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2018年・東日本大震災・津波
復旧実態調査(宮城県中部編1)

松島町沿岸2

青山貞一・池田こみち 
環境総合研究所顧問
掲載月日:2019年5月20日 2020年3月11日第2次公開
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◆松島町沿岸


出典:東北地方太平洋沖地震を教訓とした地震・津波対策に関する専門調査会配付資料

松島町2 

◆東日本大震災津波による松島町の被災状況

被災状況

(1)概況
 店舗や住宅への浸水及び全半壊、ブロック塀の倒壊、外壁の崩落、崖崩れ、道路の亀裂等。
(2)津波による浸水面積 2k ㎡(国土地理院計測・概略値)
(3)家屋等被害
 全壊 219戸(調査継続中)
 大規模半壊 351戸(調査継続中)
 半壊 1,216戸(調査継続中)
 一部損壊 1,496戸(調査継続中)
※上記のうち
 床上浸水 191戸(調査継続中)
 床下浸水 88戸(調査継続中)
(4)人的被害
 
町民で亡くなった方 21人 町内で 3人【直接死2人・関連死1人】
 町外で18人【直接死14人・関連死4人】
 行方不明者 0人

 重傷者 3人
 軽傷者 34人

避難所・避難者数
 ピーク時3月12日現在 12月9日現在
 避難所数 45箇所 0箇所
 避難者数 3,719人 0人


 次に、せっかく松島町に来たので瑞巌寺の概要を紹介する。

◆瑞巌寺 概要

 瑞巌寺(ずいがんじ)は、宮城県宮城郡松島町にある臨済宗妙心寺派の仏教寺院である。日本三景の一つで、宮城県松島町にあり、山号を含めた詳名は松島青龍山瑞巌円福禅寺。


本堂

 平安時代の創建で、宗派と寺号は天台宗延福寺、臨済宗建長寺派円福寺、現在の臨済宗妙心寺派瑞巌寺と変遷した。古くは松島寺とも通称された。

 江戸時代前期の1689年に俳人松尾芭蕉が参詣したことにちなみ、毎年11月第2日曜日には芭蕉祭が行われる。また、大晦日には火防鎮護祈祷である「火鈴巡行」と一般も撞ける除夜の鐘が有名である。

 境内には、「臥龍梅」と呼ばれる紅白二本の梅の木があり、伊達政宗の手植えと伝えられている。また、参道にはシンボルとも言える杉並木があったが、平成23年(2011年)3月11日の東日本大震災の津波に見舞われ、その後の塩害によって立ち枯れが目立ったことから、約300本が伐採されることになった。

 同じ東北地方にある平泉の中尊寺と毛越寺、山形立石寺と共に「四寺廻廊」という巡礼コースを構成している。


臨済宗瑞巌寺

 江戸時代に入り、松島を含む仙台藩を領した伊達政宗は禅僧虎哉宗乙の勧めで円福寺復興を思い立ち、慶長9年(1604年)から14年(1609年)までの工事で完成させた。


庫裏(国宝)

 今に伝わる桃山様式の本堂などの国宝建築を含む伽藍は、政宗の造営によるものである。この折、寺の名を改めて「松島青龍山瑞巌円福禅寺」と称した。住持が一時不在だったが、寛永13年(1636年)に雲居が入り、伊達氏の保護もあって隆盛を極めた。この際、それまで瑞巌寺とは別個に存在した五大堂が、瑞巌寺の管理下に入った。政宗の隠し砦という説もある。

 明治の初めに寺領が没収され、廃仏の風潮が盛んになると、収入を失った瑞巌寺は窮乏した。付属の建物が多く荒廃して失われた。明治9年(1876年)に明治天皇東北巡幸の際に下賜金があってから徐々に財政難を脱した。

 大正12年9月、松島湾で捕れた鰻の供養として地元民の寄付金で鰻塚が建立された。

 昭和28年(1953年)に本堂が国宝に指定されたほか、建築物等多くの文化財を有する。昭和43年(1968年)に大書院が完成し、昭和48年(1974年)には宝物館を開設した。宝物館には発掘調査などで出土した円福寺時代の遺物など約3万点が収められている。

 平成20年(2008年)11月から平成30年(2018年)まで「平成の大修理」[16][17]が行われ、2018年6月24日に落慶法要が営まれた。

国宝
 本堂(元方丈)御成玄関附属
 庫裏及び廊下 2棟

重要文化財
 御成門 附:太鼓塀2棟
 中門 附:太鼓塀2棟
 五大堂 附:厨子
 本堂障壁画 161面、附:障壁画22面、杉戸絵28面(明細は後出)
 木造五大明王像 5躯 五大堂安置

雲版
 奥州御島頼賢碑 徳治二年(1307年)一山一寧撰並びに書

出典:Wikipedia

 下は春の瑞巌寺本堂。この写真は2018年4月撮影なので、桜が咲いている。


出典:グーグルストリートビュー  2018年4月


東松島市1つづく