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真田の里、信州旧真田町

信綱・昌輝の墓


青山貞一  池田こみち  鷹取敦
September 5 2016
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真田の里、信州上田 2015-5, 2015-7
@ 大笹の関 E 角間と真田史跡 J 真田信綱と真田昌輝 O 幸隆と昌輝の墓
A 角間渓谷 F 山家神社 K 信綱寺の黒門 P 真田昌幸
B 岩屋観音 G 真田神社 L 馬頭観音とねじ行事 Q 実相院
C 猿飛岩 H 長谷寺 M 歴史の丘 R 実相院の観音堂
D 真田十勇士 I 真田幸隆 N 信綱寺 S 瀧水寺と観音堂

◆真田信綱公の墓

 信綱寺本堂の右から裏山を登ってゆくと、真田公墓所があります。寺の裏山に改葬して立派な墓としているのです。

 信綱寺の裏山には信綱らの墓があります。山門に桜の古株があり、長篠の戦で討死した信綱の首級をその臣、白川勘助解由兄弟が持ち帰り、ここに埋めて殉死したとされています。そして信綱の墓の傍らには、白川兄弟の墓があります。兄弟は信綱の首級を信綱寺に葬ってのち、ともどもに主君の後を追って殉死したといいます。 (真田氏史料集)

 信綱寺の本堂には真田信綱の鎧の銅や首級を包んで来たという白川勘助解由の陣羽織、さらに白絹地の背旗などが宝蔵されています。一方、「信長公記」には、討ち取る首の見知分の中に「さなだ源太左衛門」があるものの、信綱の弟、昌輝の名はないとされています。

 長篠合戦で討死した真田信綱の首級と、その愛刀青江の太刀は、家臣白川勘解由兄弟が戦場から持ち帰り、首は現在の信綱寺の場所へ葬ったとされています。この陣羽織は、その信綱の首を包んできたものと伝えっています。ところどころに血痕が残っており、血染めの陣羽織と称しています。
(真田氏史料集)

 真田昌輝について書いたものとしては、「日本戦史 長篠役補伝」の「第58高木清秀の戦功」の条に「清秀も尾州の隊に在りて甚働き、真田兵部昌輝と鑓を合」とあります。他として、信綱寺の文章には「兵部丞昌輝は信綱と同時に長篠で討死し、その子孫は越前福井少将の臣となり、千石を領したとあります。(出典:長篠合戦余話)
 
 以下は信綱寺の裏山にあります墓所を訪れた際に撮影した写真です。


撮影:青山貞一 Nikon Coolpix S8  2015-5-GW

 下の写真の石垣の上に真田公墓所があります。周囲は森で大変閑静です。


撮影:青山貞一 Nikon Coolpix S8  2015-5-GW



撮影:青山貞一 Nikon Coolpix S8  2015-5-GW

・信綱の最期

 天正2年(1574年)5月に幸隆が死去すると正式に真田家の家督を継ぎました。天正3年(1575年)5月21日の長篠の戦いでは三尺三寸の陣太刀・青江貞を振って奮戦し、馬防柵を次々なぎ倒しながら敵陣に迫るが鉄砲部隊の銃撃によって弟の昌輝と共に戦死しました。享年39です。

 真田家の家督は勝頼の命令により信綱の幼児らに受け継がれる事は認められず、武藤家を継いでいた同母弟の昌幸が継承しました。法名は信綱寺殿天室道也大禅定門です。

 信綱を討ったのは徳川方の渡辺半十郎政綱(渡辺半蔵守綱の実弟)だと言われていますが、実際には織田信長配下の柴田勝家、丹羽長秀、羽柴秀吉ではないかとする説もあります。

 信綱の首は着用していた陣羽織に包まれて、家臣(近習)の北沢最蔵と白川勘解由が甲斐に持ち帰ったといいます。この「血染めの陣羽織」は上田市の信綱寺に収蔵されています。なお、この二人は信綱を追って殉死し、その忠義を賞されて北沢家には300石、白川家にも200石が与えられました。

 なお、信綱寺は、信綱の弟・昌幸が、位牌所として建立した寺で、この南には古城と呼ばれる尾根があります。ここは中世に真田氏が居館を構えていたと言われる由緒のある地でもあります。

・昌輝の最期

 天正3年(1575年)5月の長篠の戦いでは、最右翼の主将を馬場美濃守、そのすぐ左翼を兄信綱が担い、さらに左横に陣取って、右翼部隊の一端を担います。5月21日の設楽原決戦においては、織田軍の左翼を受け持った佐久間信盛の陣に突撃すると、「丸山」と呼ばれる小高い丘を奪い合う局地戦を展開します。

 ここでは、首級を挙げるなど奮闘しますが、深手を負い奮闘虚しく信綱とともに討死しました。享年33歳です。法名は嶺梅院殿風山良薫大禅定門。なお設楽ヶ原には、信綱ととも墓が現存しています。

 子の真田信正は徳川家に仕え、忠昌に従って越前に在し、子孫は越前松平家に仕えています。今も越前真田家として存続しています。


 下の三枚の写真では、中央が真田信綱公、左が信綱公夫人、右が真田昌輝公の墓です。


撮影:青山貞一 Nikon Coolpix S8  2015-5-GW



撮影:青山貞一 Nikon Coolpix S8  2015-5-GW



撮影:青山貞一 Nikon Coolpix S8  2015-5-GW



撮影:鷹取敦 Nikon Coolpix S9900  2015-7-19



撮影:鷹取敦 Nikon Coolpix S9900  2015-7-19



撮影:鷹取敦 Nikon Coolpix S9900  2015-7-19



撮影:鷹取敦 Nikon Coolpix S9900  2015-7-19


つづく