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プランバナン寺院遺跡群
Archaeological site of Prambanan temple

プランバナン寺院の時代背景

青山貞一 Teiichi Aoyama  池田こみち Komichi Ikeda
掲載月日:2017年1月31日
独立系メディア E−wave Tokyo
 
無断転載禁
@ プランバナン公園へ  A 寺院群の時代背景  B ヒンズー教とは   C 寺院群とは 
D 寺院遺跡群概要 E 遺跡の発掘・修復   F シヴァ寺院   G シヴァ寺院壁画1 
H シヴァ寺院壁画2   I ブラフマー寺院   J ヴィシュヌ寺院 K ナンディ寺院 
L ハンサ寺院   M ガルーダ寺院   N アビット寺院 O   

 最初に、プラバナン寺院遺跡の時代背景について紹介しておきます。

プランバナンの時代背景


出典:Wikipedia

 古マタラム王国(Kerajaan Mataram (Hindu);717年 - 929年)は、インドネシアのジャワ島のジョグジャカルタ周辺に8-9世紀に繁栄したヒンドゥー王国を意味します。

 16世紀以降の「マタラム王国」(イスラム・マタラム又は(新)マタラム王国)と区別するために、「古」をつける場合が多いのですが、当時の自称は、「マタラム(王)国」でした。

   概要

 チャンガル碑文(英語版)の日付をサンジャヤ紀元と呼ばれる紀年法で計算すると、サンジャヤ王が717年に即位したとされています。

 王位は、サンジャヤ王を含めて14代にわたって受け継がれてきたことが最近の碑文研究からも判明しています。11代目のバリトゥン王(在位898年 - 910年)のときに壮大なヒンドゥー寺院チャンディ・ロロ・ジョグラン(チャンディ・プランバナン)が建設されたことで知られています。

 ブランバナンは、次のダクサ(インドネシア語版)王(在位910年 - 919年)のときに完成しました。

 なお、プランバナンの南方2kmにあるラトゥボコという小高い丘の遺跡が778年に建設された古マタラム王国のクラトン(王宮)と考えられています。

 イサナ家のシンドク王(在位929年 - 947年)のとき、東部ジャワに移転し、以後をクディリ王国と呼んでいます。移転の原因はよく分かっていませんが、地震か伝染病か何かの災害であると推定されています。


 ひとつの有力な説として、1006年のムラピ火山の大爆発前後の地震・津波・爆発があり、飢饉、疫病がひろがったために、住民が逃亡し、移転せざるを得なかったのではと考えられています。

 
古マタラム王国は、歴史上インドネシアにおけるヒンドゥー諸王朝の始祖的な王朝として位置づけることができ、ヒンドゥー的色彩の強い宮廷舞踊は、現在にまで受け継がれて残されています。

◆ブランバナン寺院群の概要

 ブランバナン寺院群のうち中心的存在であるプラバナン寺院は、
古マタラム王国のバリトゥン王(在位898年〜910年)による建立と言われております。

 古マタラムの王宮もジョグジャカルタの現在遺跡があるこのあたりにあったと考えられていますが、伝染病が流行り10世紀ごろ遷都しました。

 のちの1549年の地震で遺跡のほとんどが崩壊しています。しばらく忘れ去られていましたが、1937年から遺産の修復作業が行われています。

 プランバナン寺院群はヒンドゥー教の遺跡としてはインドネシア最大級で、仏教遺跡のボロブドゥール寺院遺跡群と共にジャワの建築の最高傑作の一つとされ、世界遺産に登録されています

 下の写真は入り口近くにあった「ようこそプランバナン公園へ」という看板です。


撮影:青山貞一 Nikon Coolpix 9900 2016-11-20

 以下はプランバナン寺院遺跡群の全体を写真に収めたものです。


This photo of Prambanan Temples is courtesy of TripAdvisor


つづく