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初秋の肥前歴史短訪
Lアナロジーとしての
名護屋とドレスデン

青山貞一 
15 October 2010
独立系メディア「今日のコラム」
無断転載禁

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H隠れキリシタンの馬渡島
I馬渡島から名護屋城博物館へ
J名護屋城博物館
K名護屋城と朝鮮唐津〜窯業と茶の湯〜
Lアナロジーとしての名護屋とドレスデン

■ドレスデンとマイセン

 以上いろいろ仮説をもとに述べてきたが、豊臣秀吉と千利休の出会い以降に爆発的に開花する日本の茶の湯文化の時間的、空間的拠点として、大阪城周辺の関西とは別に名護屋城周辺の唐津、伊万里、有田などにあったこと、そして茶の湯文化と同時並行的に朝鮮唐津などの陶芸がこの地で栄えたのではないかと思う。

 むろん、「文禄・慶長の役」を秀吉の政治的な動機、目的とは別に、文化的な側面から見れば、戦時の緊張下で名護屋城周辺にもうひとつの茶の湯文化を開花させ、それが皮肉にも朝鮮唐津などこの地独特の窯業芸術を開花させたと言えなくはないと思える。

 上記の仮説を茶の湯の教授でもある池田こみちさんに話したところ、驚かれるとともに、それなりに首肯してくれた!

 ところでアナロジーという言葉は、一言で言えば、未知の状況の問題解決において,既知の類似した状況を利用する認知活動である。アナロジーは,推論,説明,創造などさまざまな認知活動を支えているだろう。

 そこでアナロジーを働かしてみた。

 その昔、とはいっても、数年前、青山、池田が参加したドイツのベルリン工科大学で開催された国際ダイオキシン会議(国際学会)の合間に、日帰りでドレスデン(ザクセン)にでかけた。

 下にその論考を示す。

◆青山貞一・池田こみち:ベルリン紀行(1):ドレスデン:ザクセン王国の栄華を見る 

 
言うまでもなく、ドレスデンといえば、かつて栄華を誇ったザクセン王国のドレスデン城とともに陶磁器で世界的に有名なマイセンを想起するのである。
 
 ドレスデンと言えば、旧東独ザクセン州の州都というだけでなく、かつて栄華を誇ったザクセン王国の牙城、ツヴィンガー宮殿、ドレスデン城などバロックの粋を凝らした建築物でドイツはもとより欧州全体でも有名なまちである。


ドイツ、ドレスデンのツヴィンガー宮殿前にて
撮影:青山貞一、Nikon CoolPix 2004年8月 ドレスデンにて


ドイツ、ドレスデン城を背景に
撮影:青山貞一、Nikon CoolPix 2004年8月 ドレスデンにて

 選帝候のアウグスト大王は強王とも呼ばれきらびやかさをつとに好み、建築学にも精通していたと言う。その強王は全欧州から選りすぐり、最高峰の建築家を呼び寄せ17年の歳月をかけて完成させたのがかのツヴィンガー宮殿である。完成は1932年とされる。

 ドレスデン城は、代々のザクセン王たちの居城であった。そしてドレスデン城の一角には有名な壁画がある。この壁画はアウグス通りに面して「君主の行列」というものでアウグス強王自身の姿もある。これらの壁画は、何と25000枚もの
マイセンの磁器タイルを貼って作られている。壁画には歴代のザクセン王たちが描かれている。幅102m、高さ8mに及ぶ一大絵巻である。


マイセンの陶磁タイル25000枚でつくられたドレスデン城前の壁画
撮影:青山貞一、Nikon CoolPix 2004年8月 ドレスデンにて

 歴代のザクセン王は、東洋の陶磁器を好み、日本、朝鮮などから陶芸職人を呼び寄せたのが、何とドレスデンにほど近いマイセンであった。以来、マイセンは世界に冠たる陶磁器で知られるまちとなっているのは言うまでもない。


イツ、ドレスデンのツヴィンガー宮殿前内のマイセン展示
撮影:青山貞一、Nikon CoolPix 2004年8月 

 実際、私たちが訪れたドレスデンのツヴィンガー宮殿内の博物館には、多くの東洋(中国、朝鮮、日本)の影響を受けた陶磁器が展示されていた。これらは日本から輸入したものではなく、日本や朝鮮の陶芸職人を三顧の礼をもって呼び寄せ、マイセンの地で窯したものである。

■マイセン

 
ドレスデンから北西に約25km、ライプツィヒ から東に約100km、フライベルクから北東に約40kmの位置にある。チェコ国境の向こう側から続く、エルベ渓谷の終点でもある。

 マイセンの名は、929年に初めて文章として記されたとされている。同じ年、ハインリヒ1世によりMisni(ミズニ)城が創立され、マイセンには1423年頃までマイセン辺境伯領が存在していた。その中で有名な人物に、コンラート1世(Wettiner Konrad der Grose、大辺境伯)、オットー(Otto der Reiche、裕福伯)、ディートリヒ(Dietrich der Bedrangte、苦境伯)、ハインリヒ3世(Heinrich der Erlauchte、貴顕伯)などがおり、当時のザクセン選帝侯であったフリードリヒ4世(Friedrich der Streitbare、好戦公)も含まれている。

 マイセンはエルベ川の舟運により材料・製品の輸送が容易であり、また近辺には露天掘りでカオリンを採掘できる鉱山もあり(現在では坑道を掘って採掘)、この立地条件の良さが現在に至る繁栄を支えてきた。

 初期のマイセンのデザインは中国の五彩磁器や有田焼の影響を受けているが、1720年にウィーンから招かれた絵付師・ヨハン・グレゴリウス・ヘロルト(1696 - 1775)らによってヨーロッパ的なロココ調の作品が主流になった。

 1764年には工場私設の芸術学校が創設され、4年間の訓練・実習と専門課程が設けられている。また、1865年に作られた国立マイセン磁器製作所では、この芸術学校の卒業生が大勢働いている。

 贋作防止のため、マイセンの陶磁器には交差した二本の剣のトレードマークが1723年から用いられており、これは現在まで使われているトレードマークの中ではもっとも古くからあるものの一つである。なお、刃や鍔の傾きなどは年代によって変化している。

出典:Wikipedia

 アナロジー的に考えると、ドレスデンとマイセンの位置関係は、まさに名護屋と唐津、伊万里、有田との位置関係を彷彿とさせるものがあるのである。唐津や有田をマイセンになぞらえれば、名護屋城はドレスデン城である。

 
ちなみにドレスデンとマイセンの距離は25kmであり、名護屋城と唐津は15km、伊万里は20km、有田は50kmの距離(いずれも直線距離)にあり、なかなかよい位置関係である(嗤い)。

 また豊臣秀吉とザクセンの選帝侯、フリードリヒ4世はともに「好戦公」であり、きらびやかな装飾や文化を好んだという点も何か歴史の因果を感ずる...。

この特集はこれで終了です。

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