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2018年・東日本大震災・津波
復旧実態調査(宮城県南部編)

岩沼市沿岸1

青山貞一・池田こみち 
環境総合研究所顧問
掲載月日:2019年5月20日 2020年3月11日第2次公開
 独立系メディア E-wave Tokyo
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調査の内容と方法 基本データ  山元町1  山元町2  
亘理町1  亘理町2  亘理町3  亘理町4  亘理町5  岩沼市1  岩沼市2  


◆岩沼市沿岸1


出典:東北地方太平洋沖地震を教訓とした地震・津波対策に関する専門調査会配付資料

 阿武隈川の河口近くの橋を渡り、岩沼市に入った。


撮影:青山貞一 Nikon Coolpix S9900 2018-6-29


出典:Wikipedia

被災状況(亘理農業改良普及センター調べ)
名取市
農地浸水面積1,561ha(耕地面積2,990ha)
農畜産物等被害額14.0億円
楊排水機場被災箇所52か所
岩沼市
被災農家戸数742戸
農地浸水面積1,206ha(耕地面積1,870ha)
農業機械被害額23.3億円
園芸用施設被害額1.6億円
楊排水機場被災箇所23か所


 岩沼市と言えば「貞山堀(運河)」だ。阿武隈川を渡ってすぐのところにある。

 下の地図は岩沼市内の「貞山堀(運河)」である。


出典:グーグルマップ

◆貞山堀(運河)とは

 貞山運河(ていざんうんが)は、宮城県の仙台湾沿いにある運河である。江戸時代から明治時代にかけて数次の工事によって作られた複数の堀(運河)が連結して一続きになったもので、「貞山堀」とも呼ばれている。

 その名称は明治時代の改修時に伊達政宗の諡(瑞巌寺殿貞山禅利大居士[1])にちなんで名付けられたものである。

 仙台湾沿いには江戸時代に木曳堀と舟入堀の二つの運河が開削されており、また明治時代初期にも新堀と呼ばれる水路が開削されていた。これらは阿武隈川河口から松島湾の塩竈まで、おおむね仙台湾の海岸線に並行して続くものだった。

 明治時代中期にこれらが改修されて一続きになり、貞山運河とされた。その目的は、喫水が浅く乾舷の低い川船が、河口からそのまま海に乗り出す危険を避け、あるいはそのために荷を積み替える手間を省き、川船による物資輸送を円滑に行うためだった。

 貞山運河は阿武隈川河口から松島湾までの水路であるが、松島湾から鳴瀬川河口にかけて東名運河があり、さらに鳴瀬川河口から旧北上川の石井閘門まで北上運河が続いている。貞山運河、東名運河、北上運河を合わせた総延長は約49kmであり、これは日本で最も長い運河系である。

 これらの運河整備は明治時代初頭の野蒜築港建設とほぼ同時期に行われたもので、宮城県のみならず北上川上流の岩手県や阿武隈川上流の福島県まで含めた水上交通網となることが想定されていた。

 2011年3月11日に発生した東北地方太平洋沖地震(東日本大震災)では、貞山運河そのものや太平洋と隔てる堤防が各所で、地震によって発生した津波によって破壊された。このため、宮城県では運河の再生・復興ビジョンを策定している。

 かつて貞山運河沿いには集落や川港が点在した。東日本震災後は、運河沿いの一部地域は将来の津波被害を想定した災害危険区域に指定され、住民は内陸へ移転している。

出典:Wikipedia

 3.11以降、何度も「貞山堀(運河)」を見てきたが、今回は橋の復旧工事をしていた。


撮影:青山貞一 Nikon Coolpix S9900 2018-6-29

 ここでの空間放射線量率は、0.08μSv/hであった。

 下は2011年7月時点の貞山堀の風景である。


出典:グーグルストリートビュー 2011年7月

 下は2013年4月時点の貞山堀の風景である。


出典:グーグルストリートビュー 2013年4月

 この後岩沼市の沿岸域に向かう。


撮影:青山貞一 Nikon Coolpix S9900 2018-6-29


岩沼市沿岸2つづく