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世阿弥と日蓮の足跡をたどる佐渡の旅

佐渡博物館・能舞台

青山貞一 Teiichi Aoyama 池田こみち Komichi Ikeda
2018年9月18日公開
独立系メディア Media E-wave Tokyo  
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佐渡現地視察総合目次 

 @全体概要  A能舞台  B金島書と能面  C面と人形
 D佐渡金山1  E佐渡金山2  F仏像  G生物


 当初この博物館は、日本各地にある公立博物館、たとえば横浜市立博物館のように、あまり興味がわかない、払った入館料に見合わない博物館と、高を括っていたが、入って見たら、大きなテーマ毎にしっかりコンテンツを選び、展示していることがわかった。

 私たちの一番の関心は世阿弥と日蓮の足跡だが、日蓮は特定宗教について展示すれば、他の宗派から批判が出るのは明らかなので、無理として、世阿弥については、しっかりとその足跡、佐渡島内の能舞台の場所、神社など、コンパクトながら詳しく展示してあった。

◆世阿弥の薪能


出典:The Art & Natural History Museum of SADO Japanos Google


◆佐渡に現存する能舞台

 以下は佐渡市内の神社にある能舞台(12舞台


出典:佐渡博物館
撮影:青山貞一 Nikon Coolpix S9900

 以下は上の能舞台リストを一部拡大したもの。


出典:佐渡博物館
撮影:池田こみち Nikon Coolpix S9900


出典:佐渡博物館
撮影:池田こみち Nikon Coolpix S9900


出典:佐渡博物館
撮影:池田こみち Nikon Coolpix S9900

 下は上記の写真などから判明した佐渡の能舞台を併設する神社。ただし、佐渡には往時30か所以上、一説には60か所ものの能舞台があったという。●は、今回の現地調査で直接発見でき写真が撮影できた能舞台。▲はグーグルのストリートビュー・衛星写真で確認できた能舞台である。

 なお、@からKの番号は、上の能舞台の横並びの順としている。

@大膳神社(真野  竹田)●  〒952-0302 新潟県佐渡市竹田562ー1
A羽黒神社(金井 安養寺)▲ 〒952-0004 新潟県佐渡市羽吉
B諏訪神社(真野  豊田) ▲ 〒952-0312 新潟県佐渡市吉岡776

C二宮神社(佐和田 二宮)▲ 〒952-0312 新潟県佐渡市吉岡776
D白山神社(羽茂  大崎)●  〒952-0502 新潟県佐渡市羽茂大崎1650
E白山神社(羽茂  滝平)●  〒952-0501 新潟県佐渡市羽茂滝平152

F本間家 (両津  吾潟)●  〒952-3421 新潟県佐渡市吾潟987
G諏訪神社(両津  原黒)▲ 〒952-0016 新潟県佐渡市原黒
H牛尾神社(新穂  潟上)▲ 〒952-0103 新潟県佐渡市新穂潟上2532

I白山神社(羽茂  小泊)▲ 〒952-0514 新潟県佐渡市羽茂小泊1494
J草苅神社(羽茂  本郷)● 〒952-0504 新潟県佐渡市羽茂本郷1698
K気比神社(真野  椿尾)▲ 〒952-0101 新潟県佐渡市新穂長畝

 調査したところ、上記以外に著名な能舞台があったので以下に示す。

 ・原黒諏訪神社能舞台
 ・潟端諏訪神社能舞台
 ・牛尾神社能舞台
 ・熊野神社能舞台
 ・春日神社能舞台
 ・二宮神社能舞台
 ・八幡若宮神社能舞台
 ・椎崎諏訪神社能舞台

<佐渡に伝わる能> 

 佐渡博物館では佐渡県内の能舞台は12がリストされていた。しかし、NHKの以下の番組では、。この島には30をこえる能の舞台がある。とある。

 新潟県佐渡。この島には30をこえる能の舞台がある。その舞台で演じられる能「猩々」を紹介。こうした佐渡の能には世阿弥の影響が強く残されているといわれている。

 新潟。日本海に浮かぶ島です。この島には30をこえる能舞台があります。その舞台で、佐渡の人たちが演じる能「猩々(しょうじょう)」です。猩々は水の中に住んでいます。その猩々が人の世界を訪(おとず)れ酒を飲んで舞(まい)を披露(ひろう)します。こうした佐渡の能は江戸(えど)時代にもっとも流行しました。室町(むろまち)時代、佐渡へと島流しにされた世阿弥(ぜあみ)。その影響(えいきょう)が大きいといわれています。能は今も佐渡で生き続けています。

出典:NHK http://www2.nhk.or.jp/school/movie/clip.cgi?das_id=D0005310189_00000


◆猿楽と能  出典:Wikipedia

 猿楽(さるがく、猿樂)は、平安時代に成立した日本の伝統芸能。能は江戸時代までは猿楽と呼ばれ、狂言とともに能楽と総称されるようになったのは明治以降のことである。

名称
 散楽(さんがく、散樂)、申楽(申樂)とも書く。読み方は「さるごう(さるがう)」とも。演者(狂言含む)は座頭級のものを楽頭、太夫、一般の座員を猿楽師、または単に猿楽とよんだ。申楽の表記は世阿弥の伝書で使われる。世阿弥は猿楽の起源を綴った『風姿花伝』「神儀云」で、「上宮太子、末代のため、神楽なりしを、<神>といふ文字の片を除けて、旁を残し給ふ。是日暦の<申>なるがゆえに<申楽>と名づく。」として、猿楽は本来神楽であり、神の字の旁を用いて申楽と書くのが正しいと解説している。もっとも、これを誤りとする説もある。

歴史
 
 現在能楽と称されている芸能の起源について正確なことはわかってはいないが、7世紀頃に中国大陸より日本に伝わった日本最古の舞台芸能である伎楽や、奈良時代に伝わった散楽に端を発するのではないかと考えられている。散楽は当初、雅楽と共に朝廷の保護下にあったが、やがて民衆の間に広まり、それまでにあった古来の芸能と結びついて、物まねなどを中心とした滑稽な笑いの芸・寸劇に発展していった。それらはやがて猿楽と呼ばれるようになり、現在一般的に知られる能楽の原型がつくられていった。


つづく