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世阿弥と日蓮の足跡をたどる佐渡の旅

佐渡博物館・金島書と能面

青山貞一 Teiichi Aoyama 池田こみち Komichi Ikeda
2018年9月18日公開
独立系メディア Media E-wave Tokyo  
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佐渡現地視察総合目次 

 @全体概要  A能舞台  B金島書と能面  C面と人形
 D佐渡金山1  E佐渡金山2  F仏像  G生物


 以下は世阿弥の佐渡山越え行路図である。


出典:佐渡博物館 撮影:青山貞一 Nikon Coolpix S9900



出典:佐渡博物館 撮影:青山貞一 Nikon Coolpix S9900


◆金島書と能面

古くから「金(こがね)の島」と称されていた佐渡島(さどがしま)は、順徳(じゅんとく)上皇や日蓮(にちれん)などの流刑地として知られています。この北の離島に、晩年の世阿弥も流されてしまいました。時の将軍義教(よしのり)の怒りにふれたのは確かですが、70歳をこえる老齢の身に何がおこったのかは、よくわかっていません。佐渡での世阿弥の境遇を知る記録も少なく、娘婿の金春禅竹に宛てた書状のほか、配流地での境涯を綴った小謡(こうたい)集『金島書(きんとうしょ)』が残るのみです。この中で世阿弥は、悲運の身でありながら心静かに佐渡の情景を描写しており、晩年の彼の面影がいっそう不可思議に感じられます。この後の世阿弥の消息も不明ですが、都に帰ることができたとみられています。現在の佐渡島には世阿弥の足どりを知る史跡こそありませんが、世阿弥が着けたとされる「雨乞いの面」などの伝説が受け継がれており、明治時代以降に建てられた30以上の能舞台が残る「能の里」として知られています。

神事面べしみ「雨乞いの面」(新潟県・正法寺所蔵)
出典:放送大学


出典:佐渡博物館 撮影:青山貞一 Nikon Coolpix S9900


出典:佐渡博物館 撮影:青山貞一 Nikon Coolpix S9900



出典:The Art & Natural History Museum of SADO Japanos Google



撮影:青山貞一 Nikon Coolpix S9900


出典:佐渡博物館
撮影:池田こみち Nikon Coolpix S9900
・左右とも「尉面(じょうめん)」
・左「鬼面:悪尉風」 右「悪尉面」
・左右とも「鬼面」
 3枚目と4枚目は同じ物だと思います。
・左右とも「鬼面」

左右とも「尉面(じょうめん)」

出典:佐渡博物館
撮影:池田こみち Nikon Coolpix S9900

・左「鬼面:悪尉風」 右「悪尉面」

出典:佐渡博物館
撮影:池田こみち Nikon Coolpix S9900

・左右とも「鬼面」

出典:佐渡博物館
撮影:池田こみち Nikon Coolpix S9900

・左右とも「鬼面」
 
出典:佐渡博物館
撮影:池田こみち Nikon Coolpix S9900


能面(のうめん)   出典:Wikipedia

 能面は、能楽や一部の神楽で用いられる仮面である。伎楽面や舞楽の仮面などの影響を受けている。翁(おきな)、尉(じょう)、鬼神、男、女の5種類に大別される。女面、少年面、青年面は一部を除いて何れも白塗りの厚化粧、引眉で、お歯黒を付けており、これらは何れも、能が成立した時代の習慣を残したものである。

 なお、「翁」の面は特徴的で、他の能面と異なり、

 眼が(黒目の部分のみならず)全てくり抜いてある
 ぼうぼう眉(綿や毛が植えてある)
 面の口から下の部分を切り離して、紐で結んである(切顎)
 古式でおおらかな面である。

 能面は木(檜が多い)を彫り、彩色して製作するが、この工程を「面を打つ」という。また、顔に付けることを「面を掛ける」という。この場合「面(おもて)」と読み、「能」がつくと「能面(のうめん)」と読む。近年は和紙製の張子面も登場している。

 能楽に面を使用した記録に残る最も古い例としては、弘安6年(1283年)の春日神社での猿楽に三番、延命冠者、父尉などの面が使われたことが知られている。一般的に、能面が本格的に作られ始めたのは14世紀中頃に活躍した赤鶴吉成を初めとすると言われる。当時の代表的な面打師とその系譜は江戸時代中期に喜多方能が著した『仮面譜』によって、十作・六作・三光坊などに分類された。

 古来傑出した能面作者を「十作」と称し、日光、弥勒、夜叉、文蔵、小牛、赤鶴(しゃくづる)、龍右衛門、日氷(ひみ)、越智(えち)、三光坊の10名とされている。室町時代に今日の能面の基本形を創作した人々とされるが、実在が不確かな人物も含まれている。また、「春日」という作者は「神作」として十作の上に置かれ、神聖視されている。

 一方で、古来においては能面の最古の作家として聖徳太子、淡海公(藤原不比等または藤原鎌足の諡)、空海の三人もまた神作と看做す説もあるが先述の春日も含めて伝説の域を出ないとする意見もある[6]。三光坊は十作の中の一人だが、後の面打三家と呼ばれる越前出目家、近江井関家、大野出目家の始祖とされる人物である。六作には千種、福来など、能楽発達後から安土桃山時代にかけて活躍した人々が挙げられている。

 なお、現在能(亡霊ではなく現在進行形として演じられる形式の能)の成年男性役には能面を用いないで演じられる。しかし、役者が顔の表情を作って表現することは禁じられている。この能役者の素顔を「直面(ひためん)」と呼び、その名のとおり自分の素顔を能面と見立てて演ずる。 能のワキはすべて現在成年男性であるために直面で演じられている。

 転じて、何が起きても動じず「増女」の面のように無表情であることを「能面のようだ」と表現する。


つづく