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初秋の肥前歴史短訪
@唐津「虹の松原」へ

青山貞一 

17 September 2010
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@唐津 「虹の松原」へ
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B唐津城下町の水辺散策
C唐津城下町の水辺今昔
D唐津城下町の町田川界隈
E唐津の古い町名と歴史的建築物

 2010年9月10日(金)は、太宰府をあとに西鉄太宰府線で二日市まで行き、二日市で西鉄天神大牟田線の急行に乗り換え天神まで行く。


撮影:青山貞一 Nikon CoolPix S8 2010.9.10

 さらに天神から地下鉄空港線で姪浜まで行き、ここで筑肥線に乗り換えたが、何とその列車は筑前前原止まり。

 筑前前原で筑肥線の西唐津行きに乗り、東唐津に向かった。筑肥線は途中から玄界灘を望む海岸線を走る。

 下はグーグルマップで見た福岡から唐津「虹ノ松原」の地図である。マウスで移動、拡大等、さらにグーグルアースで3次元表示もできるのでお試しを!


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 実に4回乗り換え、5本の列車に乗り、やっとのことで東唐津に午後6時過ぎに到着。天神から東唐津までの列車料金は片道約1100円である。平行して長距離バスもほぼ同額で走っている。

 その後、重い荷物を担ぎながらホテルまで約25分間歩く。 すでに宿泊先の「虹ノ松原」はとっぷり日が暮れていた。


夕暮れの「虹ノ松原」
撮影:青山貞一 Nikon CoolPix S8 2010.9.10

 東唐津から「虹ノ松原」のホテルまで上の写真の道を歩く。橋の向こう岸は唐津だ。疲れ切っていたが徒歩25分で予定通りホテルに到着した。

 この日は疲れ切っていたので、早めに就寝。

 翌9月11日(土)は午前7時30分に起床。下の写真はホテルの自分の部屋から見た早朝の「虹ノ松原」である。一面、黒松の林である。


ホテルの部屋から見た早朝の「虹ノ松原」 
撮影:青山貞一 Nikon CoolPix S8 2010.9.10

 ここで佐賀県唐津市の唐津湾沿岸に広がる「虹ノ松原」について説明しておこう。

◆虹ノ松原

 佐賀県唐津市の唐津湾沿岸に広がる松原。日本三大松原のひとつで特別名勝に指定され、日本の白砂青松100選、日本の渚百選、かおり風景100選にも選ばれている。玄海国定公園の一部。長さ約5kmにわたって弧状にクロマツの林が続く。海水浴場と隣接することでも知られる。

 その歴史だが、17世紀のはじめ、唐津藩の藩主である寺沢広高が新田開発の一環として、防風林、防砂林として植樹を行った。藩の庇護の下、禁伐の掟(伐採は死罪)はもちろんのこと、燃料としての落葉の採取も厳しい制限が課せられていた。また、藩主の改易や移封により主家が変わっても手厚く管理された。

 寺沢広高は、この中に自分が愛してやまない松が7本だけあると言ったというが、どの松と指定されてはいない。これは住民に「もし自分が粗末にした松がその7本のどれかだったら」と思わせることで、全ての松を大事にせざるを得ないように、心理的に圧力をかけたものといわれている。

 この松原は、その区域の長さから、藩政時代は「二里松原」と呼ばれていた。明治時代に呼ばれるようになった「虹ノ松原」の語源とも言われているが、呼称が変わった理由などは知られていない。

 1771年には、当時天領となっていたことから、農民の反乱である「松原寄り(虹の松原一揆)」の舞台ともなっている。

 明治維新以降は国有林に編入、2007年現在は、佐賀森林管理署が管理を行っている。民有地が僅かに点在するものの、ほぼ全域が保安林に指定されており、現在も伐採は制限を受けている

 下は「虹ノ松原」の全景である。写真中、左側が唐津城を経由し唐津旧市街方面。右側はJR虹ノ松原を経由し浜崎方面となる。江戸時代からほとんど手つかずの秀逸な松原である。私が宿泊した「虹ノ松原ホテル」は、写真の左側の松林の中にあり、まさに「虹ノ松原ホテル」である。松原の中にあるホテルは、このホテルのみ!


「虹ノ松原」全景 出典:Wikipedia   

 下はグーグルマップで見た虹ノ松原である。マウスで移動、拡大等ができる。また、グーグルアースで3次元表示もお試しを!


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 虹ノ松原ホテルの真ん前は、唐津湾の東の浜(海水浴場)である。台形の島は高島。唐津の船着き場から船で10数分で行ける。


虹ノ松原ホテルの真ん前は、唐津湾の東の浜(海水浴場)
台形の高島が見える
撮影:青山貞一 Nikon CoolPix S8 2010.9.10

つづく



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