http://sankei.jp.msn.com/affairs/photos/110319/dst11031920160076-p2.htm http://sankei.jp.msn.com/affairs/photos/110319/dst11031920160076-p3.htm ◆小本川水門(岩泉町 いわいずみブログより) 小本川は昔から鮭漁が盛んな川でしたが、津波の襲来が問題でした。昭和28年から防波堤と水門の工事が行われ、40年の歳月と巨費を投じて平成5年に完成しています。 その規模は日本でも有数で、全長221m,幅30m。6つの水門を備え、1つの水門ゲートが7,600トンの荷重に耐えられる構造です。(これは、日本最大級の規模を誇るとされている。) 小本川河口にある水門。これが津波の流れを変えた 撮影:青山貞一 Nikon CoolPix S8 2011.11.19 ◆水工学委員会東日本大震災調査団報告書 より小本川に関するまとめ部分 小本川水門の下流側の海岸堤防から越水した流れによる破壊が主体であったと考えられる。 このような防潮水門より下流の海岸部では計画を超える規模の津波が来た場合には,水門の影響も含めて海岸堤防からの越流水深が増大することが考えられる。 特に,越水箇所の近傍では激しく洗掘が生じるため,家屋の流失が著しい。また,高い海岸堤防を越えた水の破壊力は増大する。 一方,津波の規模からすると水門を閉めない場合には,河川から越流しながら遡上する。今後,防潮水門を作る際には,海岸付近や河川付近の土地利用見直しを含めた計画を策定することが望ましい。 出典:水工学委員会東日本大震災調査団報告書 http://rde.nhdr.niigata-u.ac.jp/jsce/src/o1ltn4p3f7kys7gz04b.pdf 小本川 http://www.town.iwaizumi.iwate.jp/kankoumap/omotogawa.html 小本温泉 http://www.town.iwaizumi.iwate.jp/kankoumap/omotoonsen.html ●参考データ(岩手県岩泉町) ■岩手県岩泉町における志望者数及び行方不明者数
■津波の高さ(推定値) 今回現地調査した岩泉小本地区は、橋梁、水門、道路などの破壊状況、小本地区沿岸域の樹木、土壌、地層などへの影響から最低でもTPから13mの津波高、20m近い遡上高が生じていたと推定される。 出典:東京大学地震研究所 都司嘉宣氏らによる「三陸南部の調査結果」 参考・東北地方太平洋沖地震津波情報 東北地方太平洋沖地震津波合同調査グループ グラフィックスで見る日本沿岸の津波高 津波現地調査結果/岩手県 過去の津波情報 つづく |