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 神秘のジャワ島巨大仏教遺跡視察

インドネシアの民族・言語と宗教
 
青山貞一 Teiichi Aoyama  池田こみち Komichi Ikeda
掲載月日:2017年1月31日
独立系メディア E−wave Tokyo
 
無断転載禁
@ 準備と出発 A ジョグジャカルタ到着 B ジャワ島のジョグジャカルタ
C ジャワ島の大地震   D ジャワ島の東にある島々   E 民族・言語と宗教
F 滞在先ホテル1 G 滞在先ホテル2 H 滞在先ホテル3

 次に、インドネシアの民族、言語、宗教について概観しておきます。

◆インドネシアの民族

 インドネシアの民族は大多数がマレー系で、彼らがインドネシア人の直系の祖先であり、原マレー人と新マレー人の2種類に分けられます。

 原マレー人は、紀元前1500年頃に渡来しました。原マレー人は先住民よりも高度な文化を持っていました。原マレー人は後から来た新マレー人によって追われて行きますが、ダヤク人、トラジャ人、バタック人として子孫が生存しています。

 新マレー人は、マレー人、ブギス人、ミナンカバウ人の祖先であり、紀元前500年頃に渡来しました。渡来時には青銅器製作の技術を獲得しており、数百年後には鉄器を使用し始めます。彼らの使用した鉄器がベトナム北部のドンソン地方で大量に発見されていることから「ドンソン文化」と呼ばれています。

 その他他に
約300の民族がおり、住民のうち、ジャワ人が45%、スンダ人が14%、マドゥラ人が7.5%、沿岸マレー人が7.5%、その他が26%、中国系が約5%となっています。(なお日本に住むインドネシア人は3万人を超えると2014年末に法務省が統計を取っています。

 なお、父系・母系を共に親族とみなす「双系社会」であり、姓がない人もいる(スカルノ、スハルトなど)。


インドネシアの民族 約300 出典::Wikipedia


インドネシアの言語

 公用語はインドネシア語であり、インドネシアの国語となっています。

 会話言語ではそれぞれの地域で語彙も文法規則も異なる583以上の言葉が日常生活で使われています。インドネシア語が国語と言っても、日常で話す人は多くて3,000万人程度で国の人口比にすると意外と少ないのが実態です。

 インドネシア語が国語になっているため第2言語として話せる人の数はかなり多いいます。また、首都ジャカルタに出稼ぎにでる人も多いため、地方の人でもインドネシア語は必須であり、話せないと出稼ぎにも影響が出てきます。

 インドネシア語の識字率は88.5%(2003年)です。なおインドネシア語、ジャワ語、バリ語などを含むオーストロネシア語族の他に、パプア諸語が使用される地域もあります。



◆インドネシアの宗教


 次にインドネシアの宗教について概説しておきます。まず、世界の宗教における現在の各宗教の人口割合を見てみましょう。

 下図は、宗教の分類と世界の宗教人口比を示したものです。

 仏教、ヒンズー教、道教は、多神教に属します。そして世界の宗教人口比は、仏教が5%、ヒンズー教が13%、道教が6%となっています。


出典:青山貞一、制作学校一新塾講義用pptx



 次に現在のインドネシアの宗教についてみてみましょう。


インドネシアの宗教



   インドネシアは憲法29条で信教の自由を保障しています。パンチャシラでは唯一神への信仰を第一原則としているものの、これはイスラム教を国教としているという意味ではありません。

 インドネシアは多民族国家であるため、言語と同様、宗教にも地理的な分布が存在しています。バリ島ではヒンズー教が、スラウェシ島北部ではキリスト教(カトリック)が、東部諸島およびニューギニア島西部(パプア州)ではキリスト教(プロテスタント、その他)が優位にあります。

 最新の統計(ブリタニカ国際年鑑)によると、
イスラム教が76.5%、キリスト教が13.1%(プロテスタント5.7%、独立教会4.0%、カトリック2.7%、他)、ヒンズー教が3.4%、伝統信仰が2.5%、無宗教が1.9%、その他が2.6%となっています。

 イスラム教徒の人口は、1億7000万人を超え、世界最大のイスラム教徒(ムスリム)人口を抱える国となっています(インドネシアは世俗主義を標榜しており、シャリーアによる統治を受け入れるイスラム国家ではありません)。

 ただし、イスラム教はジャワ島やスマトラ島など人口集中地域に信者が多いため、国全体でのイスラム教徒比率は高くなっています。しかし、非イスラム教徒の民族や地域も実際には多いのです。

 カリマンタン島やスラウェシ島ではイスラム教徒と非イスラム教徒の割合が半々ほどです。東ヌサトゥンガラから東のマルク諸島、ニューギニア島(パフア州)などではイスラム教徒比率は一割程度です(それもジャワ島などからの移民の信者が大半です)。

 またイスラム教徒が多数な地域であっても、都市部やスンダ人、アチェ人地域のように比較的、厳格な信仰を持つものもあれば、ジャワ人地域のように基層にヒンズー文化を強く残しているものもあり、また書面上はイスラム教徒となっていても、実際にはシャーマニズムを信仰している民族もあります。

 なお、信仰の自由はあるといっても完全なものではなく、特に無神論は違法であり、公言をすると逮捕される可能性もあるとのことです。

 現在のインドネシアでは、

 イスラーム
 ナフダトゥル・ウラマー
 ムハマディア
 ジュマア・イスラミア
 プサントレン

というように、イスラム教が76.5%、キリスト教が13.1%(プロテスタント5.7%、独立教会4.0%、カトリック2.7%、他)、ヒンドゥー教が3.4%、伝統信仰が2.5%、無宗教が1.9%、その他が2.6%となっており、ボロブドゥール寺院やプランバナン寺院のもととなる大乗仏教やヒンズー教が国民全体に占める割合は非常に少ないものとなっています。とりわけ仏教の割合は少なくなっています。


仏教とヒンズー教の伝来

 紀元前1世紀の頃からインド洋を渡ってインドの商人たちが訪れるようになり、ヒンズー教の影響を受けた独自の文化が発展し始めました。そして5世紀頃からボルネオ島東部にクタイ王国、西部ジャワにタルマヌガラ王国が繁栄し始めます。

 クタイ王国は、インドからマカッサル海峡、フィリピン、中国に抜ける交易ルートに位置していたためにインドからの船が寄航し中継貿易の利で繁栄したと思われます。

 535年、インドネシアの大火山、クラカタウが噴火。535年から536年の異常気象現象の原因となりました。

 7世紀にジャワ島西部にスンダ族がスンダ王国(669年〜1579年)を建国しました。 7世紀から11世紀にかけてスマトラ島南部パレンバンを本拠とするシュリーヴィジャヤ王国(7世紀-13世紀)がマラッカ海峡を制圧し、南海貿易をコントロールし仏教文化が栄え繁栄を極めました。

 今回私たち多行くジャワ島では、8世紀前葉に古マタラム王国とシャイレーンドラ朝(8世紀-9世紀)が建国されました。シャイレーンドラにより8世紀末から9世紀初めにジャワ島の中部に建設されたボロブドゥール寺院は、底部の一辺が120m、高さ約42mという巨大な大乗仏教の石造ストゥーパがあります。


インドネシア、ジャワ島への仏教電の伝来ルート
出典:「ボルブドゥールの教え」

 インドから東南アジアに伝播した仏教は一般に部派仏教(上座部仏教)と呼ばれる仏教でしたが、ボロブドゥールは大乗仏教の遺跡です。


ジョグジャカルタの北西にあるボロブドゥール寺院遺跡群 出典:Wikipedia


◆ヒンズー教について

 古マタラム王国は、10世紀初め頃まで続き壮大なヒンズー寺院であるプランバナン寺院群を建設しました。


ジョグジャカルタ空港にあるプランバナン寺院遺跡群
出典:Wikipedia

 929年には、東部ジャワにクディリ王国が建国され、交易の利権をめぐって、ダルマヴァンシャ王がシュリーヴィジャヤの覇権に挑みましだ。しかし、結局1016年にダルマヴァンシャが殺害されて、シュリーヴィジャヤの勝利に終わりました。

 しかし、1025年に南インドを支配していたチョーラ朝のラージェンドラ1世の軍勢の遠征でシュリーヴィジャヤは打撃を受けたことで衰退することになります。

 その後、ジャワでは、1222年にケン・アロクによって、シンガサリ朝が建国されました。

 最後の王クルタナガラのとき、モンゴル帝国、元朝の使者が来ましたが、その顔に刺青を入れて送り返したので、元の大ハーン、皇帝クビライは報復として大軍を派遣しました。

 ジャワ島は元の遠征(モンゴルのジャワ侵攻(英語版))で被害を受けていましたが、やがて元軍を撃退したラデン・ウィジャヤが1292年にマジャパヒト王国を建国しました。

 マジャパヒトは、名宰相ガジャ・マダのもと、14世紀から15世紀にかけて繁栄しました。1365年に完成させた古ジャワ語の韻文叙事詩『デーシャワルナナ Desawarnana(地方の描写)』(通称『ナーガラクルターガマ N?garakert?gama(聖なる教えによって完成された王国))』は、ジャワ島東部を本拠として今日のほぼインドネシア全域、フィリピンの一部やマレーシアを含めた広大な版図を支配したとされています。

 ただし、 これは史書の筆法に過ぎず、それぞれの地域に一時的に影響力を行使した可能性は残るものの、これらの領域を同時に支配したわけではないようです。


つづく