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第二次世界大戦 国別ナチス・ドイツの強制収容所 (概要、写真) Nazis Germany built Consentoration and Extermination Camps by Coutry in WW2 青山貞一 Teiichi Aoyama 池田こみち Komichi Ikeda共編 Feb 25, 2018 独立系メディア E-wave Tokyo 無断転載禁 |
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イェドヴァブネ事件(ポ: Jedwabnem : ポーランド) 地図 | ||
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概要 イェドヴァブネ事件(Pogrom w Jedwabnem)とは、第二次世界大戦中の1941年7月10日にポーランドの町イェドヴァブネ近郊で起こったユダヤ人の虐殺事件(ポグロム)です。 この虐殺事件は、長い間ドイツ軍部隊の仕業であると考えられてきましたが、現在はほぼ全て、非ユダヤ系のポーランド人住人の手によるものであることがわかっています。この地域を占領中のドイツ軍がどれほど関わっているかはよくわかっていません。 虐殺事件 イェドヴァブネの概略的位置。ビャボウィストクの西、トレブリンカの 東、ワルシャワの北東である。 出典:グーグルマップ イェドヴァブネの拡大位置 出典:グーグルマップ 1941年6月、ドイツ軍はソビエト侵攻の際、1939年の独ソ不可侵条約によってソビエトに併合された地域を即座に侵略した。この地域でナチスは、「ユダヤ人はポーランドに対するソビエトの犯罪行為を支援している」とプロパガンダを行い、ナチス親衛隊によって地域のユダヤ人を殺害するための特務部隊が組織されました。 イェドヴァブネ北東の町ヴィズナでは数十人のユダヤ人がドイツ軍によって銃殺されるところが目撃されている。 一ヵ月後の1941年7月10日朝にイェドヴァブネのポーランド人など非ユダヤ系住人は、(近隣のヴィズナやコゥルノから訪問中の者も含めて)ユダヤ人を見つけ次第連行しては、町の中央にある広場に追いやって暴行を加えました。 その中から40~50人が連れ出され、ソビエト占領期に建造されたレーニンの像を無理矢理破壊させ、殺害の後に像の残骸と共に埋められた。 その少し後(一時間後あるいは二、三時間後と証言者によって異なる)、暴行で死ななかった残りのユダヤ人はユダヤ人墓地の前の小屋に集められ、閉じ込めた後で小屋を放火されて生きながらにして焼き殺されました。 イェドヴァブネ事件の犠牲者を追悼する碑 Source:Wikimedia Commons <a href="//commons.wikimedia.org/wiki/User:Fczarnowski" title="User:Fczarnowski">Fczarnowski</a> - <span class="int-own-work" lang="ja">投稿者自身による作品</span>, CC 表示-継承 3.0, リンクによる 議論と調査 イェドヴァブネの虐殺事件はナチス親衛隊の特務部隊によるものであると一般には考えられていましたが、1997年から2000年にかけてポーランド人アグニェシュカ・アルノルド(Agnieszka Arnold)が製作したドキュメンタリー映画「Where is my older brother, Cain?」と「Neighbors」が公開されてから変化しました。これらの映画の資料はポーランド人の歴史家ヤン・T・グロスによる事件の詳細な研究書である。 そこには、この虐殺はポグロムであることと、今まで考えられていたこととは違い、イェドヴァブネのユダヤ人たちは自分たちの近隣の非ユダヤ系住人たちにより、ドイツ軍による指揮あるいは協力なしに、包囲され、暴行され、焼き殺されたのだという結論に至るまでの記述があります。 |
当然のことながら、この本はポーランドで激しい議論を巻き起こし、多くの者がその結論に疑問を呈しました。ルブリンカトリック大学とポーランド科学アカデミー政治学研究所の歴史学教授トマシュ・ストジェムボシュ(Tomasz Strzembosz)は、事件はポーランド人によるものではあるが、ドイツ軍による指揮があったと主張しました[1]。 そこで、国家記銘院(Instytut Pami?ci Narodowej, IPN)により徹底的な調査が行われ、2003年に報告書が提出されました[2]。犠牲者の遺体発掘調査に際して、多くのユダヤ人たちは宗教上の理由から反対したものの、ポーランド法務省とIPNは遺体調査が事件の真相究明に不可欠だと主張し、実行される運びとなりました。 報告書では、グロスの調査結果のいくつかは支持されていますが、犠牲者の数は約380人であり、グロスの示す1600人に比べて非常に少ないこと。また、現場には8人のドイツ人警官がいたことがわかりました。 したがって、ドイツ軍の関与の可能性にはいまだ議論の余地があります。証言者の多くは、虐殺の日にドイツ軍兵士を目撃したと主張しています。 しかし、虐殺の時にはいなかったと主張する者もいます。調査の記録から、非ユダヤ系ポーランド人の積極的な参加は疑いようがありませんが、どれ程の規模で、どういう性質のドイツ軍の関与があったのかは解決していません。 それでも報告書は、「広い意味で」ドイツがこの事件の原因であるものとし、一方、「厳密な意味で」見積もって40人の非ユダヤ系ポーランド人が事件の原因であるものと結論づけています。 Source:Wikimedia Commons <a href="//commons.wikimedia.org/wiki/User:Poeticbent" title="User:Poeticbent">Poeticbent</a> - <span class="int-own-work" lang="ja">投稿者自身による作品</span>, パブリック・ドメイン, リンクによる 謝罪と和解 2001年、ポーランド大統領アレクサンデル・クファシニェフスキはポーランドを代表して公式にユダヤ人に謝罪しました[3]。ポーランドのカトリック教会はイェドヴァブネの犠牲者の冥福を祈る特別ミサを行い、ポーランド人の加わった残虐行為に対する許しを神に祈りました。 毎年7月10日には、ポーランド政府によりイェドヴァブネで追悼式典が行われています。 その後ポーランドの社会が変化すると共にユダヤ人やユダヤ教への理解が大きく進み、現在のポーランド人はヨーロッパで最もユダヤ人やイスラエル人に友好的な国民と自他共に認めるところとなっています[4][5]。 ユダヤ教徒がほとんどいなくなったにも関わらず、クラクフなどの都市では非ユダヤ教徒とユダヤ教徒が一緒になってユダヤ教文化の祭りを毎年開いて名物になるなど[6]、宗教を超えた友情がはぐくまれています。 脚注 ^ [1]Tomasz Strzembosz Jedwabne 1941 Translated by Mariusz Wesolowski ^ [2]INSTYTUT PAMIĘCI NARODOWEJ ^ [3]Nie znaleziono strony (404) ^ [4]Why visit Poland? ^ [5]From Polish Skinhead to Orthodox Jew ^ [6]Zapisz się do newslettera 参考資料 Tekst postanowienia o umorzeniu śledztwa w sprawie zabójstwa obywateli polskich narodowości żydowskiej w Jedwabnem w dniu 10 lipca 1941 r. Instytut Pamięci Narodowej (IPN) Białystok 支部 2003年6月 (PDF) [7] Jan Tomasz Gross, Neighbors: The Destruction of the Jewish Community in Jedwabne, Poland, Princeton University Press, 2001, ISBN 0142002402. Jan Tomasz Gross, Fear: Anti-Semitism in Poland after Auschwitz: An Essay in Historical Interpretation, Princeton University Press, 2006. [邦訳:ヤン・T. グロス『アウシュヴィッツ後の反ユダヤ主義――ポーランドにおける虐殺事件を糾明する』染谷徹訳,白水社,2008年] Dariusz Stola, "Jedwabne: Revisiting the evidence and nature of the crime", Holocaust and Genocide Studies, vol. 17, no. 1, Spring 2003, 139-152. Antony Polonsky and Joanna B. Michlic (editors), The Neighbors Respond: The Controversy over the Jedwabne Massacre in Poland, Princeton University Press, 2003, ISBN 0691113068. Marek Jan Chodakiewicz, The Massacre in Jedwabne, July 10, 1941: Before, During, After, Columbia University Press and East European Monographs, 2005, ISBN 0880335548. 解良澄雄「ホロコーストと「普通の」ポーランド人――1941年7月イェドヴァブネ・ユダヤ人虐殺事件をめぐる現代ポーランドの論争」『現代史研究』第57号、現代史研究会、2011年、69~85頁。 松川克彦「ポーランドのユダヤ人とイェドヴァブネ事件」『世界の窓――京都産業大学世界問題研究所所報』第17号、京都産業大学、2002年、29~36号 |
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ジェドワブネの殺害されたユダヤ人を記念する記念碑の断片 Source:Wikimedia Commons Link</a> |
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ジェドワブネの記念碑 Source:Wikimedia Commons >Link</a> |
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ポグロムに捧げられたポーランドユダヤ人の歴史のポリン博物館での常設展示の一部 Source:Wikimedia Commons , CC BY-SA 3.0 pl, Link |
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ジェドワブネのポグロム77周年記念-2018年7月10日 Source:Wikimedia Commons CC BY-SA 4.0, Link |
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ヤン・グロス ヤン・トマシュ・グロス(Jan Tomasz Gross, 1947年12月8日 - )はポーランド生まれのユダヤ系アメリカ人学者。プリンストン大学において戦争と社会の「Norman B. Tomlinson ’16 and ’48」教授と歴史学教授。 履歴 ポーランドのワルシャワに生まれる。母はポーランドのレジスタンスである国内軍(Armia Krajowa, AK)の構成員である。父はユダヤ系で、ポーランド社会党の党員である。母はナチス・ドイツ占領下のポーランドで命を懸けて父を援助し、戦後に2人は結婚した。ヤン・トマシュ・グロスはワルシャワ大学で物理学を専攻している。 グロスは1968年学生運動の「三月事件」と呼ばれる反体制運動に他のワルシャワ大学の学生と共に参加した。グロスは退学させられ、逮捕され5ヶ月間服役した。これに加え、ポーランド政府が「ユダヤ系の人々」に対して国外移住を許可したため、両親と共にアメリカに移住した。1975年にイェール大学で社会学のPh.D.を取得、イェール大学、ニューヨーク大学、パリ大学で教鞭をとっている。現在はアメリカ市民権を取得し、プリンストン大学で歴史を教えている。 グロスはポーランド共和国功労勲章を受章している。これはポーランドと他国の協力に特別な寄与を果たした外国人に与えられる勲章である。フルブライト・プログラム準研究員、ジョン・サイモン・グッゲンハイム記念財団研究員、ロックフェラー財団人権部門フェローである。 論争 グロスについては、イェドヴァブネ事件について書いた『Neighbors: The Destruction of the Jewish Community in Jedwabne, Poland』が最も有名である。この本はナチス占領下のポーランド、イェドヴァブネ村のユダヤ人虐殺について検証したものである。 この本の中でグロスは、それまで信じられてきたドイツ人の仕業でなく、ポーランド人によって虐殺が行われた経緯を詳述した。グロスの主張はポーランドで物議を醸しました。ポーランド国家記銘院によって調査が行われ、グロスの結論を大体において支持した。ただし犠牲者の数といったいくつかの点においてグロスとは結論を異にした。 グロスの最新の著書『アウシュヴィッツ後の反ユダヤ主義―ポーランドにおける虐殺事件を糾明する』は2006年にアメリカで刊行された、戦後ポーランドにおける反ユダヤ主義とユダヤ人に対する暴力を扱っている。このポーランド語版は2008年に発行され、メディアのさまざまな反応と、戦後ポーランドの反ユダヤ主義に関する広範な議論を呼んだ。 歴史家のうちの幾人かはこれを歓迎した。全国紙の「選挙新聞(Gazeta Wyborcza)」をはじめとするいくつかのメディアもこれを歓迎した。 |
他の新聞の中にはこの本を強く批判したものもあった。グロスが自らの結論につじつまを合わせるために詳細な調査をせずに断定していること、自分の意見に合わない史料をわざと無視していること、扱っている出来事の背景を省みないこと、データを歪曲して示していること(たとえば単なる交通事故の死者数を反ユダヤ主義的攻撃による死者数に含んでいるなど)、扇情的な表現を使っていること、戦後ポーランド社会を反ユダヤ主義的だと決めつけていることなどを歴史家は非難している。 しかし、グロスがこの本を出版したこと自体を非難する論調はポーランドにはほとんどない。多くの人が問題にしているのは歴史に対するグロスの解釈である。マレク・エデルマン(Marek Edelman)はワルシャワ・ゲットー・ユダヤ人蜂起の指導者のうち現在まで存命しているユダヤ系ポーランド人の1人だが、「選挙新聞」紙とのインタビューで「戦後のユダヤ人に対する暴力の大半は反ユダヤ主義とは関係なかった。あれは単なる無法者の行為だった。」と述べている。 著書 Gross, Jan Tomasz (1979). Polish Society Under German Occupation - Generalgouvernement, 1939-1944. Princeton, NJ: Princeton University Press. Gross, Jan Tomasz (1984). W czterdziestym nas matko na Sybir zesłali .... London: Aneks. Gross, Jan Tomasz (1988). Revolution from Abroad. The Soviet Conquest of Poland's Western Ukraine and Western Belorussia. Princeton, NJ: Princeton University Press. (reprint 2003) Gross, Jan Tomasz (1998). Upiorna dekada, 1939-1948. Trzy eseje o stereotypach na temat Żydów, Polaków, Niemców i komunistów. Kraków: Universitas. Gross, Jan Tomasz (1999). Studium zniewolenia: wybory październikowe 22 X 1939. Kraków: Universitas. Gross, Jan Tomasz (2000). The Politics of Retribution in Europe: World War II and Its Aftermath. Princeton, NJ: Princeton University Press. Gross, Jan Tomasz (2001). Neighbors: The Destruction of the Jewish Community in Jedwabne, Poland. Princeton, NJ: Princeton University Press. ISBN 0-14-200240-2. Polish version of the book online Gross, Jan Tomasz (2003). Wokół Sąsiadów. Polemiki i wyjaśnienia (in Polish). Sejny: Pogranicze. ISBN 8386872489. Gross, Jan Tomasz (2006). Fear: Anti-Semitism in Poland After Auschwitz. Random House. ISBN 0-375-50924-0. [邦訳:ヤン・T. グロス『アウシュヴィッツ後の反ユダヤ主義――ポーランドにおける虐殺事件を糾明する』染谷徹訳,白水社,2008年] その他 "Lato 1941 w Jedwabnem. Przyczynek do badan nad udzialem spolecznosci lokalnych w eksterminacji narodu zydowskiego w latach II wojny swiatowej," in Non-provincial Europe, Krzysztof Jasiewicz ed., Warszawa - London: Rytm, ISP PAN, 1999, pp. 1097-1103 |