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 神秘のジャワ島巨大仏教遺跡視察
   
ジャワ島の大地震
 
青山貞一 Teiichi Aoyama  池田こみち Komichi Ikeda
掲載月日:2017年1月31日
独立系メディア E−wave Tokyo
 
無断転載禁
@ 準備と出発 A ジョグジャカルタ到着 B ジャワ島のジョグジャカルタ
C ジャワ島の大地震   D ジャワ島の東にある島々   E 民族・言語と宗教
F 滞在先ホテル1 G 滞在先ホテル2 H 滞在先ホテル3

2006年のジョグジャカルタ近郊の地震

 
インドネシアは日本同様、地震大国であり、津波、さらには火山噴火大国です。行き先のジョグジャカルタがあるジャワ島にも火山が多数あります。

 また日本同様、火山噴火とは別に活断層による自身もあります。、事実、2006年にはジョグジャカルタの近郊で大きな地震が起きています。

 地震によりボロブドゥール寺院遺跡はじめジョグジャカルタ空港近くにあるやはり世界遺産のプランバナン寺院遺跡群も過去、何度かの大きな地震により崩壊しています。

 以下は、2006年のジョグジャカルタ近郊の大地震についての解説です。


2006年のジョグジャカルタ近郊の地震

   2006年5月27日に、ジョグジャカルタ近郊でマグニチュード6.4(一説には6.2?6.3)の地震が発生しました。 死者5,800人以上。ほとんどがレンガ造りの家屋が倒壊したことによる圧死と思われます。

 2004年12月のスマトラ島沖地震の後であり、津波発生のデマが飛び交うなどパニックとなりました。一方、コミュニティが発達していたこともあり、被害状況の把握が容易だったとされてています。

被害状況(概要)

 これまでに約3500人の死亡が確認され、2万人以上が負傷しています。負傷者の中には深刻な状態にある者もいました。そのうち、バントゥル地区での死者が2091人、負傷者が1892人を数えています。

 インドネシア社会省の職員によると、死者の数は3505人に上っていてそのうち3分の2がバントゥルで生じているとのことでした。震源地から半径50km以内には、約500万人が住んでいました。

 古代の仏塔であるボロブドゥール遺跡はほとんど無傷でしたが、ヒンズー教遺跡のプランバナン寺院群は被害を受けて一部が損傷しています。震源地が島の内陸寄りだったため、いわゆる直下地震となったのです。

 日本の震度階級に直すと、震源に近かったジョグジャカルタの南方の集落では、震度5強から6弱であったものとみられています。

 震源地に近い集落や住宅街では、煉瓦を積み上げただけの簡素な家で耐震性が低く、漆喰などの基礎補強が弱かったため、地震発生と同時に95%以上の家が一瞬にして瓦礫と化しています。

 コンクリート製の大型の商業施設でも、鉄筋がなかったり不足していたものは倒壊したり壁が崩れました。そのため、犠牲者のほとんどは建物の倒壊による圧死で、いわゆる震災孤児も発生している模様です。


主な出典:Wikipedia

原因・地震のメカニズム

 この地震を発生させたのは、現在のところジャワ島中部を南北に走る活断層の活動だと考えられています。

 ジョグジャカルタ市街地の東側には南北数十kmに連なる活断層(オパック断層)があります。この断層の南端でM6.2の最初の地震が発生し、直後にその北東でもM6.1の地震が発生し、揺れが連続しました。

 このためバンドゥル県など断層北部付近では、2つの揺れが干渉しあって増幅され、揺れが大きくなり被害が集中したと見られています。


中央右端がジャワ島、オーストラリアプレートとユーラシアプレートがぶつかっている。
出典:Wikipedia



ジャワ島南岸のプレートの沈み込みの様子。
出典:Wikipedia



つづく