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本稿(まとめと提言)は、青山貞一、池田こみち、鷹取敦の共同執筆である。 ●とりまとめと提言について 今回の現地調査で、北(岩手県久慈市)から南(茨城県北茨城市)までほぼすべての被災自治体の沿岸域を現地調査することができた。 本稿は現地で撮影した映像、写真や住民インタビュー、入手資料などをもとに独自調査報告の概要をまとめたものである。 ●なぜ過去の教訓が生かされないのか? 今回の一連の被災地の現地調査通じ強く感じたことは、過去、三陸地域をおそった津波により甚大な影響、被害、とくに人命に関わる被害を出した地域で、またしても甚大な被害を出していたことである。 三陸地方をおそった大きな津波を列記すると、以下の通りとなる。
上記以外にもチリ津波はじめ多くの津波があるが、今回の一連の現地調査をもとに、明治三陸津波、昭和津波などの大津波を過去に経験しながら、問題はなぜその教訓を生かすことができなかったのかである。 たとえば、宮古市、大槌町、釜石市、釜石市唐丹小白浜、大船渡市はじめ多くの三陸の海浜では、明治三陸津波でも多くの死亡者を出している。にもかかわらず、今回の東日本大震災でも同じような規模の犠牲者を出している。 以下は第一次調査のまとめのために作成した東日本大震災と明治三陸津波における対象地域別津波犠牲者比較である。 表には第二次調査で訪問した岩手県北部や石巻市などが含まれていないが、岩手県と宮城県の合計を見ると、釜石市をのぞけば東日本大震災の津波と明治三陸津波による被害者はほぼ同数であることが分かる。
ということは、3.11でもほとんど過去とほとんど同じことを繰り返していることになる。 ◆第一次調査、宮城県調査、第二次調査を含めた比較 ここでは第一次調査に今回行った第二次調査及び宮城県北部被災地調査で対象となった三陸海岸全地域における明治三陸津波と東日本大震災津波について対象地域別津波犠牲者比較を試みた。 黄色をつけた部分は第二次調査ではじめて現地を訪問した基礎自治体である。石巻市は宮城県・福島県北部町時に南半分を訪問しており、女川町は宮城県・福島県北部町時に訪問している。 出典は旧内務省資料による。
●歴史的教訓と私たちの提案 @東日本大震災・津波並の被害は1000年に一度ではなく100年に一度である! 上記の明治三陸津波と東日本大震災津波の被害者数の比較結果を見ると、第一次調査同様、明治三陸津波時の釜石市の犠牲者をのぞけばほぼ同規模であることが分かる。 ここでいえることは、こと三陸地域における津波被害では、決して1000年に一度の規模ではなく、100年に一度の規模であることである。 そして、ほぼ同じ規模の犠牲者が三陸海岸の諸自治体で出ていることである。 国、東京電力、専門家などが事故当初、1000年に一度発生論を強調したのは、間違いなく責任や賠償を回避しようとする意図が働いたからであろう。 国、電力会社、専門家など保身が1000年に一度発生論を声高に叫び、新聞、テレビなどのマスコミも、ろくに過去の歴史を調べ、学ぶことなくそれらの論調を吹聴してきたといえる。 だが、上述のように、明治時代にも今回の津波被害に匹敵する津波が三陸海岸で起きていたのである! 想定外はウソである! A高台移転の歴史的教訓がまったく生かされていない! 私たちが数度に渡り現地視察したあとで得た大きな教訓の第一は、大槌町の大槌稲荷神社の宮司さんの言葉にもあるように、言うまでもなく住宅、集落は高台に立地すべきことである。 第一次調査だけでなく第二次調査でも、この点を徹底的に調査したが、三陸海岸のあらゆる場所で、高台に住居、公共施設を移転、立地している集落は甚大な被災を免れている。 しかし、いくら鉄筋コンクリートのマンションや公共施設でも低地に立地していた建築物は、倒壊、破壊を免れた場合でも、事実上、使用が不可能となっている。 もちろん、漁業関係者などが沿岸域を重視するのは理解できるが、その場合でも、漁業関係施設と住居の立地は別とし、住居は高台に移転しなければならない。 また岩手県釜石市唐丹集落、宮城県石巻市、仙台市、南三陸町、名取市、亘理町、山元町、福島県新地町などでは、小学校や中学校や集会施設などの公共施設が海浜地域や河川敷近くに立地されていたことで甚大な被害を受けていた。 これは第一次、第二次調査の論考で扱ってきた釜石市唐丹小学校、石巻市大川小学校、大川中学校、山元町立小学校だけでなく、あらゆる基礎自治体でみた光景である。 将来ある多くの子供たちを犠牲にしたことをどう償うのかが問われる! やむなく沿岸域、臨海部においてまちづくりを行わざるを得ない場合には、以下を参考にして欲しい。 以下は、復興に向けて私たちが提案している土地利用のイメージである。以下はあくまでイメージであり、実際の地形、まちの規模などとの関係、条件を考慮しなければならい。 アマルフィ海岸(ポジターノ)型のまちづくりイメージ ソレント・ドブロブニク型のまちづくりイメージ 上記については第一次調査時の政策提言をご覧頂きたい。 ◆青山貞一・池田こみち:三陸海岸 津波被災地現地調査 O復興に向けての提案ー2 また福島県沿岸域に関しては、放射性物質に汚染された膨大な瓦礫処理との関連で、私たちは以下の提案をしている。これは汚染された災害廃棄物を日本全体で広域処理することにより放射性物質、ダイオキシン類、アスベスト類、重金属類、農薬類などの放射性物質や有害化学物質を全国に蔓延させるのではなく、集中管理するための方策も含まれている。 その場合には、下図に示すように、瓦礫を管理型あるいは遮断型の中間管理所をベースにオランダの北海海岸にある堤防に類する二重の堤防を設置する提案である。有害化学物質管理については、イタリア北ミラノのセベソにおける化学物質大事故後の有害物質対策を見習っている。 ◆青山貞一・池田こみち:三陸海岸 津波被災地現地調査 N復興に向けての提案ー1 オランダのペッテンやデンヘルダー地方にある堤防の断面概念図 以下は放射性の災害廃棄物を閉じこめる第一堤防の断面図。 出典:青山貞一、池田こみち 以下はその平面図である。 出典:青山貞一、池田こみち B土地利用計画・土地利用規制・建築規制があまりにもおざなりである! その第二は、国、自治体が責任を持って土地利用規制をすべきことである。いくら津波による浸水域を明記しても、開発許可や建築確認時に立地規制をしなければ津波の被害は防げないのである。 これは何も津波災害だけでなく、山津波、崖崩れ、河川敷、浸水、地盤沈下、液状化などが想定、予想される土地についても同様である。 今回の現地調査でも、自治体行政が許可や確認を行い、一般市民が建築した新規の住宅が流されている多くの例を見てきた。一般市民にとっては甚大な財産の損失である。 過去の教訓を土地利用計画や土地利用規制に生かさず、繰り返し許可や確認を出してきた行政は本来、国家賠償責任を負うべきでではないだろうか? 国や自治体は1000年に一度の巨大災害であり、想定を越えるとして国家賠償責任を逃れようとしているが、もし、過去の教訓を生かし、土地利用規制、建築規制をしてれば間違いなく、人的被害、財産的被害は未然に防げたと考えられる。 C鉄とコンクリートの防潮堤、防波堤は防災意識を弱める! 現地で見た事実からの教訓の第三は、鉄とコンクリートによる巨大な防潮堤、防波堤がことごとく破壊され、被害の未然防止に役に立たなかったことである。 もちろん、多くの堤防の中には被害を一定程度抑制したり、津波の来襲時間を遅らせたものがあるかもしれない。しかし、私たちの住民への直接インタビューでは、多くの場合、巨大な防潮堤や防波堤の存在が、住民に心理的な安心感を与え、結果的に逃げ遅れを助長したことがある。 これはたとえば、釜石市の湾口に1200億円かけ建設した湾口防潮堤、釜石市唐丹の小白浜漁港の400mに及ぶ12m高の防波堤、宮古市田老地区のX字型防波堤などは、その典型例である。 今回の東日本大震災による津波災害で分かったことは、もとより、いくら巨額をかけ巨大な防波堤、防潮堤を建造しても津波は防げないということである。 もし、国土交通省的な思考で三陸海岸に20mを超すような防潮堤、防波堤、それも東日本大震災津波に耐えうるようなものを建造するとなれば、累積赤字が1000兆円を越えようとしている国家予算をさらに極度に悪化させるものとなろう。 本来すべきは、自然の驚異、猛威を鉄とコンクリートで防ぐという思考ではなく、高台などに建築物を移すためのまちづくりであり、土地利用規制である。 釜石港湾口に1200億円を投入し建設しながら津波でコッパミジンに 破壊されたスーパー防潮堤 撮影:青山貞一 Nikon CoolPix S8 2011.11.18 釜石市唐丹町小白浜漁港の防波堤 撮影:青山貞一 Nikon CoolPix S8 2011.8.24 岩手県宮古市田老地区のX字型防波堤階段上の池田こみち 撮影:青山貞一 Nikon CoolPix S8 2011.11.19 D日常的な防災意識の高揚、避難訓練が不可欠! 第四の教訓は、池田が石巻の大川小学校の論考で指摘しているように、防潮堤や防波堤などハードな対応より、いざというときに備え常日頃から集落あげて避難場所に移動する訓練をすることである。また避難場所を小学生でも分かるように明示することである。 実際、私たちが現地で検証したところ、大川小学校の場合、すぐ裏山に逃げ登れば、犠牲者はゼロであったはずである。もちろん、その背景には、この場所まで津波が来るわけがないという慢心(油断)であり、国、自治体の基礎調査の不備があることは言を待たない。 国土交通省ははこものばかりに執着し、一方防災をあずかる総務省(旧自治省)は、およそ現場感覚がないことが問題を大きくしていると行ってよい。 原発事故と異なり、避難する場所、方向はほぼ分かっているので、まさに備えあれば憂いなしである。 E三陸リアス海岸を生かしたまちづくりを! 第二次調査では、主に三陸のリアス海岸地域を集中的に歩いた。宮古市の浄土ヶ浜、田野畑村、普代村、野田村など、日本では実に秀逸で希有な環境資源がある。 もちろん、それらは国立公園や史跡名所、景勝となど観光資源となっているだが、私たちがよく行くイタリアのソレント半島、アマルフィ海岸のまちづくりと比べると、さまざまな点で秀逸で希有な環境資源が観光資源そして歴史と文化を生かしたまちづくりに生かされていないといえる。 その理由のひとつは、イタリアのアマルフィ海岸やソレント半島の場合、それらの景勝地は、人々の生活や生業と一帯となっているのに対し、日本の三陸海岸の景勝地は、自然環境保全地域や国立公園地域、国定公園地域などとして、およそ地元住民とかけ離れ「自然環境保全」だけが優先された公園となっているからである。 なぜ、アマルフィ海岸やソレント半島の各地を欧州のみならず世界中の人々がこぞって訪れるのかと言えば、それはアマルフィ、ポジターノ、セターラ、ラヴェッロなどが単なる景勝地や観光地ではないからだ。 断崖絶壁に立つまち、ポジターノを背景に 撮影:青山貞一 2011.3 当該地域は、永年の歴史と文化をもち、そこに住む人々のぬくもりと息づかいが感じられるまちであるからである。魚介を生かした食べ物、はめぎ細工などの造形品、ゆったりと流れる空気とこれ以上なく澄んだ水などがあるからである。 急峻な崖にカラフルな住宅がへばりつくポジターノの絶景 バスの中から撮影した懇親の一枚 撮影:青山貞一、Nikon CoolPix S10 本来、田野畑村、普代村などのリアス海岸や宮古、大槌、山田などの海浜にはそれらの条件の多くが潜在しているはずだ。 サンタニェーロ側から見たソレント この角度でもやはり切り立った断崖絶壁の海岸線が続く 撮影:青山貞一 Nikon Coolpix S10 F建設業依存とならない地域経済の確立を 現在、東北の被災地ではがれきの撤去・処理が地域の大きな課題となっている。がれき撤去は税金によって行われる公共事業という側面を持ち、建設業、特に中央のスーパーゼネコンの特需となりバブルの様相を呈している。今後はこれに加えて復興建設事業も特需として待ち構えている。福島県および近隣地域では「除染」も一種の公共事業としての側面を持っている。 これらの「特需」は地域に一時的な雇用を創出しているものの、これによって得られる利益はスーパーゼネコンと地元の建設業者では大きく異なり、地元の業者は直接仕事を受けられずスーパーゼネコンの下請け・孫請けとして極めて安く仕事をさせられているという。7月30日にはゼネコン同士の談合を告発する匿名のメールが宮城県庁や報道機関に送られたことが報じられている。がれきの二次処理事業には資格要件がもうけられ大手ゼネコンによるJVしかこれを満たすことが出来ない。 このような構造のまま、がれきの撤去、処理・処分、復興事業が続くと、東北の地域経済はゼネコンの下請けとして安く発注される建設事業への依存を深め、復興事業の終焉とともに地域経済も震災以前以上に厳しい状況になることは目に見えている。 「E三陸リアス海岸を生かしたまちづくりを!」で提起したように、地元の自然環境資源を活かした地域社会を作り上げるために、復興事業を単なる公共事業としての建設事業とせず、明確なビジョンに基づいたマスタープランを具体的に実現するものとすることが必要である。 そのためには復興事業実施の過程から地域に直接雇用をもたらすような発注形態に改めるとともに、建設業から地域の自然環境を活かした事業へ段階的に移行することを助けるための各種制度を早期に整備し、被災者が地域と個人の将来について長期的な見通しを持って復興に取り組むことができるようにすることが求められる。 G生活再建;前に向かって歩み出すために 震災からまもなく9ヶ月、すべての被災県で避難所は閉鎖され、被災された方々は仮設住宅や自ら確保した仮の住まいに移り、復興に向けてようやく一歩を歩み出したところである。その数はおよそ72,000人にも及んでいる。 しかし、地震・津波で一命を取り留め、仮設住宅での生活がはじまったものの、将来に希望がもてなくなったり、日々の生活の中でやり場のない不安や恐怖に襲われて自ら命を絶つ人も増えているという。 避難している72,000人の方々が受けた物理的な被害は同じでも、心に受けた傷は一人一人異なる。九死に一生を得た被害者が「生かされたこと」を前向きに受け止め生きていくためには何が必要なのか、簡単に答えは見つからない。 けれども、まず優先すべき事は、土地・家・家財など生活の基盤をすべて失い、家族・知人、親戚・友人の多くを失い、ふるさとや思い出、それまでの生きた証などのアイデンティテイを失った方々の痛み、悲しみ、苦しみに耳を傾け、寄り添うことではないだろうか。個別の事情に対応していこうとするきめ細かい心配りこそ今求められている。 被災地を回ってみると、あちこちで土木工事の槌音が高く響いている。壊れた堤防、道路、鉄道の復旧が必要なことはわかるが、それに向けられるエネルギー、人材、資金などに比べて、一人一人の被災者の心を支える支援はあまりにも手薄に思える。 堤防があったにも拘わらずすべてを失ってしまったのは「未曾有の地震津波だったから、想定外の自然災害だったから」では済まされない。地域ごとに被災の構造を解明・検証し、被災した方々の声を聞いて、新たなまちづくりや地域づくりに生かして行かなければならないだろう。残された方々こそが地域の財産であるはずだ。 沿岸地域の暮らしは海とともある。そんな地域に、12mや15mものコンクリート堤防を再建することはある意味、簡単かも知れないが、それで再び活気のあるまちや安心できるまちが再建できるとは思えない。既に各地域で行政が提案した堤防再建、新設への疑問の声が噴出している。 行政の縦割りによる拙速なハード修復事業の先行は慎むべきである。優先すべきは被災した方々のケアであり、気持ちの回復なのではないだろうか。ハード事業による復興の押しつけや誘導ではなく、地元の方々の意見をじっくりとききながら参加できる復興の道筋を定め、進めていくことが必要なのではないだろうか。 ●第二次調査を終わるに際して 以上、現地調査を通じて感じたことと提案を紹介してきた。ぜひ、私たちの提案を生かし、次世代、100年後に通用する新たなまちづくりをして欲しいと思う。 最後に、私たちの現地調査にご協力いただきました関係各地の方々に、この場を借りて感謝の意を表します。ありがとうございました。 青山貞一、池田こみち 補遺へつづく |