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バルト3国現地調査 エストニア
ターリン旧市街・歴史地区
聖オラフ教会・ウクライナ教会

青山貞一 Teiichi Aoyama
池田こみち Komichi Ikeda

10 April 2010 無断転載禁
初出:独立系メディア「今日のコラム」

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●2010年2月20日(土) 聖オラフ教会

ターリン市の紋章


ターリン旧市街、歴史地区全図  作成:青山貞一


 山の手の丘を視察した後、聖ニコラス教会の近くに停車しておいた車でターリン旧市街、歴史地区の北端にある聖オラフ教会に向かった。夕方が近く、気温はマイナス16度に下がってきた。いたたまれない寒さである。
 

聖オラフ教会(Olaviste Kirk)


聖オラフ教会
 撮影:青山貞一 Nikon CoolPix S10 20 Feb. 2010

 エストニアの首都ターリンにある聖オラフ教会又は聖オレフ教会(エストニア語ではオレヴィステ教会)は12世紀に建設されたとされており、1219年にデンマークによってターリンが制圧されるまでは、ターリン旧市街のスカンジナビアコミュニティの中心でもあった。

 この教会は、ノルウェイのオラフ王(聖オラフ;995-1030年)に捧げられたものである。教会に関する最初の文書による記録は1267年にさかのぼるが、14世紀に大幅に拡張して建て直された。
 
 下の写真は夏の晴天日の聖オレフ教会


出典:ターリンで入手したパンフより

 伝説では、この教会を建てたオラフという名の人物は、完成後、塔のてっぺんから墜落して死んだとされている。彼の体が地面に落下したときには、その口から蛇とヒキガエルが這い出してきたと言われている。この言い伝えは、隣接する聖母マリア教会の壁画に描かれている。

 1500年当時は、建物の高さは159mに達していた。これほどの高さの建物を必要とした背景には、貿易都市であるターリンが遠くからもわかるように、海洋航行のための標識として利用するねらいがあった。

 1549年から1625年の間、落雷によって教会の小塔が焼失した時には、世界で最も高い建物であったとされている。聖オラフ教会の尖った塔は少なくとも8回も落雷を受けており、教会自体も3回にわたって燃え落ちている。次に示す複数の建物は、現在123.7mの高さを保ってい
る。


グーグルアースで3次元CG展開した聖オラフ教会

 944年から1991年まで、ソヴィエトのKGBが教会の塔をラジオの電波塔としてまた、監視塔として利用していた。しかし、今日では、バプティスト派の教会として維持されている。

 教会の塔からは、旧市街のパノラマを一望することが出来、4月から11月の間は、10:00〜18:00、入場料30クローンで一般に公開されている。残念ながら2月なので塔には上れなかった。もっぱら、階段を登るので相当大変だ!

 下の2枚の写真は聖オラフ教会の内部である。
 

聖オラフ教会の内部
From Wikipedia, the free encyclopedia


聖オラフ教会の内部
From Wikipedia, the free encyclopedia


■ふとっちょマルガレータ(Paks Margareeta)

 下の写真にある太い円筒形は、ターリンの出入りを守るために1529年につくられた監視塔。その直径は24m、壁の厚さは実に4.7mにも達している。まさに「要塞」である。

 砲弾が発射されなくなってからは倉庫や兵舎、さらに監獄などとして使われてきた。

 1917年のロシア革命の混乱時に火災に遭遇し一旦廃墟となった。その後、修復し海洋博物館として利用されている。
 
 フトッチョのいわれだが、この円筒要塞が監獄として使われていたとき、囚人の食事を作り提供していたおかみさんが、囚人等から尊敬と畏敬の念をもってそう呼ばれていたという。その食事係の女性の名がマルガレータであったことから「ふとっちょマルガレータ」と呼称さている。 
 

 撮影:青山貞一 Nikon CoolPix S10 20 Feb. 2010
 
 「ふとっちょマルガレータ」から反時計回りで南西に降りて行くと、下のような立派な城壁と門がある。 


 撮影:青山貞一 Nikon CoolPix S10 20 Feb. 2010

 上の城壁と門の直ぐ右側にウクライナ・ギリシャ・カソリック教会があった。この教会と聖オラフ教会は横並びの位置にある。


■ウクライナギリシャカソリック教会
  Ukraina kreeka-katoliku kiriku Tallinna kogudus

 このウクライナ・ギリシャ・カソリック教会は、不思議で小さな中生の建物であり、曲がりくねった前面(ファサード)と非常に小さい窓で作り上げられている。旧市街の壁沿いの細い道を伝っていくと見つけることができる。

 17世紀以降、ターリンがウクライナの人々でにぎやかだった頃、この教会は旧市街に誕生したのである。

 ウクライナ人たちは、数年後にこの建物を取得し、手直しをして歴史的な味わいと現代(モダン)的なものを同時に持ち合わせた楽しい礼拝の場として生まれ変わらせた。内部に入れば、間違いなく、驚くべき内装とPyotr Gumenyukによるイコノスタス(聖障:教会の中で至聖所と聖所を分ける聖像が描かれた界壁)に遭遇することができる。

 教会は、また、ターリンのウクライナ人コミュニティの文化の中心としての役割を果たし、ここで作られたウクライナの宗教芸術と工芸品の小さな博物館でもある。

 下の写真はいずれも教会の内部の写真である。


出典:Ukraina kreeka-katoliku kiriku Tallinna kogudus Web


出典:Ukraina kreeka-katoliku kiriku Tallinna kogudus Web



出典:Ukraina kreeka-katoliku kiriku Tallinna kogudus Web


出典:Ukraina kreeka-katoliku kiriku Tallinna kogudus Web


出典:Ukraina kreeka-katoliku kiriku Tallinna kogudus Web


■ターリン旧市街・歴史地区視察一旦終了

 一通り視察を終え、ヴィル門に近い新市街のホテルに戻る。

 疲れ果て、転んであちこち打撲で痛い。そのようなワケで外出して夕飯をとる元気もない。

 そんなこともあり、ホテルのレストランで夕食をとる。

 サーモン、スープ、サラダなどを食べる。かなり美味しかった。それこそふとっちょのおばさんシェフと暗いウェイトレスだったけど。寒い中、ホテルの外の駐車場にも猫がいた。


つづく


【参考資料】
・地球の歩き方、「バルト3国、エストニア・ラトヴィア・リトアニア」、ダイヤモンド社
・Wikipedeia English Edition