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●2010年2月20日(土) リュヒケ・ヤルク通り
ターリン市の紋章
ターリン旧市街、歴史地区全図 作成:青山貞一
聖ニコラス教会の視察を終え、次にターリンの山の手地区を目指す。山の手地区は上の地図で南西部である。アレクサンドル・ネフスキー聖堂、トームペア城、大聖堂などがある高台の地域だ。
撮影:青山貞一 Nikon CoolPix S10 20 Feb. 2010
■リュヒケ・ヤルク通り(Luhike Jalg)
聖ニコラス教会から山の手地域に行きには、転倒したリュートゥり通りを数10m北上したあと、リュヒケ・ヤルク通りの坂道を上がり続ける。寒さに加え、坂道と来て、重度の喘息を持っている青山にはかなりきつい道のりだ。
下の写真はリュヒケ・ヤルク通りの入り口だ。ここは両側に建物がり風が遮られ何とか寒さが凌げる。この後、リュヒケ・ヤルク通りの左の階段を登ってゆく。。
撮影:青山貞一 Nikon CoolPix S10 20 Feb. 2010
撮影:青山貞一 Nikon CoolPix S10 20 Feb. 2010
下の地図は聖ニコラス教会からアレクサンドル・ネフスキー聖堂(ロシア正教教会)に移動したルートを示す。赤い矢印の大部分がトンネル、坂、階段のリュヒケ・ヤルク通りである。
このリュヒケ・ヤルク通りは車では100%入れないので、聖ニコラス教会近くの道路の端に停車させ歩く。青山が転倒したのは矢印の始点に近い場所である。
地図では左下にトームペア城、左上に大聖堂がある。
旧市街南西部(山の手地域)に通ずる道
出典:グーグルマップ
途中、下の写真にある家の一部となっているトンネルを通る。タリンではこのような構造が多い。これがあるのはもともと城壁だった部分を改造した場所である。
撮影:青山貞一 Nikon CoolPix S10 20 Feb. 2010
この通りは芸術家が思い思いの自慢の芸術作品を展示するストリートギャラリーでもある。真冬の2月なのでさすがに青空ギャラリーはなかったが、今度は夏に訪れてみたい!
撮影:青山貞一 Nikon CoolPix S10 20 Feb. 2010
坂道と階段を登る途中、トームペア城の入り口がある。
撮影:青山貞一 Nikon CoolPix S10 20 Feb. 2010
丘に登る途中こんなところもあった。左の建物はカフェ。正面に見えるのは城の一部。
撮影:青山貞一 Nikon CoolPix S10 20 Feb. 2010
坂道と階段を上がりきると、アレクサンドル・ネフスキー聖堂が見える。
■アレクサンドル・ネフスキー聖堂(ロシア正教教会)
(Aleksander Nevski Katedraal)
アレクサンドル・ネフスキー聖堂
撮影:青山貞一 Nikon CoolPix S10 20 Feb. 2010
アレクサンドル・ネフスキー聖堂(Aleksander Nevski Katedraal)は、1901年時代の支配者、帝政ロシアによってつくられたロシア正教の教会である。ターリンの町並みからすると極めて異質、違和感がある(笑い)。
エストニアが最初に独立した際、この聖堂の移転プランがもちあがったが、結局実現しなかった。
このアレクサンドル・ネフスキー聖堂はトームペア城(現在は議会)の真ん前にロシア正教の教会がドカーンと存在すること自体、脅威を感ずることだろう。
アレクサンドル・ネフスキー聖堂
撮影:青山貞一 Nikon CoolPix S10 20 Feb. 2010
春から秋は下の写真が撮影できる!
出典: Wikipedia Englsih version
なお、アレクサンドル・ネフスキー聖堂を入って宇すぐ右手の壁には、日露戦争で撃沈したロシア艦隊を記念したプレートがある。アレクサンドル・ネフスキー聖堂は8:00〜19:00まで開いている。
レクサンドル・ネフスキー聖堂の内部
出典:Wikimedia Commons
つづく
【参考資料】
・地球の歩き方、「バルト3国、エストニア・ラトヴィア・リトアニア」、ダイヤモンド社
・Wikipedeia English Edition