日本と中国の歴史をひも解くシリーズ 南京の目撃者 ジョージ・フィッチの日記 その7(11本あり) George Ashmore Fitch:Eyewitness of Nanking&1937~38(PDF) 出典:イェール大学神学部図書館、 南京大虐殺プロジェクトウェブサイト 英語翻訳:青山貞一(東京都市大学名誉教授) 独立系メディア E-wave Tokyo 2021年12月26日 |
中国におけるアメリカ人プロテスタント宣教師、ジョージ・フィッチ氏。1937年12月、大日本帝国軍が南京に侵攻したとき中国にいたアメリカ人プロテスタント宣教師ジョージ・フィッチの写真。 総合メニューへ フィッチ日記1 フィッチ日記2 フィッチ日記3 フィッチ日記4 フィッチ日記5 フィッチ日記6 フィッチ日記7 フィッチ日記8 フィッチ日記9 フィッチ日記10 フィッチ日記11 ◆12月24日(金) アメリカ大使館のタン氏によると、中国人のスタッフとその親族が住んでいるそうだが、昨夜、将校とその部下によって、すべての強盗が行われた。 その後、私は田中さんにこう伝えることができた。昨日使うことを約束したメンケンの車も、盗まれた車の中に入っていた。軍によると、安全区にはまだ2万人の隠れ兵士がおり、これらの兵士を取り除かなければならないとのことだった。 「とにかく、多くの罪のない人々が苦しまなければならず、すべての人が恐怖を感じている。一昨日、田中さんの招きで結成された中国自主管理委員会。しかし、すでにスパイが働いている。 一人捕まえた。だから、スパイを私たちの地下室に閉じ込め、後でスパイを中国の警察に引き渡した。 彼らは何をするのだろうか? 私はスパイに注意するように言いました。 日本人からの絶え間ない妨害。 今日、さらに多くの衛生班が日本兵に連れ去られ、大学の門にいる警官も連れ去られ、日本兵は常に!我々のトラックを奪おうとしている。日本兵はまた、我々の石炭貯蔵所の一つを封鎖したが、リッグスはついに彼らを説得することに成功した。 クリスマス・イブ。 クローガー、シュパーリング、そしてトリマー博士が、私たちと一緒に夕食をとるためにやってきた。ラーベ(ドイツ人で南京安全区の国際委員会メンバーの1人)は、日本兵が何度も壁を越えてくるので、家を出る勇気がなかった。 ラーベはいつも、日本兵を門からではなく来たのと同じ道を通って帰らせ、そして、誰か一人でも、日本兵を追い出そうとする。そして、誰かが異議を唱えると、ラーベはナチの腕章を彼らの顔に突きつけ、そのナチの勲章を指さすのである。そして、それが何を意味するのか知っているかと尋ねる。 私たちはウィルソンのピアノでクリスマスソングを歌った。クリスマスの日。天気は、完璧だ。だが、ティフィンを飲むの時間には、私たちは、そのようなことはない。 ※注)ティフィン(Tiffin)とは ティフィンは、ドイツのミュンヘンのアントン・ライメー シュミット社が製造している、紅茶のリキュール(ティ ー・リキュール)の銘柄の1つである。ティフィン・ティー・ リキュール(Tiffin Tea Liqueur)とも呼ばれる。液色は 赤褐色、アルコール度数は24度、エキス分は22%。 出典:Wikipedia Tiffin Source: WikimediaCommons CC 表示-継承 3.0, リンクによる ティフィンの時間に、私たちはロースト・ガチョウに座っている間、ミニー・ヴォートラン、ミス・バウアー、ミス・ブランシュ・ウー、そしてミス・パール・ブロムリー・ウーを私たちの仲間に迎えていた。 私たちは、3回の呼びかけに答えて、フェンさんの家と中国人の家から兵士を追い出さなければならなかった。その日も、アメリカ国旗が農村指導者訓練学校から持ち去られた。 7人の日本兵士が、その夜とその前の晩に、聖書教師訓練校で過ごし、女性たちを強姦した。 12歳の少女は、私たちのほぼ隣にいたが、3人の日本兵士に強姦され、13歳の少女も、私たちが救援を送る前に、強姦されていた。また、銃剣事件の数も増えた。ウィルソン氏の報告によると、病院の240件の事件のうち、4分の3は銃剣によるものであり、占領以降の日本の暴力によるものである。 大学では、登録が始まった。 人々は、もし元兵士がそこにいて、一歩でも外に出ようとするならば、労働隊で使うことになるだろうと言われた。約240人が一歩踏み出したが、 彼らは集団で連れて行かれた。 そして、負傷した後、死を装うことによって、脱出し、病院に来たのである。あるグループは、男性が処刑に直面し、傷だけで逃亡した事例をかなり多く持っていた。おそらく、発見されるのを逃れるために、仲間の死体に覆われて、一日中、そして夜まで横たわっていたのであろう。そして、病院や友達のところへ行くのである。 日本兵側の不注意だろう。 フィッチ日記8へつづく |