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 春浅いロマンチック街道を行く
M番外編:尾瀬遭難について

青山貞一 11 May 2009
独立系メディア「今日のコラム」


@1日目:鎌原神社と満蒙開拓団祈念碑 J3日目:春の海野宿の花々
A1日目:浅間牧場と天丸山 K4日目:川場村に遠征
B1日目:バラギ湖と田代湖 L4日目:山開き前の尾瀬を登る
C2日目:半出来温泉は春爛漫 M4日目:番外編:尾瀬遭難について
D2日目:吾妻渓谷と八ツ場ダム工事現場 N4日目:大清水の水芭蕉
E2日目:六合村赤岩の養蚕農家 O4日目:花咲温泉と天王桜
F2日目:残雪の野反湖へ P5日目:雨の花楽の里
G3日目:浅間大滝から軽井沢の農水路 Q5日目:秘境、沢渡温泉郷
H3日目:佐久の蕎麦と東御の温泉
I3日目:ツバメ飛ぶ海野宿

 2009年5月6日、私達は車中で昨日、尾瀬の大清水で遭難した35歳の男性が登山道から400m離れた雪のなかで発見されたというニュースを聞いた。
 
 インターネットでも以下の毎日新聞の記事を呼んだ。

尾瀬遭難:35歳男性、遺体で発見 登山道外れた沢で
毎日新聞 2009.5.6

 群馬県片品村戸倉の尾瀬国立公園で、ハイキングをしていた男性(35)が行方不明となっていた遭難事故で、県警沼田署は6日、男性を遺体で発見したと発表した。

 同署によると、発見現場は登山道から数百メートル離れ、付近には約1メートルの積雪があったといい、道に迷ったとみられる。遺体に目立った外傷はないという。

 同署の調べでは、男性は横浜市泉区中田東4、無職、加藤大滋さん。遺体は登山道から北西に約400〜500メートル離れた沢近くで見つかった。現場から北東に約250メートル離れた場所で、加藤さんのストックとタオルも見つかったという。

 加藤さんは3日朝から会社員の兄(52)らとハイキングに訪れ、登山途中で別行動をした後、行方不明となっていた。6日午前7時から同署谷川岳警備隊が捜索していた。

【杉山順平】

尾瀬で不明の横浜の男性、遺体で発見 群馬県警沼田署

 群馬県片品村の尾瀬国立公園で、ハイキングをしていた男性1人が行方不明になっていた遭難事故で、県警沼田署は6日、登山道の近くで横浜市泉区中田東4丁目の無職加藤大滋さん(35)の遺体を発見した、と発表した。

 死因は捜査中だが、擦り傷以外に外傷はなく、道に迷ったとみて調べている。
 同署によると、遺体は登山道から北西に約400〜500メートル離れた積雪約1メートルの沢付近で見つかった。この地点の北東側にあるナメザワ地区では加藤さんのストックとタオルもみつかった。

 加藤さんは3日朝から、会社員の兄(52)ら3人と、尾瀬沼に通じる登山道を歩いている途中、「疲れたので先に行ってほしい」と言って別れた後、行方がわからなくなっていた。

2009年5月6日16時34分 朝日新聞

 以下は5月6日の日本テレビの定時ニュース(NNN)である。




尾瀬国立公園で不明の男性、遺体で発見
<5/6 17:07>
 群馬県の尾瀬国立公園で行方不明になっていた横浜市の無職・加藤大滋さん(35)が6日午前、遺体で見つかった。加藤さんは3日、兄ら3人と尾瀬国立公園の大清水から三平峠を登山中に行方がわからなくなった。警察などが捜索を続けていたが、6日午前9時半ごろ、登山ルートから約500メートル外れた沢で、雪の上に横たわって死亡しているのが見つかった。誤ってルートを外れたとみられている。

動画

 さらにインターネットで検索すると5月4日付けの以下の記事も発見した。

遭難:尾瀬で不明の男性、発見できず 4日の捜索打ち切る
毎日新聞 2009.5.4

 3日午後7時10分ごろ、群馬県片品村戸倉の尾瀬国立公園をハイキングしていた神奈川県鎌倉市の男性会社員(52)から「一緒にいた弟の姿が見えなくなった」と、群馬県警沼田署に通報があった。

 同署は遭難したとみて、4日朝から県警ヘリなどで捜索したが発見できず、午後4時過ぎに捜索を一時打ち切った。

 同署によると、男性は3日午前7時ごろ、家族2人と横浜市の無職の弟(35)の計4人で尾瀬沼に向けて大清水を出発。途中、弟が「疲れたので先に行ってくれ」と話したため、別行動をとった。

 同10時半ごろ、大清水から約5キロ離れた三平峠で、弟がはぐれたことに気付いたという。夜まで捜したが見つからず、通報した。

 前橋地方気象台によると、3日午前の尾瀬の天候は晴れ。

【鳥井真平】

横浜の男性、尾瀬で行方不明…疲れて同行者からはぐれる

 3日午後7時10分頃、群馬県片品村の尾瀬国立公園を訪れていた横浜市の無職男性(35)の姿が見えなくなったと、男性の兄で神奈川県鎌倉市の男性会社員(52)が、沼田署に届け出た。

 同署などが4日の日没まで捜索したが見つからず、5日朝に再開する予定。

 同署の発表によると、男性は3日午前7時頃、兄の家族と4人で、同公園内の大清水から入山。尾瀬沼へ向かう山道で、男性が「疲れたので先に行って」と言ったため3人が先を歩き、はぐれたという。

 同署幹部によると、はぐれた付近の登山道にはほとんど積雪がないが、道を外れた山林には雪があるという。

(2009年5月4日20時12分 読売新聞)

 上記のニュースに接して、いくつか疑義を感じた。

 まず最初に、亡くなられた加藤さんのご冥福をお祈りしたい。

......

 私たちは尾瀬で遭難した横浜の男性とよぼ同じコース、すなわち大清水から一ノ瀬経由で、岩清水さらに三平峠から尾瀬沼を目指すコースを5月5日にとっていた。

 下の図は先のブログに示した標高地図とグラフだが、遭難した男性は私たちが折り返した地点近くで遭難し遺体で発見されたことになる。


図中折り返し地点とあるのは5月5日に登山した青山らが
折り返した地点を意味する。

 上記を標高グラフに表記すると以下のようになる。


大清水→一ノ瀬→三平峠→尾瀬沼の標高図(試作)
図中折り返し地点とあるのは5月5日に登山した青山らが
折り返した地点を意味する。
ヤマレコの基本図に青山貞一が調査し記入(赤色部分)

 遭難が起きた2日後、ほぼ同日のルートで登山した私たちの率直な疑義を以下に示したい。

 まず最初に言えることは、大清水から一ノ瀬までの約1時間の砂利道は、全く道に迷うことなどはありえないし、ほんの少し勾配があるが、自動車も通れる林道である。事実、大清水から一ノ瀬の間で遭難していない。

 次に、一ノ瀬から岩清水だが、先のブログに多数の写真を示したが、木道が半分くらい雪で埋まっていた。しかし、登山靴でなく運動靴であっても、まず踏み外すことはあり得ない。

 池田こみちさんは登山靴をもっていたが、この日は革靴で登山していた。

 一ノ瀬から岩清水では、万一足を踏み外し沢に落ちたとしても、到底、死に至ることなどありえないと考える。

 さらに岩清水から三平峠であるが、私たちは三平峠の直前で折り返している。新聞記事などからは、遭難者は三平峠に到達する前に道を迷ったと考えられる。

 下は加藤さんが遭難したと推定される場所に近い地点である。この辺は読売新聞の記事にあるように、あまり残雪はない。これの後、三平峠に向かってさらに登った後、引き返した。
 

撮影:青山貞一 Nikon Cool Pix S10 2009.5.5 夕方

 私たちが折り返すことを決断したのは、三平峠から下ってきた親子4人の助言があったからだが、親子のうち2人は子どもであり、まちがいなくハイキングスタイルであった。ストックももっておらず、靴は運動靴であった。

 2日前に実際に歩いた者として見て、このルートでもどうみても道に迷ったり、木道上の雪を踏み外しても遭難することなどありえないと考える。各種タイプはあったものの木道は結構しっかりしており、踏み外し転落することはありえない。

 まして新聞記事にある登山道から400mも北西に離れた場所というのはきわめて不思議である。

 ただし、三平峠に向かう登山道の北西側には確かに谷がある。

 朝日新聞の記事には遺体が発見された場所から北東側にあるナメ沢地区で加藤さんのストックとタオルもみつかったとあるが、遺体とストックがそれぞれ発見された位置の水平距離は700m以上になるはずで、その点でも極めて不可思議である。

 以上を総合すると、弟が兄に「疲れたので先に行ってくれ」と話したため、別行動をとった」としても、どうみても遭難することなど考えられず、まして登山道から400〜500mも離れた場所で遺体となって発見されること自体、どうみてもありえないと考えられるのである。

 もちろん、遭難で死亡した男性には目立った外傷がないようなので、ますます不可思議である。

 ちなみに、2008年度の尾瀬の入山者は、環境省の調査によると38万人で例年並みとのことだが、統計を見ると、尾瀬を含む日本の山岳登山の遭難や死者は増えているという。

 となると、大清水などで配付される「尾瀬、入山にたたって」の地図にある凡例をより現実にあったものとすべきではないだろうか。凡例では今回、遭難し死亡された加藤さんが登っていたルートは、初心者トレッキングコース()比較的歩きやすい山道)となっている。

 夏ならそうであっても、山開き前(5月20日)前で惨殺が残る今回のような場合、人によっては必ずしも初心者トレッキングコース()比較的歩きやすい山道)
とは言えない可能性もあるからだ。


続く