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自由記念碑、科学アカデミー |
●2010年2月19日(金) リーガ旧市街と新市街で
リーガ旧市街図
作成:青山貞一
翌、2月19日は、ホテルをチェックアウトし、車でリーガの旧市街に行き、調査目的となっている「戦争と人権」に関連する博物館を訪問する。その後、午後にリーガを出発し、次の目的地、エストニアのパヌルに向かう。
早朝の午前6時30分に1階レストランで食事。このホテルも食事はすばらしい。
ホテルをチェックアウトし、ホテルの隣にあるオリンピアというスーパーに水などを購入しに寄る。その後、ホテルで教えてくれた24時間両替をしてくれる両替屋に向かう。
下の写真は、両替屋を探している最中に車の中から撮影した新市街にあるリーガクリスチャン大聖堂である。
撮影:青山貞一 Nikon CoolPix S8 19 Feb. 2010
■ラトヴィア自由記念碑
下も車で旧市街と新市街の境界線上を走っていたときに車中から撮影した自由記念碑(Brivibas Piemineklis)である。1935年、ラトヴィアの独立を記念して建立されている。高さは51mもある。
塔の上に立つ女性(Mirda)はラトヴィアの3つの地域であるクルゼメ、ヴィゼメ、ラトガレの連合を現す★をかかげている。この彫像のデザインは公募で選ばれたとのこと。また建設資金も公募とのことだ。
記念碑には祖国と自由にという文字が刻まれ、ラトヴィアの歴史と文化を象徴する彫刻となっている。この自由記念碑はソ連統治時代、破壊は免れたが、反体制の象徴としてこの塔に市民が近づくだけでソ連の憲兵によりシベリア送りとなると市民の間で噂になった。
その意味で、ラトヴェアさらにバルト3国の民族の悲劇、歴史の悲劇を象徴する彫刻、記念碑であると言えよう。
撮影:青山貞一 Nikon CoolPix S8 19 Feb. 2010
撮影:青山貞一 Nikon CoolPix S8 19 Feb. 2010
■両替屋
ところで肝心な両替屋だが、非常に分かりにくい場所にあった。
ここで駐車場用にコインを替えてもらう。下は両替屋があったビルの入り口。Marikaと書かれているところを入り、階段を歩くと途中に、小さな受付があり、女性がひとりいた。そこが両替屋だ。
撮影:青山貞一 Nikon CoolPix S8 19 Feb. 2010
この後、車を旧市街の入り口に置き博物館を中心にリーガの旧市街を視察する。
予定は、軍事博物館→昼食(スープ、水餃子など)→占領博物館→1991バリケード博物館である。
・今日午前〜午後にかけてのの主な訪問先・施設名
・火薬塔・ラトヴィア軍事博物館
・ラトヴィア占拠博物館
・1991年のバリケード記念館
・ネコの家
■スターリンビル(科学アカデミー)
ところで、昨日ホテルに到着する前、なかなかホテルの場所が分からずリーガ市内を車であちこち回った。そこでポーランドのワルシャワでも見た「建築物」を見た。このビルはリーガ市街を車で走っていると、どこからもよく見える。
その建築物は、リーガ中央駅の裏にある。下は資料写真だが「科学アカデミー」だ。このいかめしいビルは、ソ連時代にスターリンがポーランドはじめ周辺東欧諸国になかば強制的に建てさせた建築物で、スターリンクラシック様式と呼ばれる権威的な格好をしている高層ビルである。17階、65mのところに展望台がある。
リーガにある科学アカデミービル。
出典:Wikipedia
リーガにある科学アカデミー 出典:資料画像
以下はポーランドのワルシャワについて書いたブログの相当部分である。
■ワルシャワの文化科学宮殿 ワルシャワ中央駅に近づくと、下の写真にある文化科学宮が見えてくる。 このいかめしい権威主義的?な高層ビルは、ソビエト時代のスターリンから贈られた超高層ビルだ。 この超高層ビルは、ワルシャワ市民から「ソビエトの建てたワルシャワの墓石」などと酷評されているものだ。地上30階、124mの回廊が展望台として開放されている。 実はロシアのモスクワにこれに類似したビルが7つある。なかでも最も巨大なビルがモスクワ大学のビルダ。7つのビルは7姉妹と呼ばれている。 時間が早いのと、何しろみぞれが降っていたこともあり、上まで登らなかったが、天気が良ければワルシャワが一望できるという。
撮影:青山貞一 Nikon Cool Pix S10 2009.3.8 |
文化科学宮殿(Kultury i Naukiパーワツ・クルトゥールィ・イ・ナウーキ) ワルシャワにある摩天楼。2006年現在、世界で164番目に高い高層建築物である。このスターリン・ゴシック様式の建築は、スターリンによってポーランドに贈与という形式で建設され、当初、その名称も、ヨシフ・スターリン名称(ヨシフ・スターリン記念)文化学宮殿であった。しかし、スターリンの死後、非スターリン化に伴い、ヨシフ・スターリンの名称は削除された。 文化科学宮殿の建設は1952年に開始され、1955年に完成した。スターリンによって、ソビエト連邦からのポーランド人民への贈り物としてワルシャワ市内に建設された。文化科学宮殿はソビエト当局によって設計され、ほぼ全工程に渡ってソビエト連邦から派遣された3500人の労働者によって建設された。なお、そのうち建設期間に事故などによる死者は16人である。 文化科学宮殿 夜景文化科学宮殿の建築様式は、同時期にソ連国内に多数建設されたスターリン・ゴシック様式(またはスターリン・アンピール、単にスターリン様式とも)の摩天楼と同様のデザインである。 特に最もデザイン的に類似点が多いとされるのが、モスクワ大学本館である。しかし、主任設計士であった建築家レフ・ルドネフ(w:Lev Rudnev)は、文化科学宮殿建造に当たり、ポーランドの伝統的な建築様式を部分的に取り入れた。記念碑を埋め込んだ壁には、ポーランドの古都クラクフとザモシチにあるルネサンス様式の宮殿に範を採った石柱などが見られる。 出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 |
結局、ソ連は周辺諸国を不法に占拠しただけでなく、この種の文化侵略また教会を倉庫にするなどの文化破壊をしまくったことが分かる。
この後、車を駐車させ旧市街にはいるが、その入り口でゴミの収集車(パッカー車)を見た。旧市街の世界的な観光メッカの場所とはいえ、何でもかんでもほとんど無分別のゴミをパッカー車に次々突っ込んでいた。
写真の右側が旧市街、左側が新市街である。
撮影:青山貞一 Nikon CoolPix S8 19 Feb. 2010
撮影:青山貞一 Nikon CoolPix S8 19 Feb. 2010
撮影:青山貞一 Nikon CoolPix S8 19 Feb. 2010
つづく
【参考資料】
・地球の歩き方、「バルト3国、エストニア・ラトヴィア・リトアニア」、ダイヤモンド社
・Wikipedeia English Edition