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サンタンジェロ城(Sant' Angelo
最高裁判所(Piazza di Guistizia)
アウグストゥス廟(Mausoleo Augusta)
ポポロ広場(Pialla del Popolo)
ピンチョの丘()Pomcio)
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時間の関係もあり、中には入らず、さらにティベリ川の河畔を歩くと、立派な建築物に遭遇する。イタリアの最高裁判所である。
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ティベリ川の河畔にある最高裁判所
撮影:青山貞一、Nikon CoolPix S10
何とも立派な建築物である。
下の写真にあるように、入り口の前は4本の円柱の重厚な構えである。
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ティベリ川の河畔にある最高裁判所
撮影:青山貞一、Nikon CoolPix S10
正面に比較考量の象徴でもある天秤と剣をもった正義の女神の像が、右に法学者パピニアヌスの像、左には弁論家キケロの像がある。前面にはトリブナーリ広場がある。
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ティベリ川の河畔にある最高裁判所
撮影:青山貞一、Nikon CoolPix S10
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ティベリ川の河畔にある最高裁判所の屋上にある馬の像
撮影:青山貞一、Nikon CoolPix S10
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最高裁からポポロ広場に向かうティベリ川のポンテ橋(Ponte)の上から
撮影:青山貞一、Nikon CoolPix S10
■ポポロ広場
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撮影:青山貞一、Nikon CoolPix S10
ここでポポロ広場に向かう。
下は1756年のポポロ広場。上の方に双子の教会がある。この地図が出来たあと、広場にオベリスクが設置されることになる。
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Source:Piazza del Popolo
- Wikipedia, la enciclopedia libre
Mapa de 1756, en el que se aprecia la conexion con Piazza di Spagna
(abajo derecha) por la Via Babuino. A la izquierda se observa el Tiber y a la derecha lo que hoy es el parque
de Villa Borghese.
ポポロ広場(Piazza del Popolo)は、巡礼者のローマへの入口に当たり、ローマで最も有名な広場のひとつである。 ポポロは「市民」の意味。
ポポロ広場は古くから交通の要所であり、ローマの入口に当たる広場である。
中央にローマ最古のオベリスクが建てられ、南に向かって3本の道路が放射状に伸びている。バロック期には広場に面してドームを載せた2つの教会堂が建設された。さらに19世紀になって、噴水の整備、建物の改築などが行われ、現在見る姿になった。
広場周辺の建物などには、以下がある。
- ・オベリスク 16世紀にシクストゥス5世により建てられた。
- ・ポポロ門 バロック期の建築家ベルニーニが装飾を担当した。
- ・サンタ・マリア・デル・ポポロ教会
ブラマンテ、ラファエロ、ベルニーニらが建設に携わった。
カラヴァッジョの壁画など美術品を多く有する。
- ・双子教会(下の写真)
17世紀に建設された2つの教会で、サンタ・マリア・イン・モンテサント教会とサンタ・マリア・デイ・ミラーコリ教会。
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ポポロ広場
撮影:青山貞一、Nikon CoolPix S10
通称、双子教会あるいは姉妹教会と呼ばれているのが、サンタ・マリア・イン・モンテサント教会とサンタ・マリア・イン・ミラーコリ教会である。
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ポポロ広場にあるローマ最古のオベリスク
撮影:青山貞一、Nikon CoolPix S10
ポポロ広場の中央には上の写真にあるオベリスクがある。ポポロ広場のオベリスクは台座を含めると約37mもある。このオベリスクは紀元前1200年にエジプトで造られた。1589年にローマを目指す巡礼者の道標として置かれた。
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ポポロ門
撮影:青山貞一、Nikon CoolPix S10
ポポロ門はローマの北の玄関である。ローマより北からのローマを目指した巡礼者はこのポポロ門からローマに入った。ポポロ門の右側にポポロ広場の名の由来にもなったサンタ・マリア・デル・ポポロ教会がある。
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サンタ・マリア・デル・ポポロ教会
撮影:青山貞一、Nikon CoolPix S10
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反対側から見た ポポロ門
撮影:青山貞一、Nikon CoolPix S10
ポポロ広場に一角に6のピンチョ丘が見える。ポポロ広場で遅い昼食をとる。
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ポポロ広場からピンチョの丘を臨む
撮影:青山貞一、Nikon CoolPix S10
●ピンチョの丘(イタリア語: Pincio)
ローマの歴史的中心地の北東に位置する丘。
クイリナーレの北に位置し、カンプス・マルティウスを眺望できる。古代のローマの市域の外にあり、ローマの7丘にも含まれないが、ローマ皇帝ルキウス・ドミティウス・アウレリアヌスが270年から273年にかけて建設したアウレリアヌス城壁の内側である。
古代ローマの有力な氏族は、特に共和政ローマ後期にこの丘の南斜面にヴィッラと庭園
(horti) を建てており、例えばルクッルス庭園、サッルスティウス庭園などがあった。
ピンチョの丘は古代ローマ時代には Collis Hortulorum(庭園の丘)と呼ばれていた。現在の名称は紀元4世紀にこの丘を所有することになった一族 Pincii に由来する。
ピンチョの丘の景色が現在のようになったのは、1809年から1814年にジュゼッペ・ヴァラディエが造園した結果である。在ローマ・フランス・アカデミーは1802年にヴィラ・メディチに移転した。
ピンチョの丘では果樹林の中に幅の広い並木道 (viali) が通っていて、深い茂みを通って既存の建築物などを結んでいる。ヴィラ・メディチからオベリスク(写真)までを結ぶ並木道もある。
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ハドリアヌス帝時代のオベリスク。1822年復元
このオベリスクはピンチョの丘に目玉となる景色を提供すべく1822年9月に建てられた。
これはエジプトのオベリスクではなくローマのオベリスクで、紀元2世紀初めにハドリアヌス帝が自身の愛したアンティノウスの記念碑としてもともとはマッジォーレ門の外に建てたものである。
ポポロ広場を見下ろす位置にある「ナポレオン広場」もヴァラディエが作ったもので(ナポレオン自身はローマを訪れたことはない)、そこから西にローマの中心部が見渡せるようになっている。
ヴァラディエはポポロ広場とナポレオン広場を途中に大きな踊り場を挟んだゆったりした階段でつなぎ(写真)、他にもスイッチバック式の馬車用の道を作った。またピンチョの丘の並木道にはジュゼッペ・マッツィーニの希望で[3]著名なイタリア人の胸像が並べられている。
ボルゲーゼ公園はピンチョの丘と歩道橋でつながっており、その下の谷間をムーロ・トルト通りが走っている。ムーロ・トルト通りはアウレリアヌス城壁に沿って走る道で、ピンチアーナ門に続いている。
Source:Wikipedia |
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ポポロ広場にはこのような楽しい野外ジャズバンドなどが沢山いる
撮影:青山貞一、Nikon CoolPix S10
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昼食はこんなピザを食べる
撮影:青山貞一、Nikon CoolPix S10
昼食後、地下鉄でコロッセオやフォロ・ロマーノなどがあるローマ歴史地区の遺跡の中心地に向かう。
つづく
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