2018年・東日本大震災 復旧実態調査(宮城県北部編) 南三陸町沿岸5 青山貞一・池田こみち 環境総合研究所顧問 掲載月日:2019年5月20日 最終公開日:2020年2月28日 独立系メディア E-wave Tokyo 断転載禁 |
<総合メニューへ> 南三陸1歌津1 南三陸2歌津2 南三陸3歌津3 南三陸4 南三陸5 南三陸6 南三陸7 南三陸8 気仙沼1 気仙沼2 気仙沼3 気仙沼4 気仙沼5 気仙沼6 気仙沼7 ◆南三陸町沿岸5 出典:東北地方太平洋沖地震を教訓とした地震・津波対策に関する専門調査会配付資料 以下の出典:東日本大震災による被害の状況について - 南三陸町 ◆南三陸町の被害の状況(平成30年2月28日現在) ※参考(震災前の人口及び世帯数) 平成22年国勢調査 人口17,431人 5,295世帯 平成23年2月末日現在住民基本台帳 人口17,666人 5,362世帯 南三陸町が公表している人的被害 死者 620人(直接死600人(うち町民の方551人、町外の方48人、不明1人)、間接死20人) 行方不明者 211人(うち町民の方210人) 注)死者 南三陸町内でご遺体が発見された方(町外の方を含みます)、南三陸警察署に行方不明届出がなされた後にご遺体が発見された方(町外で発見された方を含みます)、申述書による死亡届出がなされた後に発見又は本人確定された方(町外で発見された方を含みます)及び災害関連死の認定を受けた方の数となります。 注)行方不明者 南三陸警察署に行方不明届出がなされた方で、ご遺体が発見されていない方の数となります。 南三陸警察署が発表の数値 死者 566人 行方不明者 211人 以下は南三陸町の人口の推移です。1950年代後半、約26,000人いた人口は、その後、単調減少していましたが、2011年に一気に約12,200人に減っています。 南三陸町(に相当する地域)の人口の推移 出典:Wikimedia Commons 南三陸町の地形と浸水状況 以下の地図にある村ら黄色の線は、右側にある地形図断面の計測位置を示している。A地点が南三陸港、B地点が地図の左上の地点を示している。 出典:東北地方太平洋沖地震を教訓とした地震・津波対策に関する専門調査会配付資料 志津川駅から気仙沼駅方面を望む(2011年4月6日) Source:Wikimedia Commons 震災から約1か月後の公立志津川病院付近 Source:Wikimedia Commons 震災から約1か月後の公立志津川病院付近 Source:Wikimedia Commons ◆南三陸南三陸防災対策庁舎 1995年(平成7年)、志津川町の町役場の行政庁舎の1つとして建設された。志津川町におけるチリ地震の浸水深2.4メートルに対し、防災対策庁舎は海抜1.7m、海岸から約600mの地点に建つ鉄骨造ほか3階建てであり、地上から高さ約12メートルの屋上に避難場所があった。2005年(平成17年)10月1日、志津川町と歌津町が新設合併して南三陸町となった。防災対策庁舎は南三陸町役場の行政庁舎の1つとなった。町役場の本所には、行政第1・第2庁舎、そして防災対策庁舎が隣接して建っていた。 2011年(平成23年)3月11日に発生した東北地方太平洋沖地震(東日本大震災)に伴う15.5メートルの津波により、第1庁舎および第2庁舎は流失し、防災対策庁舎は骨組みと各フロアの床および屋根等を残して破壊された。防災庁舎の悲劇により、防災対策庁舎は震災遺構とみなされている。 南三陸防災対策庁舎 Source:Wikimedia Commons 全壊 3,143戸(平成23年2月末日現在の住民基本台帳世帯数の58.62パーセント) 半壊、大規模半壊 178戸(平成23年2月末日現在の住民基本台帳世帯数の3.32パーセント) 半壊以上の計 3,321戸(平成23年2月末日現在の住民基本台帳世帯数の61.94パーセント) 公の施設など主要公共施設の被害 戸倉地区内の被災施設 戸倉保育所、戸倉小学校、戸倉公民館、自然環境活用センター、波伝谷地区 漁業集落排水処理施設 志津川地区内の被災施設 役場(行政第1庁舎、行政第2庁舎及び防災対策庁舎)、志津川保健センター、ボランティアセンター、デイサービスセンター、上下水道事業所、荒砥保育園、志津川公民館、図書館、海浜高度利用施設(海浜センター)、公立志津川病院、地方卸売市場、街なか交流館、袖浜地区漁業集落排水処理施設、本浜公園、松原公園、上の山緑地、せせらぎ公園 歌津地区内の被災施設 歌津総合支所、歌津保健センター、名足小学校、水産振興センター(魚竜館) 震災から約1か月後の公立志津川病院(2011年4月20日) Source:Wikimedia Commons 清水浜駅の駅舎。プラットホームは流失を免れたが、周囲の線路は一部が流失(2011年5月23日) Source:Wikimedia Commons ライフライン(水道・電気)被害 水道 地震発生後、町内全域で断水。一部地区の仮通水(飲用不可)から復旧を開始し、平成23年8月中旬にほぼ全域を飲用可能として復旧しました。 電気 地震発生後、町内全域で停電。平成23年4月中旬から復旧が開始され、同年5月末にほぼ全域で復旧となりました。 避難者 最大避難人員は、平成23年3月19日に、消防団などによる状況把握により、33の避難所に9,753人が確認されました。 町指定避難所などの被害 平成18年12月に作成した南三陸町地域防災計画により避難所・避難場所として指定し、平成23年3月において現に機能を有した指定避難所・避難場所78箇所のうち、34箇所が津波の浸水、流失(全壊)などの被害を受けました。 この他、津波避難ビルとして指定していた建物の被災状況は、次のとおり。 公立志津川病院(5階建て屋上) 避難者及び入院患者347人(うち死亡、行方不明の方74人) 漁協志津川支所(2階建て) 避難者なし 高野会館(4階建て) 避難者327人(死亡、行方不明なし) 町営松原住宅(4階建て屋上) 避難者44人(死亡、行方不明なし) 仮設住宅の建設状況 東日本大震災に係る仮設住宅については、48の地域に58の仮設住宅団地、計2,195戸が建設されました。 戸倉地区内 自然の家仮設(81戸)、戸倉中学校グラウンド仮設(67戸)、水戸辺地区仮設(18戸)、神割崎キャンプ場仮設(31戸)、津の宮地区仮設(20戸)、切曽木地区仮設(18戸)、波伝谷地区仮設(21戸) 志津川地区内 志津川小学校グラウンド仮設(60戸)、志津川中学校グラウンド仮設(102戸)、志津川高校グラウンド仮設(58戸)、中瀬町1期仮設(20戸)、林地区仮設(12戸)、平磯1期仮設(17戸)、大久保1期仮設(9戸)、中瀬町2期仮設(42戸)、大久保2期仮設(7戸)、荒砥1期仮設(30戸)、袖浜地区仮設(33戸)、保呂毛仮設(11戸)、田尻畑地区仮設(12戸)、荒砥2期仮設(44戸)、廻館地区仮設(35戸)、小森地区仮設(48戸)、細浦地区仮設(18戸)、中瀬町3期仮設(10戸)、平磯2期仮設(10戸)、沼田1期仮設(40戸)、中瀬町4期仮設(10戸)、沼田2期仮設(20戸) 入谷地区内 入谷中学校跡地仮設(32戸)、入谷小学校グラウンド仮設(18戸)、岩沢地区仮設(38戸)、桜沢地区仮設(16戸)、童子下1期仮設(17戸)、童子下2期仮設(12戸)、山の神平仮設(28戸) 歌津地区内 吉野沢団地仮設(84戸)、平成の森(テニスコート・林間広場)仮設(246戸)、伊里前小学校グラウンド仮設(37戸)、歌津中学校グラウンド仮設(37戸)、韮の浜(農村公園)1期仮設(18戸)、港地区仮設(44戸)、馬場地区仮設(21戸)、田茂川地区仮設(16戸)、韮の浜(農村公園)2期仮設(6戸)、泊浜1期仮設(23戸)、松の崎仮設(34戸)、泊浜2期仮設(7戸)、館浜地区仮設(15戸)、寄木仮設(10戸)、枡沢地区仮設(38戸)、中山地区仮設(8戸) 町外(登米市津山、登米市南方) 横山1期仮設(59戸)、南方1期仮設(200戸)、横山2期仮設(22戸)、南方2期仮設(151戸)、横山幼稚園跡地仮設(24戸)、津山町若者総合体育館仮設(30戸) その他(災害対策本部について) 南三陸町では、東北地方太平洋沖地震の発生時から、東日本大震災に係る災害対策本部を設置しています。 2019年7月1日、朝から南三陸町の現地調査を行った。 南三陸町の本庁舎など公共機関が先行して再建されていたものの、町を走ってみると、2018年6月時点でも、ものすごい土木工事、すなわち町全体の基盤を大幅にかさ上げするような大規模の土木工事がが今も続いていた。 南三陸町の復興計画は壮大なものである。それを示す一枚の復興計画イメージが以下だ。たまたま2012年12月に行った現地調査の以下を見てみたら、南三陸町の復興の全体像が見えてきた。 ※ 青山貞一・池田こみち 宮城/岩手被災復旧復興調査⑦宮城県南三陸町 2012年12月12日 それは全頁の「浸水状況図」をもとに「南三陸町全体の基盤」をつくり直すというものである。これは、おそらく3.11以降の被災自治体の復興計画のなかで、一番、壮大な復興事業をてがけていたと思われる。 南三陸町のまちづくりの断面イメージ 出典:南三陸町震災復興計画 南三陸6につづく |