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日本と中国の歴史をひも解くシリーズ


南京大虐殺 3

 原題:南京大屠杀
来源: 百度百科

中国語翻訳:青山貞一(東京都市大学名誉教授)
独立系メディア E-wave Tokyo 2021年12月31日
 

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南京大虐殺 3

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日本軍の南京攻撃


黄浦江の河口で中国人捕虜に残虐な行為をする日本の羽田部隊

 日本軍は、上海付近で中国軍の主力を壊滅させ、中国国民党政府を屈服させることを目的としていた。 しかし、3ヶ月間の苦しい戦いの後、日本の上海派遣団が「松湖の戦場で大きな損失を被った」ことで、日本の意思決定者は南京を直接攻撃するかどうかで意見が分かれた。

 北方でのソ連の軍事的脅威を懸念した日本の参謀本部事務次官の多田淳らは、「戦争を拡大しない」ことを提唱していた。 このため、東京は11月7日に上海派遣軍と第10軍を一時的に中部戦線軍に編成した際、戦線軍の活動範囲を蘇州線と嘉興線の東側(「オーダーメイドライン」)に限定した。

 15日、柳川平助の第10軍は参謀本部の命令を無視して「全力で南京を追撃する」ことを決定し、中国軍は後退し、22日には前線の軍司令官である松井石根が 11月下旬には、日本の上海派遣軍と第10軍が横断して 日本軍の上海派遣軍と第10軍は「オーダーメイドライン」を越え、太湖の南側に沿って常州を北側に沿って湖州をそれぞれ攻撃し始めた。 前線の急速な進展に鑑み、東京本陣は24日に「命令線」を廃止し、12月1日に南京を攻略するという正式な命令を下したのである。

 南京への攻撃が開始された直後、熱狂的な前進によって補給部隊が取り残され、日本軍は内陸深くで戦うための兵站(ロジスティック)の準備をしていなかったため、すぐに食糧供給の途絶という深刻な問題に直面し、日本陸軍司令部は「その場で回収せよ」という命令を出したが、これは事実上、軍隊が略奪を行うことを意味していた。 強盗や強姦の罪を隠すために、日本人は被害者を殺害するだけでなく、村全体に火をつけることもしばしばあった。


南京の陥落


日本軍が南京に侵攻 (4枚の写真)

 1937年12月12日、日本軍第6師団の一部が中華門に進入したが、深く侵入することはできなかった。 市街地の残りの陣地は、まだ中国軍の手中にあった。 中華門の防衛を担当していた第88師団長の孫元良は、勝手に一部の部隊を連れて下関方面に逃亡したが、第36師団長の宋西蓮に戻るように説得されたものの、すでに市内は混乱していた。

  午後になると、唐生芝は急いで師団以上の将軍たちを呼び寄せ、退却の手配をした。 退却計画では、下関から司令部とその直属部隊を援護する第36師団を除いて、すべての部隊が正面から脱走することになっていたが、唐生子は中央軍の直属部隊が脱走で失うものが大きいことを心配し、第87師団、第88師団、第74軍、教導隊に「全員が脱走できなければ、フェリーがあれば川を渡れ」と口頭で指示していた。

 この矛盾した命令は、中国軍の退却をさらに混乱させた。 会談終了時には、イェー・ザオ(叶昭)、デン・ロンガン(邓龙安)両司令官が率いる広東ライン所属の第66軍と第83軍だけが、多大な犠牲を払いながら日本軍の包囲網を突破した。その結果、第159師団の司令官代理であるルオ・セクン(罗思坤)は戦死した。

 他のほとんどの部隊長は、下流への退却展開が完全に連絡されていない状態で、自分の部隊を残してあらかじめ制御されたボートで川に逃げた。 これらの部隊は、将校が下関に退却したと聞いて、川が退却できる状態になったと思い込み、陣地を放棄して下関に群がってきた。

 弋江門の封鎖を担当していた第36師団は、退却を許可する命令を受けていなかったため、市内から下関に退却する者と衝突し、多くの者が殺されたり、踏み潰されたりした。12日夜、唐勝志とその指揮官のメンバーは、事前に予約しておいた小型の消防艇で下関石炭港から川の北側に逃げ、その後、第74軍の一部(約5,000人)と第36師団も石炭港から船で川を渡り、第88師団の一部と第156師団の一部が 下関では、彼らの管理下にある木造船を使っていた。

 下関に逃げてきた中国の守備隊はすでに混乱し、混乱した散らばり方をしていた。中には筏で川を渡ってきた者もいたが、その多くは到着した日本軍によって溺れたり、射殺されたりした。

 川を渡ることも脱出することもできなかった中国兵の多くは南京の街に散らばり、多くの者が武器を手放して民服に着替え、安全な南京に身を隠していたが、13日の朝に日本軍が侵攻し、40日以上に及ぶ南京大虐殺が始まった。[10]


南京の陥落


南京の陥落


南京大虐殺4につづく