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プランバナン寺院遺跡群
Archaeological site of Prambanan temple

ヒンズー教とは
 
青山貞一 Teiichi Aoyama  池田こみち Komichi Ikeda
掲載月日:2017年1月31日
独立系メディア E−wave Tokyo
 
無断転載禁
@ プランバナン公園へ  A 寺院群の時代背景  B ヒンズー教とは   C 寺院群とは 
D 寺院遺跡群概要 E 遺跡の発掘・修復   F シヴァ寺院   G シヴァ寺院壁画1 
H シヴァ寺院壁画2   I ブラフマー寺院   J ヴィシュヌ寺院 K ナンディ寺院 
L ハンサ寺院   M ガルーダ寺院   N アビット寺院 O   

◆宗教全体におけるヒンズー教の位置


 ここでは、ヒンズー教、ヒンドゥー教などの呼び名のうち、ヒンズー教を採用しておきます。

 まず、世界の宗教におけるヒンズー教の位置を見てみましょう。

 下図は、宗教の分類と世界の宗教人口比を示したものです。ヒンズー教は仏教、道教同様、多神教に属します。そして世界の宗教人口比は、13%となっています。仏教、道教が6%にすぎないなかで、13%はかなり多いと言えます。

 ヒンズ教徒の人口数は、インド国内で8.3億人、その他の国の信者を合わせると約9億人とされ、キリスト教、イスラム教に続いて、人口の上で世界で仏教、道教をさておいて第3番目の宗教となっています。


出典:青山貞一、制作学校一新塾講義用pptx

 以下の主な出典はWikipediaです。

◆ヒンズー教とは

 狭い意味でのヒンズー教は、バラモン教から聖典やカースト制度を引き継ぎ、土着の神々や崇拝様式を吸収しながら徐々に形成されてきた多神教です。

 紀元前2000年頃にアーリア人がイランからインド北西部に侵入しました。彼らは前1500年頃ヴェーダを成立させ、これに基づくバラモン教を信仰した。

 紀元前5世紀ごろに政治的な変化や仏教の隆盛がありバラモン教は変貌を迫られました。その結果、バラモン教は民間の宗教を受け入れ同化してヒンズー教へと変化して行きます。(バラモン教もヒンズー教に含む考えもある。)

 ヒンズー教は紀元前5 - 4世紀に顕在化し始め、紀元後4 - 5世紀に当時優勢であった仏教を凌ぐようになりました。その後インドの民族宗教として民衆に信仰され続けてきました。

 ヒンズー教は神々への信仰と同時に輪廻や解脱といった独特な概念を有し、四住期に代表される生活様式、身分(ヴァルナ)・職業(ジャーティ)までを含んだカースト制等を特徴とする宗教です。

 三神一体(トリムルティ)とよばれる近世の教義では、中心となる3大神、すなわちブラフマー:宇宙の創造を司る神、ヴィシュヌ:宇宙の維持を司る神、シヴァ:宇宙の寿命が尽きた時に世界の破壊を司る神は一体をなすとされています。

  しかし現在では、ブラフマー神を信仰する人は減り、ヴィシュヌ神とシヴァ神が二大神として並び称され、多くの信者がいます。ヴィシュヌ神を信仰する派をヴィシュヌ教、またシヴァ神を信仰する派をシヴァ教と呼んでいます。

◆ヒンズー教の歴史

 ヒンズー教はキリスト教やイスラム教のような特定の開祖によって開かれたものではなく、インダス文明の時代からインド及びその周辺に居住する住民の信仰が受け継がれ時代に従って変化したものと考えられています。

 したがってヒンズー教がいつ始まったかについては見解が分かれています。

・インダス文明時代

 インダス文明(紀元前2,300年 - 1,800年)のハラッパーから出土した印章には、現代のシヴァ神崇拝につながる結跏趺坐した行者の絵や、シヴァ神に豊穣を願うリンガ崇拝につながる直立した男性性器を示す絵が見られます。しかしインダス文明の文字は解読できていないので、後代との明確な関係は不明です。

・ヴェーダ

 ヴェーダは「知る」という意味のサンスクリット語に由来し、宗教的知識を意味します。さらには、その知識を集成した聖典類の総称となっています。最も古い『リグ・ヴェーダ』は紀元前1,200年から1,000年頃にインド北西部のパンジャブ地方でアーリヤ人によって成立したと考えられています。ヴェーダの内容は下記のように分類されますが、狭義にはサンヒターのみを指します。

 サンヒター(本集)
 『リグ・ヴェーダ』(賛歌)
 『サーマ・ヴェーダ』(歌詠)
 『ヤジュル・ヴェーダ』(祭詞)
 『アタルヴァ・ヴェーダ』(呪詞)

 ブラーフマナ(祭儀書)
 アーラニヤカ(森林書)
 ウパニシャッド(奥義書)

 ヴェーダには登場する神々の多くは、自然界の構成要素や諸現象、その背後にあると思われた神秘的な力を神格化したものです。多数の神が登場しますが、その中で重要なのは雷神インドラ(日本では帝釈天)、アグニ(火の神)、ヴァルナです。現在では前述のヴィシュヌ神等に押されて影が薄いと言えます。

 現在のヒンズー哲学の基本となる「因果応報」「霊魂不滅」「輪廻転生」などの諸観念の淵源は、ウパニシャッドが完成した頃まで遡ることができます。ウパニシャッドは紀元前800 - 500年頃にガンジス川流域で作られたインド古代哲学の総称です。

 なおヴェーダに登場するヴィシュヴァカルマン神(造物や工巧の神)は、現在でも物造りの神様として、インドの各工場で祀られています。現在この神の祭りは毎年9月17日に行われています。


リグ・ヴェーダ    Source:English Wikipedia

◆ヒンズー教の特徴

 ヒンズー教の神や祭祀は一部形を変えながらも、日本の仏教に影響を与えています。以下にヒンズー教の特徴を解説します。

・ヒンズー教の範囲

 狭義のヒンズー教は多神教であり、また地域や所属する集団によって非常に多様な信仰形態をとっています。狭義でもヒンズー教の範囲は非常に曖昧です。インド国内の広義の定義においては、キリスト教やイスラム教などインド以外の地域で発祥した特定宗教以外のすべての宗教が相当するとしています。

 一例として、インドにおいて仏教はヒンズー教の一派とされています。インド憲法25条では、(ヒンズー教から分派したと考えられる)シク教、ジャイナ教、仏教を信仰する人も広義のヒンズーとして扱われています。

◆主要な神々

 3大神はそれぞれ神妃をもち、夫婦共に多様な化身を有しています。

・ヴィシュヌ神
 世界維持の神、慈愛の神、鳥神ガルーダに乗る。10大化身と呼ばれる多数の分身を有する。


ヴィシュヌ神の石像    Source:English Wikipedia

・ラーマ
 ヴィシュヌ神の化身。叙事詩『ラーマーヤナ』で大活躍します。

・クリシュナ
 ヴィシュヌ神の化身。叙事詩『マハーバーラタ』の英雄、民間に人気のある神です。

・釈迦
 仏教の開祖である釈迦牟尼はヒンズー教ではヴィシュヌ神の9番目の化身とされています。

・ラクシュミー
 ヴィシュヌ神の神妃、富と幸運の女神。北伝仏教では吉祥天。

・シヴァ神
 創造と破壊の神、乗り物は牡牛のナンディン、トラの皮をまとい首にコブラを巻く。しばしば結跏趺坐し瞑想する姿で描かれています。北伝仏教では大自在天(降三世明王に降伏され仏教に改宗したとされます)。


シヴァ神、首にコブラを巻き結跏趺坐する姿が特徴的
  Source:English Wikipedia

・マハーカーラ
 シヴァ神の化身。チベット仏教など仏教においても信仰される。北伝仏教では大黒天。

・パールヴァティー
 シヴァ神の神妃、ヒマラヤ神の娘、穏やかで心優しい

・ドゥルガー
 パールヴァティーの化身で戦いの神、水牛に化けた悪魔を倒す美しい神像が有名。

・カーリー
 パールヴァティーの化身でドゥルガーよりも荒々しい戦いの神。コルカタ(カルカッタ)の地名はカーリーから来ています。

・ブラフマー神
 世界創造の神。水鳥ハンサに乗った老人の姿で表される。北伝仏教では梵天。


ブラフマー神(中央)と神妃サラスヴァティー(右)1793年
  Source:English Wikipedia

・サラスヴァティー
 ブラフマー神の神妃、北伝仏教では弁才天。
3大神は、信者個人の信仰においては並立しているわけではありません。たとえば「シヴァ神」を最高神と崇める人にとって、「ヴィシュヌ神」は劣位ではあるが敬うべき神です。 また神話の中で3大神の化身と共に活躍する神や、3大神の子神も信仰されています。

・ガネーシャ
 シヴァ神の子供で象の頭を持つ神、鼠に乗る。富と繁栄、智恵と学問を司る。北伝仏教では歓喜天(聖天)。

・ハヌマーン
 外見が猿の神、叙事詩『ラーマーヤナ』でラーマ王子を助けて活躍します。身体の大きさを自由に変えられる。孫悟空の元になったと考えられています。

・インドラ
 雷神、天空神。『リグ・ヴェーダ』の中心的な神で、古くバラモン教の時代には盛んに信仰された。北伝仏教では帝釈天。

 なお、インドの国立博物館にヒンズー教の神々の多様な神像が収蔵・展示されています。


◆インドネシアとヒンズー教

 最初にヒンズー様式を採り入れたインドネシアの王国は、東カリマンタンのクタイ王国(4世紀頃)です。クタイ王国に続いて450年頃、現在のジャカルタ市の南約60kmにあるボゴール市付近を中心にタルマ王国が栄え、 現在もその王宮の跡が残っています。 当時、ヒンズー教を中心とするインドの文明の波は、西スマトラから東はスラウェシ、バリまで覆っていました。 バリにヒンズー教を信奉する王朝がつくられたのもこの頃です。
 
 以後、ヒンズー教を信奉していた国は2つ存在しました。 1つは8世紀〜1017年頃に中部ジャワ全域と東部ジャワの一部を支配していたマタラム王国で、 もう1つは1294〜1487年に最大で現インドネシアとマレー半島、フィリピンの一部までを支配したマジャパイト王国です。

 前者は農業を主としていた王国で、現在ジョグジャカルタ市やソロ市周辺に多数残るチャンディ(ヒンズー寺院)は、 この王国が建立したものです。

 一方、後者は1000年以上も続いたヒンズー時代最後にしてインドネシア史上最大の王国です。
しかし15世紀に入ってからは、イスラム教の台頭により、 マジャパイト王国は滅びていしまい、ヒンズー教は歴史の表舞台から姿を消すことになります。
インドネシア共和国では、毎年1日(毎年日にちがずれる)、ニュピ(バリ暦の正月)が祝祭日となっています。

出典:http://minami-isle.hp.infoseek.co.jp/indonesia/religion.html#Hindui...


◆インドネシアに現存するヒンズー教、ヒンズー教

 バリヒンズー教とは、インドネシアのバリ土着の信仰とインド仏教やヒンズー教が習合した信仰体系であり、バリの人びとの90%以上がこれにしたがった生活を送っています。


バリ島       Source:English Wikipedia


バリ島の位置。ジャワ島の東端にあります    Source:English Wikipedia
 

バリの舞踊、レゴン    Source:English Wikipedia

歴史

 バリ島では、クディリ朝の支配下に入った11世紀初めごろからヒンズー・ジャワ文化の影響が及び始め、その後しばらくジャワの支配を離れるが、マジャパヒト(マジャパイト)王国がバリを征服した1343年以後、16世紀初めにジャワのイスラム化によって同王国が滅亡するまでにヒンズー化が広く浸透しまし。

 マジャパヒト王国滅亡時にジャワの貴族や僧侶が大挙してバリに亡命したためであり、現在のバリ人の大半はマジャパヒト王国民の末裔であると自負しています。これ以降、20世紀初頭にオランダによって植民地化されるまで、バリは独自の歴史の歩み続け、ヒンズー教の宇宙論を発展させました。

信仰体系

 ヒンズー教にはさまざまな神が存在しますが、インドネシア共和国独立後は、建国五原則パンチャシラのひとつにある「唯一神の信仰」に従って、そうした神々は、唯一神サン・ヒャン・ウィディのさまざまな現われに過ぎないと公式解釈されるようになっています。

カースト(カスタ)

 ヒンズー教のカーストは、次の四つのワンサに分かれており、上から3つが「トリワンサ」(貴族)と呼ばれています。人口の90%以上はスードラに属しています。バリの人びとの名の頭には、カーストによって以下の名称が付される。

・ブラフマナ:イダ・バグス(男性)、イダ・アユ(女性)
・サトリア:チョコルダ、アナック・アグン、デワ
・ウェシア:グスティ
・スードラ:イ(男性)、ニ(女性)

 ヒンズー教のカーストは、インド・ヒンズーのような厳しい戒律による差別はみられず非常に緩やかなシステムです。いわゆる不可触賤民も存在しません。

信仰世界と共同体

 人びとの生活レベルでヒンズー教の信仰体系を作り、支えているのがデサ、バンジャールと呼ばれる地域組織です。

デサ

 デサは、カヤンガン・ティガと呼ばれる三位一体の寺院を中心として形成される「村」です。カヤンガン・ティガを構成する寺院のうち、プラ・バレ・アグン(大会議堂寺院)とプラ・プセー(起源寺院)は村の山側(カジャ)に位置しており、プラ・ダルム(死者の寺院)は海側(クロッド)にあり、プラ・ダルムは多くの場合、墓地とともにあります。

 バリの人びとにとって、カジャは聖なる場所であり、クロッドは穢れた場所であるから寺院の配置もそれに従ったものになっています。

 デサは土地と密接に結びついた共同体であり、その成員は、供犠や寺院祭礼を通して、デサの領域を宇宙の安定のために清浄に保つ責任を負っています。

バンジャール

 バンジャールは、デサ内での共同居住を原則とする地域単位である(バリ島南部ではひとつのデサが複数のバンジャールで構成されています)。デサ単位のものを含むすべての儀礼(ヤドニャ)の準備はバンジャールの成員が共同労働で行うため、バンジャールのメンバーシップなしにはバリ人は生きていけません。


つづく