ボロブドウール寺院遺跡群 Archaeological site of Borobdur temple サムドラ・ラクサ船 大航海時代 Museum Kapal Samudra Raksa 青山貞一 Teiichi Aoyama 池田こみち Komichi Ikeda 掲載月日:2017年1月31日 独立系メディア E−wave Tokyo 無断転載禁 |
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1498年におけるヴァスコ・ダ・ガマの航海ルート(黒)。緑線は通常のルートであり、橙線は1488年のペロ・ダ・コビリャの旅程、青線はアフォンソ・デ・パイヴァの旅程です。 香辛料交易 出典:Wikipedia 以下は、主に海のシルクロード(香辛料交易ルート)に関する参考資料です。出典は主にWikipediaです。 ところで、経済的に重要なシルクロード(赤)と香辛料貿易のルート(青)は、オスマン帝国時代に遮断されますが、1453年のビザンツ帝国の崩壊は、アフリカ航路開拓のための探検を促し、大航海時代を引き起こしたのです。 香辛料貿易は、香辛料、香、ハーブ、薬物及びアヘンなどを対象としていました、古くから行われていた貿易(交易)のことを指します。アジア圏は古代から香辛料貿易に関わり、古代ギリシャ・ローマとも、ローマ-インドルートと香の道(Incense Route)を通して取引を行っていました。 ローマ-インドルートはアクスム王国(BC5世紀-AD11世紀)が1世紀以前に開拓した紅海航路を用いるなど海洋国家に依存していました。7世紀中頃、発達したイスラム圏がエジプトとスエズを結ぶ隊商路を遮断してしまうと、アクスム王国(及びインド)は、ヨーロッパ貿易圏から離れてしまいました。 アラブの貿易商は、レバント地方とヴェネツィアの商人を通してヨーロッパと取引を続けました。当初は、陸上ルートが香辛料貿易の主要なルートであったのですが、これは海上ルートによる商業活動の急激な成長にも繋がりました。 中世中期から終わりにかけて、香辛料貿易においてイスラムの貿易商達がインド洋航路を支配し、極東の資源地開発を行いまし。彼らはインド洋航路を通して、インドの貿易市場から、ヨーロッパへの陸上ルートに繋がるペルシア湾や紅海に向かって香辛料を輸送しました。このようにアラブの貿易商達が香辛料貿易を支配しましたが、1453年にオスマン帝国がビザンツ帝国を滅ぼし、地中海の制海権を得ると、これらを通る交易路に高い関税をかけたため、アラブ商人主導の貿易は衰退していきます。 大航海時代に入ると貿易は一変します。香辛料貿易は、大航海時代を通してヨーロッパの貿易商たちの主要な活動となりました。1498年にヴァスコ・ダ・ガマが喜望峰経由によるヨーロッパ-インド洋航路を発見し、新しい通商航路を開拓すると、ヨーロッパ人が直接インド洋始めアジア諸国に乗り込んでいったのです。特にポルトガルはいわゆる海羊帝国を築き、当時の交易体制を主導しました。 この大航海時代の貿易(中世の終わりから近世にかけての世界経済は、東洋におけるヨーロッパ優位の時代を作りました。国家は貿易の支配を目指して香辛料交易路を巡って戦いましたが、それは例えばベンガル湾航路のように、様々な文化の交流、あるいは文化間の貿易取引を橋渡しする役割も持っていました。しかし、ヨーロッパ支配地は発展するのが遅れたのです。 ポルトガルは、自身の影響下にあった古代のルートや港湾、支配の難しい交易路に制限や限定を行いました。オランダは、(時間はかかるが)インドネシアのスンダ海峡と喜望峰を直接結ぶ遠洋航路を開拓してポルトガルの支配する海域を避け、これら多くの問題を回避していたのです。 つづく |